EP 10
反転攻勢の狼煙
ポツリ、と。
泥濘の海に落ちた最後の一滴を最後に、ジャングルを支配していた狂気の雨音が、不自然なほど唐突に鳴り止んだ。
昭和19年、晩夏。
ビルマ・インド国境地帯において、数ヶ月にわたって猛威を振るった雨季が、ついに終わりを告げたのだ。
分厚い灰色の雲が割れ、そこから眩いほどの太陽の光が、チンドウィン川東岸の『前進陣地』へと真っ直ぐに降り注いだ。
「……晴れた」
「雨が……雨が上がったぞッ!!」
地下壕やテントから這い出してきた兵士たちが、泥だらけの顔を天に向け、目を細める。
史実において、この雨季明けの太陽の光を浴びた日本兵たちは、骨と皮だけになった幽鬼のような姿であった。
だが、今の彼らは違う。
大英帝国から奪い取ったコンビーフとビスケットでカロリーを満たし、特効薬によって病魔を克服した彼らの体には、分厚い筋肉と、野獣のような闘争心がみなぎっていた。
「総員、第一種戦闘配置だ。モタモタするな!」
陣地の中央に、低く、しかし陣地の隅々にまで届く絶対的な声が響き渡った。
第15軍司令官、坂上真一(牟田口)である。
彼は泥を落とした真新しい軍服に身を包み、腰には魔改造された『十四年式拳銃』、そして背中には、彼を「死神」たらしめる凶悪な『鉄パイプ』を背負っていた。
その口元には、奪った『プレイヤーズ』のタバコがくわえられ、紫煙が晴れ渡る青空へと真っ直ぐに立ち昇っている。
「閣下! 全軍、出撃準備完了いたしました!」
佐藤賢了師団長が、猛将の顔つきを取り戻し、軍刀の柄に手をかけて進み出る。
その後ろには、整備が行き届き、泥対策の施された機関銃を構える歩兵たちと、弾薬や食料を満載した『高機動型リヤカー部隊』が、地響きを立てんばかりの整然とした隊列を組んでいた。
坂上は、ゆっくりと演壇代わりの弾薬箱の上に立ち、数万の「配下」を見渡した。
「……長かったな、お前ら」
マイクはない。だが、J5で鍛え上げられた発声法と、暴走族総長としてのカリスマが乗ったその声は、兵士たちの魂を直接揺さぶった。
「雨と泥にまみれ、塹壕の中で息を潜める日々は、今日で終わりだ。……俺たちは生き延びた。大英帝国の物資を喰らい、奴らの大砲をへし折り、誰一人として無駄死にすることなく、この地獄の底で『牙』を研ぎ澄ませてきた」
兵士たちの間に、ゴクリと息を呑む音が広がる。
彼らの目に映る坂上は、もはや神に等しい。この男の言う通りに動き、この男が引いた図面に従えば、絶対に勝てるのだという狂信が、全軍を一つに結びつけている。
「雨が上がれば、イギリス軍の飛行機が飛んでくるだろう。……だが、遅ぇんだよ」
坂上は、吸い終わったタバコを足元の泥で踏み消し、ニヤリと獰猛に笑った。
「奴らの戦車は泥で錆びつき、砲兵陣地は俺たちが吹き飛ばした。スリム将軍とやらは今頃、怯えた子犬のようにインパールのコンクリートの奥で震え上がっているはずだ。……俺たちが築き上げた完璧な兵站の前に、大英帝国の誇りはすでにへし折られている」
坂上は、背中に背負っていた鉄パイプを引き抜き、西の空――アラカン山脈の向こう、インパールの方角へと真っ直ぐに突きつけた。
「防衛戦はここまでだ。これより我が第15軍は、盤石の補給線をもって、インパールへ向けた『反転攻勢』を開始する!」
「おおおおおおおッ!!」
兵士たちの血が沸騰する。
「精神論はいらん! 飯を食い、システムを回し、圧倒的な火力と暴力で、イギリスの坊ちゃん共をインパールから叩き出せ!!」
「牟田口閣下、万歳ッ!!」
「大英帝国をぶっ潰せェェェッ!!」
地鳴りのような咆哮が、ジャングルの木々を揺らした。
それは、史実のインパール作戦で響いた「玉砕覚悟の悲愴な叫び」ではない。
勝利を確信し、圧倒的な力で敵を蹂躙するために解き放たれた、最強の捕食者たちの雄叫びであった。
「第31師団、前進ッ!! 地獄の底から這い上がった我らの力、見せつけてやれ!!」
佐藤師団長が軍刀を抜き放ち、前進の号令をかける。
ギシギシとリヤカーの車輪が回り、数万の軍靴が力強く大地を踏みしめる。
彼らの背中には、もはや飢餓の恐怖も、死の影もない。
あるのは、先頭を歩く巨漢の将軍――「理性の化け物」にして「鉄パイプの死神」に対する、絶対の信頼だけだ。
「……さあ、スリム将軍。チェックメイト(詰み)の時間だ」
坂上真一は、インパールへと続く泥道を歩み出しながら、誰にも聞こえない声で低く呟いた。
現代のイージス艦長が、昭和の狂気を完全に制御し、自らの「最強の軍隊」として作り上げた第15軍。
彼らが大英帝国の息の根を止めるための、最後にして最大の進撃が、太陽の光と共に幕を開けた。




