100.妹の事情10
「イナちゃん!」
じわりと目頭が熱くなって俯いたとき、遠くから私を呼ぶ声が聞こえて顔を上げました。
「……トーマス様」
「こんばんは。お会いできて嬉しいよ。ああ、今夜はとても綺麗なドレスだね。君の髪や瞳の色ともよく合っていて、何倍も魅力的に見える」
「本当ですか……? ありがとうございます」
ほら。やっぱりトーマス様は貴族としての心得をわかっているわ。
ルッツと違って。
「聞いたか? 綺麗なのはドレスであってお前じゃない」
「……!」
「……」
淑女らしく見えるよう恭しく礼をした私のすぐ後ろで、ルッツがぼそりと呟きました。
どれだけ私を傷つければ気が済むのかしら……!
振り返ってキッと睨みつけると、ルッツはさっと目を逸らして知らん顔をしました。
「……ルッツ君だったかな? 君も来たんだね。ああそうか、クレス副団長の紹介で来たのか。こういうところは初めてだろう? 美味い料理もたくさん並んでいる。存分に味わっていくといい」
「……」
エンダース家で正装してきたルッツを眺めるトーマス様の視線は、少しだけ嫌な感じがしました。
まぁ、トーマス様は高位貴族のご子息ですからね。礼儀作法のなっていないルッツの方が失礼なので、これはむしろ寛大なお言葉だわ。
「イナちゃん、どうか今夜は僕に君をエスコートさせてください」
「やめておけ、イナ。コイツの言葉をよく聞け。上辺しか見ていないぞ」
「……うるさいわよ、ルッツ」
胸に手を当てて私に紳士的な態度で接してくれるトーマス様と、私の後ろでそんなトーマス様を悪く言うルッツ。
どう考えてもトーマス様の方が優しいし、立派な方よ。
伯爵家の跡継ぎだし、私のことをストレートに褒めてくれるし。
私はこういう方と結婚したかったのよ。きっと幸せになれるわ。
きっと、幸せに――
……本当に、そうかしら?
私は、こういう方と結婚したいの?
「イナちゃん?」
「……」
……違うわ。私は、お姉様のように、本当に心から好きになった方と結婚したいのよ。
ちゃんと私のことを見てくれる人と……。
「どうしたんだい、イナちゃん。緊張しているのかな?」
「……」
トーマス様が心配そうに私を見つめています。
けれど後ろからも、ルッツの視線を感じます。
ルッツは貴族ではないし、魔力もありません。
褒め言葉ひとつ言えない、馬にしか興味のない男の子です。
ですが、私は……。
「トーマス様、お誘い本当にありがとうございます。ですが、本日は既にエスコート役は決まっていましたの」
「……え?」
自分でも驚いてしまうような言葉が口から出ました。
「彼は私の大切なパートナーですので、今夜は彼以外からのエスコートはお受けできません」
「……」
でも、そう言いながら、私はルッツの腕に自分のを絡めていました。
高位貴族様からのお誘いを断るなんて、私も馬鹿ですね。
「……そうか、残念です。機会がありましたら、また是非」
「はい」
けれど、トーマス様は小さく息だけ吐くと、それ以上何も言わずに身を引きました。
少し離れた場所でこちらを窺っていたクレス様とお姉様にも挨拶をしています。
「……俺、お前のことをエスコートするなんて言ってないけど」
「いいじゃない! 私がお相手してあげなかったら、貴方は一人ぼっちでしょう?」
トーマス様の背中を見送ってから、ルッツが息を吐きながら言いました。
「俺みたいな男は嫌いだろ」
「嫌いなんて一言も言ってないわ。それに私は……、ルッツに心から綺麗だと思ってそう言ってほしいし」
「……」
絡めていた腕を離して、呟くようにそう言ったら、なぜだか私の身体はとたんに熱くなってきました。
「まぁ、ルッツは馬にしか興味がないものね。もういいの! それより、せっかくなのだから、踊りましょう!」
こんなことを言うと、それもまた強制しているのと同じだわと思い、もうこの話は忘れて純粋にこの舞踏会を楽しむことにしました。
初めての舞踏会です。それにこんな綺麗なドレスを着て参加できて、私はそれだけで満足なのですから。
「ところでルッツ、踊れるの?」
そう思いながらルッツの手を取って向き合えば、彼の手が私の背中に回されます。
「お前こそ」
「私はよくお父様と踊っていたから」
「……ふぅん」
音楽に合わせてあの頃のようにステップを踏みますが……あらら……、お父様と踊るのとは、なんだか違いますね……。
「ふっ」
「なによ……」
たどたどしい私の足取りに、ルッツが鼻で笑うのが聞こえました。
悔しいですが、ルッツは意外と上手にリードしてくれました。
ダンスを踊ったことがあるのかしら……?
それとも、クレス様に習ったの?
「きゃ……っ!」
そんなことを考えていたら、ついにステップを間違えて足がもつれ、転びそうになってしまいました。
「……っ」
ですが、ルッツが頼もしく支えてくれました。
「……」
無言で踊り続けるルッツの凜々しい表情に、一瞬ドキッと胸が跳ねます。
……やっぱり今日は少し、ルッツがかっこよく見えるのは服装のせいでしょうか――?
「本当に良かったのか? 高位貴族のご子息様の誘いを断って」
ルッツがやめておけと言ったくせに、今更そんなことを小声で確認してくるルッツの頬がほんのりと赤いことには、すぐ気がつきました。
凜々しく見えるのは、一生懸命表情を作っているからなのだとわかります。
「いいわ。おかげでこうしてルッツと踊れたし」
「……次期伯爵様の妻になればもう厩舎の仕事なんかしなくて済んだのにな」
「ええ……でも、それだとルッツに会えなくなってしまうものね」
「……は?」
「私、ルッツといるのがとても楽しいの」
「……」
窺うように私と目を合わせたルッツににっこり笑いかけると、馬のこと以外には興味なさそうなルッツの目が大きく見開かれました。
「イナはそうやって無邪気に笑ってる顔が一番可愛いぞ」
「……ええっ?」
それからすぐに、いつもの少し意地悪な顔でそう囁かれて、私の鼓動は大きく脈打ちました。
記念すべき100話がイナ回10回目でした…!




