第一話 再会
目の前にいる男を見て、ニケアは唇を僅かに震わせながら口を開いた。
「いらっしゃいませ。十人ね。だったら、店の奥にお願いします」
おかしい。
なぜ、四年前に王国騎士団に捕まったはずの男が、その騎士団の制服を着てここに現れたのだろうか。
「なんで、ここに」
同じことを思ったのだろう。
男はニケアを前に、目を見開いて彼女に声をかける。
「それはこっちのセリフ。――生きてたのね、ヴィエン」
周囲に気取られないよう小さな声で返すと、ニケアはすぐに目線を店の奥へと送った。
彼女の赤茶のポニーテールがふるりと動く。
「席はあっちで。オーダー決まったら声かけて」
ヴィエンと呼ばれた男は赤い目を細めてすぐに笑い、その場で壁の黒板を見て注文を告げる。
「とりあえずエール二十個と、お勧め盛り合わせとかいうのを十人分頼む」
十着の騎士団の制服が奥のテーブルに移動し、早々に注文が入る。
楽し気に話しているが、王都の騎士団にしては洗練された雰囲気が足りない。
「エール二十で間違いなし?」
人数との不整合に、ニケアが確認を入れる。
「俺たちは砦のある第二王都コンスータから来たんだ。王都の騎士団はどうか知らないけど、コンスータの男は、山ほど飲むのさ」
ヴィエンの隣にいた男が、得意気に笑った。
聞けば、彼らは本日付けで、この王都にやってきたという。
(実戦経験がたっぷり、といった体型なのはそういうことなのね)
王都のほっそりとした貴族の子息が多い騎士団よりも、よほど頼りになりそうだ。
「いいわね。いくらでもお代わりを受け付けるわ」
ニケアは笑みを浮かべると、彼女と会話を続けたそうなヴィエンを置き、カウンターの中にある厨房へと戻った。
王都ラテラの中でも下町に近い場所にある、宿と料理の店『ピステヴォ』。
ここは、ニケアがわずか十五歳だった頃に始めた店だ。それから三年、どうにか安定して宿と料理屋の両方に客を迎えられるようになった。
(なのになんで、今更――)
騎士服を着たヴィエン。
それはニケアの知っている彼とは、真反対の姿だった。
「ニケア」
カウンターから厨房を覗き込む気配を感じて顔を向ければ、そこにはヴィエンが立っていた。
金茶色の中途半端な髪を、雑に後ろで束ねているのは昔と変わらない。
「ヴィエン、あんた」
「とりあえずエールを運ぶ手伝いに来た」
ニケアの言葉を聞き終えることなく、ヴィエンは両手を差し出す。
騎士服である上着を脱いだ彼は、コットンの白いシャツに黒のズボンという、かつての姿を彷彿とさせる出で立ちになっていた。
「……そうね。どんなに頑張っても両の手で八個が限界だわ」
「じゃあ俺が十六運べば、一度で済むな」
「馬鹿じゃないの。二度に分ければいいだけよ。面倒くさがりなのは変わらないわね」
「ニケアの方が短気なくせに」
顔を見合わせ、くつくつと笑う。
(どうやって生き延びたか、なんて今は聞かなくていいわ)
あの日。
二人が生きるためにいた、大盗賊団『アラリク』が摘発された、四年前のあの夜。
ヴィエンは王国騎士団の追手からニケアを逃がすために、わざと捕えられたのだ。
――ニケア! 絶対に生き延びろ。いつか俺が探し出すから。
囮になると言ったヴィエンの前から動けなかったニケアを、すぐ近くの木のうろに押し込め、そう告げる。
十四という年齢の割に小さな体の彼女は、小さなうろにすっぽりと入り込んだ。
しばらくすると、大きな音とヴィエンのうめき声、そして複数の大人の声が聞こえてきた。
それが、ヴィエンと最後に交わした時間の記憶。
「この店は、ニケアの店なのか?」
「そう。王都でも結構人気の店なのよ」
「だから来たんだ。まさか」
「まさか、昔の相棒がいるとは思わなかった?」
さらりと口にすれば、ヴィエンは苦笑いを浮かべる。
そんな彼から目を離し、奥のテーブルに足早に向かった。
「はい、お待たせ! エール二十個」
十人の騎士たちの歓声が、地響きのように響く。
(今日、まだ他のお客さんいなくてよかった)
さすが砦を守っていた男たちだ。
腹から出ているだろう太ましい声が、店を賑わせている。
とはいえ、この店の客は下町の男たちが多いので、彼らのこうした声も歓迎してくれるだろう。
