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綿仲康平と不破流子

 

 

 気が付けば、私は逃げていた。


「はっ、はっ、はっ」


 漫画みたいな展開だな、と思ったりもするが、しかし懸かっているものは自分の貞操。

 死に物狂いで逃げて当然。

 つかまれば、「あの子」みたいに襲われる。

 変な薬かがされて、とろとろになって。


 正直言って、不祥事とか色々聞いてはいたけれど。

 でも、こんなに身近でそんな危険な人がいるなんて、思いもしなかった。


「……ジーシキ君の、友達だった人より酷いじゃないッ」


 思わず独り言。誰も聞いていないはずのそれに、でも、返事があった。


「誰だい? 俺以外の男の話はしちゃだめだよ、俺のお嫁さんなんだから、『りゅ~こちゃん』♪」

「……ツ!」


 気持ち悪い。

 鳥肌ものすごい。


 綜合警備保障は一体何をやっているんだ。


 いや、立地条件が悪かったのもあるかもしれないけど。


 学校には、事務室以外じゃたぶんもう私と先生の二人。


 警備が入るにはあとちょっと時間があって、それまで「先生」から逃げ切れれば私の勝ち。


 逃げ切れなかったら、私の負け。

 さよなら私の青春よ、となってしまう。


 茶化してはみたけど、全然笑えない。


 ここで叫んでも、C棟って校門と反対側だし、つまり事務室とも反対側なわけで、絶対声が聞こえるわけはない。


 そうこうしてると、上の方からこちらを見下ろし、にたりと笑う彼の顔。

 容姿は結構イケメンで、生徒からも人気があって。

 正直言えば、私もきゃーきゃー言ってる口なんだけど(ジーシキ君には内緒)。


「まだ補習が終わってないじゃないか、りゅーこちゃん」


 私のクラス担任、ワタナカンこと綿仲先生は、私を見下ろしてにたにた笑っていた。


「止めて、来ないでください……ッ」

「駄目だよ。りゅーこちゃんは、まだ『足りない』んだから。そこを『埋めて』あげれば、『満たされて』、成績も伸びるんだよ? 知ってる?」


 知らない。

 知りたくもない。


 まさか、まさかまさか。


 私以外で一緒に補習とってたメンバーに、あんな……、あんな……。


 最初に意識を取り戻した時点が、ついさっき。

 勉強前におごってくれたコーヒーに、たぶん何か仕込まれてたのだろう。


 両手両足は縛られてなかったけど、でも、私は寝たふりをしていた。

 教室の机をまとめて作られた、ベッドみたいなのに友達が乗せられているのを知りつつ。


 教室に入ってきた綿仲先生は、まず彼女を起した。

 びっくりした彼女。でも、両手両足は机の脚にしばりつけられてて、動けない。


 そんな彼女に、綿仲先生は注射器を――。


 嗚呼、あああああああああああああああああ!


 夢ならどうか覚めて。

 明日になったら、早く、ジーシキ君とお話しなくっちゃ!

