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姫君と辺境伯  作者: 那智
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深紅の温室


「ティリラ様。あの――」

「此方にいらしたのね」


発しかけたコーデリアの言葉は、後ろから響いてきた声に遮られた。

振り返れば、唇を尖らせたアーネストがいかにも怒っていますと言う風に腰に手を当てている。

隣でティリラがくすりと笑う。


「あら、アンネさま。やっぱり気になっていらっしゃったの?」

「……わたくしでは無いわ。お兄様が、そろそろお姉様のエスコート役を代わってほしいのですって」


そう言って不作法に顎をしゃくる先に、先ほど青薔薇の世話をしていた庭師と談笑しながら歩くエセルバートが見えた。

視線に気付き微笑んだ顔は確かに、早くティリラを返すようにと言っているような気がする。


「まあ。そんなに時間が経ったかしら。話し込んでしまってごめんなさいね」

「いいえ。こちらこそ、わざわざ案内をありがとうございました」

「ふふ。どう致しまして。本当は温室内も案内したかったのだけれど。残念、また今度ね」


微笑むティリラに頷きながら、コーデリアは温室について思い出していた。

彼女が言うに、王家の子どもの名を冠した薔薇一つ一つに温室があるのだと言う。

ならばアーネストの温室もあるはずだと胸が弾む。

今は飾り気の無い生活をしているが、本来ならばコーデリアとて年頃の令嬢。綺麗な物は大好きだ。

折角話を聞いたのだから、一輪でも美しい深紅の薔薇アーネストが咲き乱れる温室を一目見てみたかったが、偽物の婚約者には身分不相応な願いの気がして、強請るのは戸惑われた。


――きっと特別な場所だもの。お願いしたところで困った顔をさせてしまうわ。


今まで自制出来ていたのに、我ながらここ数日で随分と欲張りになったものだとため息が漏れる。

気を張っていた分、男装があまりにも平然と受け入れられてしまったことで、すこし気が緩んでいるのかも知れない。


「さあ、アンネリーゼ様。私たちも参りましょう」


気を引き締めなければと背筋を伸ばし、コーデリアは物腰穏やかに手を差し伸べた。

淑女のエスコートは紳士として当然の嗜みだ。何ら間違ったことはしていないはずだが、何故かアーネストは不機嫌に顔を歪めた。


「あの、アンネリーゼ様?」

「――そうね」


とげとげしい返事と共に、思いの外大きな手が添えられる。

瞬間、踏み出しかけた方向とは逆方向に引っ張られ、コーデリアはつんのめりそうになりながらも慌てて体勢を整えた。


「あの、アンネリーゼ様。どちらに」

「貴女はこっちよ」

「あの、でも」


せめてエセルバートに挨拶をすべきでは。

狼狽えながら振り返ると、無事恋人と合流したティリラが微笑んで手を振っていた。

エセルバートも、どうやら咎める気は無いらしい。

小さく頭を下げる間にも踏み出す足は入り口から遠ざかり、やがて温室の前で止まった。

丸屋根型の温室は換気のためか天窓が開いており、うっすらと薔薇の香りが感じられる。全体にきちんとはまったガラスの向こうには、深紅の薔薇が瑞々しく咲き乱れているのが見えた。