「えっ、隊長もエール持ってきたの?」
「ドルト、そんなこと言ってる間にさっさと受け取れ」
先ほどヴィエンの横にいた男は、ドルトというらしい。
十六のジョッキをどうやって支えているのかわからないが、片手に八ずつのジョッキを手に、ヴィエンが笑った。
(隊長とか、やってるんだ)
あのときアラリクを摘発しに来たのは、王国の騎士団だった。
それなのに、何故彼が王国の騎士団の服を着て、あまつさえ隊長と呼ばれているのか。
「あと少しでフリットと盛り合わせも出せるから、ちょっと待っててくださいね」
聞きたいことは山ほどあるが、ニケアはとりあえず、目の前の注文をこなしていくことを優先させた。
***
ヴィエンが仲間たちと共に、ニケアの店『ピステヴォ』に初めて訪れてから二週間。
彼らはすっかり常連と化していた。
「ニケアちゃん、今日もかわいいねぇ」
「ありがと。ドルトさん、エールのお代わりどう?」
「これは断れないや」
彼らは王都に新設された、王国騎士団直属遊撃隊『ケークウォーク』の隊員だという。
初日のように全員が集まることはないが、毎日数人ずつが食事に来る。
「俺にもエールをくれ」
今日は来ないと思っていたヴィエンが、店のドアを開けて入ってきた。
「仕事終わったの?」
「ああ。どうもまだ書類仕事ばっかりで、体がなまる」
腕を軽く回しながら、ニケアに近付く。
ドルトは先に受け取ったエールを手に、他の隊員の方へと向かっていった。
「書類仕事も大事な仕事でしょ。がんばって、ヴィエン隊長」
「ああいう細かいのは、ニケアのが向いてるんだよな」
「さぁ? ヴィエンは知らないでしょ」
「そうだったそうだった。俺は知らないんだった」
そういって両手を軽く上げて、ヴィエンは笑う。
(わざとらしいわねぇ。私たちが昔馴染みだって知られたら、ヴィエンにとっても良くないでしょうに)
ニケアがヴィエンに初めて出会ったのは、彼女がまだ六歳の頃だった。
スラムで死にかけていた時に、当時すでに大盗賊団アラリクにいた十歳のヴィエンに拾われたのだ。
(どういう経緯か知らないけど、今は騎士団に所属してるみたいだし……。なら、絶対にアラリクにいたことは知られちゃだめでしょ)
下町の宿兼料理屋の店主と以前からの知り合いだなんて、何かのタイミングで互いの過去を暴かれる可能性すらある。
(私だって、過去は絶対にバレたくないしね)
ヴィエンに救われた命は、遠い街まで逃げ延びて繋いできた。
しばらくはそこで生きていたが、人の多い王都にいる方が、却って一人一人の認識が薄れると思い、ここで店を開いた。
「あれ、隊長ってばニケアちゃんと仲良しじゃん」
「ドルトさんとも仲良しですよ」
ヴィエンの後ろから、のしりと体重を掛けて話に混ざってきたドルトは、ケークウォークの副隊長。おかっぱくらいの後ろ髪にあわせ、ワンレングスになっている前髪の間に見える顔は、それなりに美形だ。
(ヴィエンとは真逆のタイプの顔つきだけど)
まるで狼のような凶暴さを隠し持つ、野性的な男のヴィエンに対し、ドルトはまるで貴族の子息のような端正な顔つきだった。
(それでも、ケークウォークの副隊長ってことは、腕っ節は良いんでしょうね)
この部隊は、もともと第二王都コンスータで特務隊として活躍していたらしい。
つまり彼ら隊員同士も、付き合いがそれなりに長いのだろう。
(ヴィエンが今の居場所を守れるように、私がこの店を守れるように)
二人の過去は、けして表にでてはいけない。
「いいねぇニケアちゃん。恋人いる? 俺とデートとかしない?」
「恋人はいませんが、デートもしません」
「デートしてくれないかぁ」
「私は料理作ってきますから、お二人はこのエールを自分で持っていってくださいね」
ニケアは手元のエールをヴィエンたちに押し付けると、カウンターの中、厨房へと戻っていく。
「そうか。恋人はいないのか」
後ろ姿を見ながらぼそりとそう呟くヴィエンに、ドルトはにやにやと笑みを浮かべ、小さく小突いた。
新連載です。
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