吾妻斗識と不破流子
地下室の手前。
入り口は、普通に教室のそれっぽい。
ただ入り口の両脇に、「紫色」のぼんぼりが灯っていた。
「色が緑なら、通行許可。色が紫なら、通行不許可ということです」
「どうして通してくれないわけ?」
「……てとて様にも、悪食というものはあります」
よく分からないけど、不機嫌ということだろうか。
「紙を」
事前に書かされた、僕の名前と、不破の名前が記入されたA4用紙。
それを入り口の手前に置き、僕等は並んで、座を組み、頭を深く垂れた。
「――かく、これ今日、今時、この森羅において、かくのたまうは、イザナギの方、吾妻斗識、イザナミの方、不破流子、アメツチの方、代理に我が身我が知を預け、今一度、恵み卸したう機会を願わんことを―ー」
まあと、おしぃす、あめん――。
和語とも西洋語ともつかない言葉を繰り返し、彼女は頭を下げる。
それに習い、僕も頭を下げる。
――おん、おん、おん。
何かが涌くようなそんな音と同時に、目の前の、教室への扉が、姿を変えた。
扉だけじゃない。前方の壁一面が、一気に姿を変えた。
それは――手だ。
無数の手が組み合わさり、うごめく、肌色の壁だ。
まあ色はいまいち識別できないんだけど。
その中心点に、人間の目が一つ。
真っ赤に血管の血走ったそれが、ぐいと僕等を見下ろしていた。
「――願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放していただきたい。儀式が成せませぬ、儀式が成せませぬ」
「が、ぜ」
無数の手が動き、蠢き、音を鳴らす。
それは、僕の耳にはそう聞こえた。
「――願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放していただきたい。儀式が成せませぬ、儀式が成せませぬ」
「が、ぜ」
「ッ! ね、願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放していただきたい。儀式が成せませぬ、儀式が――」
「ぎせ」
瞬間的に、てとてさんが何を言ったのか僕は理解できた。
それは彼女もだったらしい。
その言葉と同時に、表面上を蠢く手が、少し、こちらに近づいてきたような――。
それでも、廻田は止めない。
「――願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放していただきたい。儀式が成せませぬ、儀式が成せませぬ」
「ぎせ」
「願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放していただきたい。儀式が成せませぬ、儀――」
「ぎせ」
「願い奉ります。願い奉ります。どうぞ、御身の内にいる一人を、解放して――」
「ぎせ「ぎせ「ぎせ「ぎせ「ぎ「ぎ「「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎ「ぎせ」
てとてさんは、死ね、と続ける。
どんどんと廻田が焦る。焦っている。
僕だって知ってる。降霊術とか、そういうのが映画で出てきた時。
相手を帰すことができなければ、みんな死んでしまうのだ。
でも、正直それはそれでどーでもよかった。
重要なのは、ただ一つ。
ついには目の前の壁は、僕の書いた紙すら取り込み。
廻田が一歩後退しなければならない距離となり。
だから、僕は立ち上がった。
「――不破を、返してください」
僕のその堂々とした宣言に、べこべこと壁が蠢きを一旦止める。
廻田が目を見開き、何を馬鹿な事をしているだという目で僕を見る。
でも、そんな視線に興味ない。
重要なことは、ただ一つ。
「不破は、いい奴なんですよ」
僕は、ただ言葉を言う。
それで駄目でも、とにかく言わなきゃならないと思った。
「僕は正直、好きとか嫌いとか、そんなもんどーでもよくなってます。不破のことだって、たぶん好きでも何でもないと思います。だったら貴方の儀式を受けるなって話なのかもしれませんけど……。
でも、これだけは言えます。
彼女は駄目です。
僕ならともかく、不破だけは、絶対駄目です。
だったら――僕を、不破の代わりにしてください」
「――吾、妻、さん?」
茫然としたような声を出す廻田。
僕は、続ける。
「ゴミなんですよ、僕。みんなに迷惑かけるって言われて。もちろんそんなことないと思ってましたけど、反抗しても反抗してもみんな、そう言うんですよ」
『……』
「いつからか、もう、嗚呼自分はみんなの邪魔なんだなって。役立たずなんだなって。死ねばいいって思って、リストカットしようとしたこともあって。結局静脈ちょっと切った時点で、痛くて止めたんですけど」
でも――。
「そんな時に、不破が話しかけてくれたんですよ。全然話合わなくなってたし、面白い話なんて僕、全然できなくなってたし。趣味もクソもなくなって、猫なんて猫畜生の分際くらいに思うようになって、癒しなんて全然なくって、無味無臭に興味も何もなくって。
でも、それでも不破は僕に興味持って、話しかけてきれくれて。
だから――不破の前でだけ、ちょっとだけ、僕、楽しかったんですよ」
嗚呼、たぶんそれが答えだ。
てとてさんに言うべきことなのかは全然わからないけど。
それでも、僕が彼女に対して言えることは、これだけだ。
「不破は、いい奴なんです」
「止めて下さい、吾妻さん。もう、それ以上は――」
廻田の静止を振り解き、僕は、てとてさんに叫ぶ。
「こんな僕でも、少しは前向きにできるくらい、いい奴で、すげー奴なんですよ!