 せっかく絡んでくるのもいなくなって、心置きなくジーシキ君をいじれるようになったのに。

 今度は勉強の話をしようかと思ってたのに。


 でも、現実っていうのは往々にして非情なもので。


 元陸上部の綿仲先生は、階段を踊り場おきに、落下して下りてくる。


 本当に人間業かと思いつつ、私は急いで階段を下りて、一階に回る。

 でも、残念ながら一階で私の進路は行き止まりだった。


 門は施錠されてるし、廊下を走ろうにも足はまだ縛られたまま。

 ほとんど転がる勢いで、手すりだけを頼りに降りてきたんだから、当然そんな、人外じみたことは出来ない。


「どうしてか『ゆいちゃん』は全然引っかからないし……。りゅーこちゃん、『なぎさちゃん』とかどうだと思う?」

「知ら、ない」


 まさか、誰より生徒たちから信頼されて。

 誰よりもクラスのみんなから愛されていた若手先生が。

 それでも私たちからすれば、イケメンなオッサンでしかない彼が。


「私、先生のこと嫌いです! だから――」

「人間っていうのはね、誰でも間違えるものなんだよ」


 どしん、と落下してくる音が、3階くらいまで来た。


「だから、みんなで間違いは正していこう?」

「……」


 正直もう、あの先生の顔も見たくないくらいに、私は拒否反応を示していた。


 そんな時だった。




 ――私の眼前に、地下への階段が姿を現したのは。




「……ッ」


 「てとてさん」の噂が脳裏を過ぎる。

 恋人同士が、お互いの誠実さを示して祝福されるというアレだ。


 全然信じてなくって、あくまで噂だと思ってた。

 だからジーシキ君を誘った。

 でも色々調べているうちに、本当にいるんじゃ? と思う感じになって、不用意に誘えなくなっちゃった。


 正直言えば――噂が本当だったら、怖い。

 この間破局したカップルも、てとてさんが関わっていたとしたら。もう身震いするほどの恐怖だ。


 それでも、今の状況は、どうしようもない。


 せめて、せめてもう少しだけ綿仲先生に、いや、綿仲に気付かれないように。


 私はそのまま、その闇の向こうに転がっていった。




 ――その次の瞬間、私が居たところに綿仲が降ってきた。




「あん? こっちに地下なんてあったっけ」


 にたにた笑いながら、彼は一歩ずつ、一段ずつ降りていく。

 物理的にも、音的にも私を追い詰める意図があるのだろう。


「まあいいや。せっかくだし――よっと」

「わッ!」


 飛び降り、私の首、ひっつかんで、押し倒す先生。


「んん、廊下というか踊り場だと、ちょっと面白くないなぁ……」


 私の両手を押さえて、下半身を尻と足で押さえ込み。

 にまにまと私の、ボタンの引き千切られた胸元を舐めるように見てから、周囲を見回し――。


 私達は、気付いた。


 その場所から入れる教室の入り口の左右に、緑色の、ぼんぼりみたいなのが置いてあることに。


「誰だ、こんないたずらしたの。駄目じゃないか……。まったく」


 言いながら、彼は私の首をアームロックして、引きずりながらその扉を開けて――。




「――お待ちしておりま――ッ!」




 そのろうそくに照らされた薄明かりの中には、回された画像で見た巫女さんと、寸分違わず同じ格好をした彼女がいた。


「そん、な、へ? りゅ、流子さ――だって、吾妻さんじゃなく、へ?」


 唐突に、彼女は私の名前を呼んで、取り乱した。

 ん? 誰だろう。

 見覚えはある気がする。


 気がするけど、「誰かわからない」。

 私の名前を流子さんなんて呼ぶのは、廻田さんしかいないけど、でも「目の前の彼女ではない」。


 どうしてか、私の思考はそう断言を続ける。


 先生は、巫女服の彼女に近寄り、注意するように言った。


「駄目じゃないか、こんな時間にこんな場所に居ちゃ。君、学外の人? 駄目だよ、入ってきたりしたら。警備に突き出すしかないね、もうこれ」


 巫女さんは、真顔で反論した(口元しか見えないけど)。


「……貴方こそ、こんな時間に、女の子を押さえて何をしようというのですか」

「ん? 関係ないよそんなの――あ」


 そんなことを言っている彼の足元に、緑色の紙が落ちた。


 そこには、綿仲が勝手に記入した、私と彼の名前が書かれた結婚届が――。



「――あああああああああああああああ!」



 巫女さんが、絶叫を上げて膝をつく。

 どうしたんだろう、と思っていると、突如部屋が真っ白な霧につつまれた。


「……どうして、どうして、もう、止められない……」


 すすり泣く巫女さん。


「りゅーこちゃん、結婚しよ?」

「嫌ですって、何度も言ってるじゃないですか」

「ほら、みんなそうやって、『間違える』んだから。一度間違えたらもう戻れないけど、その代わり、出来るだけ俺が矯正してあげるから。ね?」


 綿仲の言ってる事は、私たちにとって全く理解できるものじゃなかった。


 彼に好意を寄せている生徒を、拘束して、婚約届けを目の前につきつけて、結婚しようと言う。

 拒否したら、薬を打って、どうしようも出来なくする。


 間違いない。間違いなく既に生徒の何割かは、この方法で「喰われて」いるだろう。


 運よく逃げられていただけで、私だっていつ、そうなっていたかはわからないんだ。


「無理やり、つれてきて、何言ってるんですか、気持ち悪い!」


 あらん限りの声をあげて、私は、彼の腹に頭の後ろで頭突きする。

 脈絡もない悪意と、理由のない暴力に、屈するのだけは嫌だった。


 目の前でいっつも、その結果みたいな男の子をみているせいか。そのことだけは、何がなんでも駄目だと拒否する私だ。


 彼はそれでも動じず、逆に私の首を持って、持ち上げて、顔面を何度か殴った。


「……俺昔、付き合っていた子がいてさ?」


 唐突に、先生が話し出した。


「その子、死んだんだよ。将来について色々話し合っててさ。で、俺達、一緒になろうって。親から逃げる算段までつけて、子供もつくってさ。でも、俺だけじゃ結局駄目だったんだ。あいつは、暴走族に無理やり嬲られて、子供も殺されてさ。で、海に投げ捨てられて」


