第一話
「エレオノーラ、段差があるからね。気をつけて。」
「ありがとうございます、殿下」
青々とした木々が綺麗に整えられた王立学園の庭園。
そこに伸びる二つの影は、王太子であるヴィアノルドとその婚約者、エレオノーラのものである。
手を繋ぎ、王太子が献身的に婚約者に寄り添っているように側からは見えるだろう。
だが、知っているものは知っている。
エレオノーラの瞳は、いつも虚空を見つめていた。真っ白の、温度を感じることができない瞳は、今はもう見えていない。だからこそ、王太子殿下は溺愛している婚約者の手を決して離したりしない。
この二人の関係は、誰であっても引き裂くことはできないであろう。
◇◇◇
「お母様、あの綺麗な鳥はなあに?」
幼いエレオノーラは宝石のような瞳を一層輝かせて隣にいる母に問た。
「あれは、アイリス・ルミナね。あの鳥を見たら、幸せになれると言われているのよ。見つけられたエレは幸せ者になれるわよ。良かったわね」
アイリス・ルミナ
羽の一枚一枚が極薄のプリズムのように輝いており、木に止まっている時は銀色だが、いざ羽ばたくと周囲の光を反射させ、空に七色の尾を引いて飛んでゆく。
別名、空を泳ぐ小さな虹。
4歳のこの時は、お母様のいう幸せとは何か、まだよくわかっていなかった。毎日が楽しく、瞬きする間もなくすぎていっていたから。
あんなことが起きるまでは。
生まれた時から、前世の記憶があった。
ここが、前世でプレイしていた乙女ゲームだと気付いたのは、初めて両親に名前を呼ばれた時だった。ゲームでは、父であるヴォルフルック公爵の絵姿が公開されていた。だからこそ、父を見た時に既視感を覚えていたのだと思う。
前世で数え切れないほどプレイしたゲーム。自分がその悪役令嬢に転生したなんて、気付いた時にはどうすればいいのかわからなかった。悪役令嬢としての責務を全うするべきなのか、運命に争っていいのか。ゲームで悪役がたどった最後は、全てのルートで斬首刑だった。どのルートに進んだとしても、私は死んでしまう。
小さい頃からの記憶を、無くすことなく持ち続けている私としては、大切に育ててくれたお父様とお母様に親孝行をすることもなく死にたくない。
だから決めたのだ。運命に争ってやると。
でも、殿下との婚約は変えることができなかった。
殿下に初めて会ったのは、お互いが、5歳の時だった。
あれは、王家主催のお茶会で、今思えば、あれが婚約者の選定の場であったのだろう。
「皆、集まってくれてくれてありがとう。今日は楽しんでいってくれ。」
5歳の殿下は、5歳とは思えないほどハキハキとしていて、凛としていた。
ゲームでは、私が殿下に一目惚れし、家の力で婚約者の座に収まっていたから、私が一目惚れさえしなければ、婚約は回避できると思っていた。
でも、現実はそう甘くなく、お茶会の数日後に、殿下自ら領地に赴き、婚約の申込みをされてしまった。王家からの申込みを理由もなく断ることもできず、気付いた時にはしっかりと婚約者の座に収まってしまっていた。
そして、事件が起こったのは私たちが10歳の時。
「皆様、ようこそ、我が伯爵家へ。どうぞ、ごゆっくりしていってくださいね。」
この日は、お母様と一緒にお母様の友人の伯爵家で行われるガーデンパーティーに参加していた。
伯爵家のガーデンは手が行き届いており、品種改良がされたバラがとても綺麗に整えられていた。
「このバラ、初めて見ました。とても綺麗ですね」
「あら、エレオノーラ様は薔薇がお好きなのですか?」
「はい、植物を見てると、気持ちが落ち着く気がするので、好きです。」
伯爵夫人からの説明によると、私が見ていたバラは、夫人自らが品種改良した薔薇のようで、薔薇のそばで夫人との会話に花を咲かせていた。
ふと、背後の茂みが、ガサりと揺れた気がした。咄嗟に振り向くけど、特に変な部分は見つからず、気のせいだったと思い、夫人の話に集中した時だった。
「きゃあ!」
背後から突如として現れた黒ずくめの男たちに、10歳の私は当たり前に捕まり、薬品を浸していたと思われるハンカチで押さえつけられ、気を失った。
最後に聞こえたのは、夫人が私の名前を呼ぶ声だった。