そんな不破が、このままずっと、死んでるみたいな状態になってるなんて、駄目なんですよ!
だから――僕を連れてって、不破を、解放してください」
「――吾妻さんッ!」
廻田を突き飛ばし、僕は、壁面に手を差し伸べる。
すると、向こうから一つ、手が伸びた。
嗚呼、たぶん、これに掴まれってことだろう。
そしたら僕は、そのまま内部に引き困れるはずだ。
後ろを振り返り、彼女に笑う。
笑うなんて、嗚呼、どれくらいぶりだろう。
「――不破のこと、頼みます」
「――ッ!」
おかしなことに、廻田は泣きそうな顔を僕に向けていた。
どうしてだろう。何もおかしなこと、してないのに。
単にヘナチョコで、役立たずで、ヘタレで好き嫌いのそれなりにある奴が、自分として好ましい行動をしているだけなのに。
さあ、言うべき事は言った。
てとてさんは、どうやら僕の願いを叶えてくれるらしい。
そのまま差し出された手を、僕は握って――。
「――それは、もう愛だよ少年」
「!?」
突如聞こえた声。
どこからか聞こえたそれは、掠れた重低音。
そして次の瞬間、僕の握っていた手が、壁から「弾き出された」。
「きゃッ!」「は!?」
正確には、壁から不破が飛び出してきて、僕にダイブしてきた。
彼女を抱きしめる形で倒れ、そのまま転がる僕等。
最終的には、彼女を押し倒すような体勢で止まる。
「……あれ? どうしたんだろ、なんか部屋が急に真っ暗になって。どうして私、今、ジーシキ君に押し倒されてるわけ? へ? 何、貞操ピンチ?」
「……それはない」
「あー、ちょっと、それ傷つくんですけどー! 激おこだよ、ジーシキ君」
まったく、三日間ずっと部屋から動けないでいたはずだというのに。
解放された彼女は、まったくいつも通りの彼女で。
――そして唐突に、ベートーベンの第九が、この場所に響き渡った。
飛び跳ねる僕と不破と廻田。
ポケットを確認すると、スマホだ。三人のスマホが、同時に音楽を輪唱(?)していた。
「何、同時とか。っていうか、私、これメモリに入れてないんだけど……?
あれ、ジーシキ君。どうしたの?」
「?」
不破が、僕の頬に手をやり、目元を拭う。
「泣いてるの? ジーシキ君」
「……!」
嗚呼、そうだ。どうやら泣いているらしい。
そして、もう一つ気付いたことがある。
スマホの電源に照らされた不破の顔は――すごく健康的な、肌色に「見えた」。
「あ、あは……」
どうしてか、僕の口からは笑いが零れる。
「はは……、ははは……」
「な、何、何?」
そのまま僕は、反射的に不破を抱き起こして、抱きしめ。
「あ――あああああああああああああああああああああああッ!」
「ちょ、ジーシキ君!? ちょ、情緒不安定さんか!」
漫才みたいなツッコミを裏拳で決めてくる彼女のそれなど、全然きにならない。
ありったけ――それこそ、ありったけの声を張り上げて。
僕はその場で泣いた。
「……ごめんなさい。それから、ありがとう」
不破に宥められながらも、僕は、廻田がそんなことを言ったのを確かに聞いたような気がした。