 笑いながら話す先生は、目が、全く笑って居ない。


「俺に力があれば、あんなこともう起こらないだろって思ってたのにさ。今じゃ、4組の瀬賀みたいなのも居るしさ。駄目だろ、こんなんじゃ。だから――みんな、俺が守るんだ」

「自分が、加害者になって、どうするんで――ッ」

「加害者? とんでもない。だから間違ってるって言ってんだ。

 俺は、今学校に居る誰よりも、オスとして優れている。だからみんな靡けば、みんな安全なところで守ってやれる。わかるか?」

「わかんない……ッ」


 ジーシキ君もたまに、考え方とか言ってることとか理解できなくはなるけど、そんなのと比較できないくらいに、先生はやばかった。



 ()()()()()()()()()()――。



 どこからか、聞き覚えのないの声が響く。

 それが何を意味してるのか、理解はできなかったけど。


 でも、部屋の中に掠れた、聞いた事のない重低音が響いた。





――()()()()()




 音は絶対そう発音してないのに、何故か、その言葉の意味が私にはそう分かった。

 

「ん? ――あ、あああ、ウあああああああああああああああああああ!」


 そして同時に、先生の腕が私から離れる。

 

 どさりと落された私が見たものは――椅子のバケモノに、おさえつけられる先生の姿。

 いつの間にか霧が晴れていて、部屋中は、ろうそくの明かりに照らされている。


 頼りない明かりが映し出すシルエットは、植物がからまりあって椅子のような形状になり、その背もたれが大きな顎を開けて、先生を飲み込もうとしている、そんな姿だった。


 ただ――足元には、明らかに先生と思われる体が。

 よく見れば、椅子に囚われている先生の姿は、透けている。



「なに、あれ――ッ」

「……正規の手順を踏まなかったから、手頭出(てとぅで)様の行動を制限する魔法陣が、動いてない……ッ」


 腰を抜かした巫女さんの言ってる意味はわからなかったけど。

 半透明の先生が、明らかに恐怖に震えていた。


 その先生の胴体には、幾数十本、数百本の色々な色の糸が巻き付いていて――。


『た、助けて――!』


 その言葉が言い終わるよりも先に、顎が先生の上半身を喰らい、食いちぎった。

 一瞬だった。気が付くと、せんせいの上半身は、腕も含めて引きちぎられていた。


 半透明な体に断面はなく、血もでない。


「あああああああああああああああああああああああああああああ!」


 だというのに、先生の肉体だけは悲鳴を上げる。

 そのまま泡を吹いて、先生は動かなくなった。


「何、これ――」


「今ここに、奉らん。 ()()()()()()()()()()――。今こちらにて、神官の代理を――」


 巫女さんが何かを言おうと続けるけど、しかし、次の瞬間には入り口の扉が開き、彼女は弾き飛ばされた。


「……あ」


 椅子、どころの話じゃない。

 この部屋全体が、たぶん、「てとて」さんなんだ。


 私達は、たぶん、てとてさんがするべき作法を、中途半端に実行してしまったんだろう。


 自動書記と同じで、それが一体何をもたらすかなんて、考えるまでもなく明白で。


 ろうそくが、一つ一つ徐々に消えていく。


 自分の周りに、明らかに自分を見て居るような視線が、段々増えてきて、接近して来ているように感じる。


「……ジーシキ君」


 私は最期に、彼と明日、会えない事を後悔しながら、真っ暗になる部屋に取り残された。

 

 

 

   ※

 

 

 

 不破が学校を休んでから、今日で三日。

 

 彼女と会わないように気をつけていたというのに、どうしてか、そもそも彼女が学校に来て居ない。

 話かけてくる影がないというのもちょっと寂しいような気もしないではないけど、ひょっとしたら廻田が手を回したのかもしれない。


 まあ、だとしても、どうでもいいことに代わりはないのだけれど。


 僕が、彼女にとってゴミになるのなら、ゴミはゴミらしくしているのが一番だ。

 邪魔ものらしく、せいぜい自分の身の周りだけに、最低限気を配るのみ。


 クラスの連中が、国語の綿仲先生が急病で入院してるって騒いでたけど、そんなことに興味はない。


 そう思って、今日も放課後は、そのまま家に帰るつもりだった。


 でも、そうも言ってられなくなった。





「――流子さんを、助けてくださいッ」





 廻田めぐみが、神社の手前で僕を呼びとめ、土下座をしていた。

 

 




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