その外観だけでも美しいと、コーデリアはほうっと息を吐く。


「アンネリーゼ様?」


薔薇を見せてくれるつもりなのだろうか。

首をかしげれば、不機嫌そうな顔が向けられる。


「アーネストよ。そう呼んでと言ったでしょう?」

「あ、申し訳ありません。……アーネスト様」


どうやら不機嫌の原因はそれだったらしい。

訂正された名前に満足げに頷くと、アーネストは温室の前に座る老人に声をかけた。


「ローガン」

「おや、アーネスト様。人を連れていらっしゃるとはお珍しい」


柔和な顔をほころばせながら、ローガンがコーデリアに微笑みかける。


「ご兄弟にしては見慣れん顔じゃ。親戚筋の方でしょうか」

「あ、私は」

「わたくしの婚約者なの。それで、薔薇を一輪差し上げたくて」


戸惑い無く発せられた言葉に思わず目を瞠る。

理解していたつもりだが、いざアーネストの口から婚約者と紹介されると何だか気持ちが落ち着かなくなった。

居心地悪げに身じろいだコーデリアを微笑ましげに眺めながら、ローガンはゆっくりと立ち上がる。


「おやおや、それはそれは。今日は東側のものが見頃ですよ」

「わたくしが手ずから手折って差し上げたいの。あなたは此処に居て。二人っきりにして」


ガラス張りのドアに手をかけたローガンを制し、困った様に首を振るアーネストにローガンは相貌を崩す。


「おお、これは気が利きませんで。爺が此処で見張っておりますので、どうぞごゆっくり」


老庭師ににこにこと見送られ足を踏み入れた温室は、ほの暖かさと濃厚な薔薇の香りに満ちていた。

薔薇は十字路によって区切られており、中央には休憩用のスペースが整えられている。


「良い香り」

「アーネストは香りの強い品種なのですって。――貴女、王家の薔薇を知っている?」

「はい。先ほどティリラ様から教えて頂きました。王家の名を冠した薔薇を、此方で育てていると」


ローガンによって愛情込めて育てられたであろう薔薇はどれも美しく、コーデリアはうっとりとため息を零す。


「そうよ。このアーネストは、わたくしが生まれた時に、一番美しかった薔薇」


深紅の薔薇を撫でながら、アーネストはその一つに鋏を入れた。

薔薇を扱う事が多いのか、トゲを抜く様は手慣れている。


「わたくしね、お兄様に怒られてしまったわ」

「え?」


何か、怒られる事があっただろうか。

ティリラへの過剰な接触についてならば、わざわざ語って聞かせる謂われは無いけれど。

ため息と共に差し出された薔薇を受け取りながら、コーデリアは首をかしげた。


「婚約者の気遣いを汲めないなんて、って。――気を遣わせたのは分かっていたの。ごめんなさい」


唇を尖らせる姿は、どう見ても少女のものだった。

けれど、謝罪の際に向けられたまっすぐな視線に思わずどきりとする。

綺麗な瞳だった。

ティリラを映す時、その瞳は甘く溶けるのだろうか。

ふとそんな不謹慎な事を考えてしまい、慌てて視線をそらす。


「いいえ。アーネスト様が謝るような事は、何も」


そもそも、謝られるような事では無いのだ。

コーデリアがあの雰囲気に耐えられなかっただけなのだから。


「明日からは此方でお話ししましょう。そうね、お茶の時間が良いわ」

「明日?」


視線を戻すと、不思議そうな顔と目が合った。


「お兄様に聞いたわ。貴女は、しばらく此方に滞在するのだって。お話をするのに、人の目があると何かと面倒でしょう?」

「ええ。それはそうですが」


話す理由が無いと思ったのだ。

様子を見るに、何かしなければいけない事がある訳でも無く、ただ単にお茶の誘いの様だった。

婚約者といっても仮の存在。しかもティリラに浅からぬ感情を抱いている風なアーネストが、積極的に仲を深めるような真似はしないと思っていたコーデリアは戸惑う。

言葉を濁していると、途端にアーネストの顔が不機嫌に歪んだ。


「わたくしとお話しするのが嫌なの?」


その表情に迷子の子どもが重なったのは、不機嫌そうに細められた瞳が不安気に揺れているのが見えてしまったからだ。


「いいえ、ちっとも。では明日、此方に参ります」


だからつい、了承してしまった。

今まで接したことの無いような高貴な身分の人と一体何を話すと言うのだろう。

それで無くても、この一年引きこもっていたコーデリアには人を楽しませる話題など分からない。


「そうして。その薔薇を見たらここに通して貰える様にしておくわ」


つんと澄ましたアーネストを見つめながら、コーデリアは話題を集めるべく思考を巡らせるのだった。






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