EP 2
平原の罠(スリムの鉄槌と、動かざる死神)
鬱蒼と生い茂る熱帯の密林を抜け、第15軍の先陣が「その場所」に到達した時。
先頭を進んでいた将兵たちは、一様に息を呑み、足を止めた。
「……なんだ、ありゃあ……」
視界を遮るジャングルの木々が途切れ、眼前にどこまでも続く広大な緑の絨毯。
インパール平原である。
だが、兵士たちの目を釘付けにしたのは、美しい平原の景色ではなかった。
平原の向こう側、インパール市街地を取り囲むようにして、陽光を反射する無数の「鋼鉄の塊」が、ずらりと横隊を組んで待ち構えていたのだ。
大英帝国第14軍の誇る、第254インド戦車旅団。
およそ100両を超える『M4シャーマン中戦車』が、30トンの巨体に75ミリ砲を天に向け、鉄の城壁のごとく平原を塞いでいる。
その後方には、重砲兵連隊の火砲が幾重にも陣地を構築し、さらに上空では、爆音を轟かせて『ホーカー・ハリケーン』戦闘爆撃機の編隊が、獲物を狙う鷹のように旋回を繰り返していた。
「……見事なお出迎えだな。大英帝国の工業力を、これでもかと見せつけてきやがる」
先頭のジープの上で、坂上真一(牟田口)は双眼鏡を下ろし、咥えていたプレイヤーズのタバコから紫煙を吐き出した。
史実において、日本軍はこの圧倒的な物量差を前に「精神力」という名の無謀なバンザイ突撃を敢行し、文字通り挽肉となって平原の泥に沈んだ。
イギリス軍司令官・スリム中将が引いたこの陣形は、戦車、大砲、そして航空支援が完璧に交差する、逃げ場のない『巨大なキルゾーン(殺戮地帯)』であった。
「……閣下! 敵は平原で我々を待ち構えております!」
佐藤賢了師団長が、血走った目で坂上を振り返った。
彼の右手は、すでに腰の軍刀の柄を固く握りしめている。
「我々第31師団が先陣を切ります! あの鉄屑の群れ、大和魂と肉薄攻撃で叩き割ってご覧に入れます! 全軍、突撃準備ィ!!」
佐藤の雄叫びに呼応し、血気盛んな兵士たちが小銃を構え、平原へと飛び出そうと腰を浮かせた。
「……待て」
だが、その熱狂を、背後から放たれた氷のように冷たい一言が凍りつかせた。
坂上が、ジープの上から佐藤の肩を、分厚い掌でガシッと掴んだのだ。
「閣下……?」
「誰が進んでいいと言った、佐藤。……俺の命令なしに一歩でも平原に足を踏み入れた奴は、俺がこの鉄パイプで頭(カチ割)るぞ」
坂上の瞳には、かつての「万歳突撃」を是とする昭和の将官の狂気は微塵もない。
そこにあるのは、防衛省J5において現代の兵器体系を知り尽くした、極限まで冷徹な『イージス艦長』の論理だった。
「いいか、よく見ろ。敵の戦車群の配置、上空の戦闘機の旋回半径……あれは完璧に計算された『十字砲火』だ。遮蔽物のない平原に歩兵が飛び出せば、3分で肉片一つ残らず蒸発するぞ」
「し、しかし! このままジャングルの縁に立ち止まっていては、インパールを落とすことなど……!」
「馬鹿野郎。相手が『ここに来い』と口を開けて待っている罠に、ノコノコ飛び込んでやる義理がどこにある」
坂上はタバコを足元に捨て、ゆっくりとジープから降り立った。
「全軍に伝達! 現在地(ジャングルの縁)にて前進停止! 一歩も平原に出るな! 直ちに散兵線を敷き、擬装網を張って『対空陣地』を構築しろ!!」
その絶対的な命令に、佐藤をはじめとする将兵たちは一瞬戸惑ったものの、坂上への狂信的なまでの信頼が勝った。
数万の軍勢が、平原に飛び出す寸前――イギリス軍の射程のわずか外側で、ピタリとその動きを止めたのだ。
* * *
「……どういうことだ。なぜ、奴らはジャングルから出てこない?」
インパール市街地、イギリス軍の前線観測所。
スリム中将は、双眼鏡越しに日本軍の奇妙な動きを見つめ、ギリッと奥歯を鳴らした。
「狂信的な日本兵のことだ。我々の姿を見れば、雄叫びを上げて平原に突っ込んでくるはず……! そこで戦車の榴弾と航空爆撃で一網打尽にする手はずだったのに!」
「か、閣下! 日本軍はジャングルの境界線に沿って、土嚢を積み始めています! 完全に防御の構えです!」
観測将校が、信じられないものを見るような声で報告した。
「馬鹿な……! あのムタグチは、インパールを攻め落としに来たのではないのか!? なぜ、あと数キロの距離で立ち止まり、我々を無視して陣地を掘り始めるのだ!?」
スリムの背筋に、再びあの名状しがたい『恐怖』が這い上がってきた。
彼が想定していた「野蛮な日本軍」のマニュアルが、またしても通用しない。相手は、大英帝国の圧倒的な火力を前にしても全く熱くならず、冷徹に「最も安全な位置」で立ち止まったのだ。
「……ならば、こちらから射程内に引きずり出すまでだ」
スリムは、震える声を無理やり抑え込み、通信兵に怒鳴った。
「第3戦術航空軍に命ず! 上空で待機しているハリケーン全機、ジャングルの縁に張り付いている日本軍陣地へ、機銃掃射と爆撃を開始せよ!! 奴らを泥の中から炙り出せ!」
名将の意地を懸けた、空からの鉄槌。
上空を旋回していた数十機のハリケーン戦闘爆撃機が、一斉に機首を下げ、日本軍が潜むジャングルへと急降下を開始した。
12丁のブローニング機関銃が火を噴き、大地を切り裂くような轟音がインパール平原に響き渡る。
だが。
「……来たな、坊ちゃん共」
ジャングルの木陰で、坂上真一は頭上から迫る死の鳥を見上げながら、不敵な笑みを浮かべていた。
彼の傍らには、第3章の夜襲でイギリス軍から奪い取った、真新しい『大型無線機(No.19ワイヤレスセット)』が数台、ズラリと並べられている。
「……通信班。イギリス軍の航空無線の周波数は合わせているな?」
「はっ! 英語の分かる情報将校を配置し、敵機の通信を完全に傍受しております!」
坂上は、太い腕を組み、かつてイージス艦のCIC(戦闘指揮所)でミサイル防衛の指揮を執っていた時と全く同じ、氷のような声で命じた。
「さあ……大英帝国に教えてやれ。現代の情報戦って奴をな」




