【IFストーリー】私、立候補します if暗黒報道#53
近未来の専制国家「日本」 「逆らう奴は殺す」。軍事国家を目指し、報道を弾圧する最高権力と闘う天才女性記者。権力と報道機関の内幕を抉る社会派サスペンスのIFストーリー
「これって、本当に起きていることなの。ディープフェイクじゃないの?」。伊藤楓が悲鳴をあげた。
テレビをジャックした会見で下河原総理は、「北方独国」のフリゲート艦が海上保安庁の巡視船にミサイル攻撃を仕掛けてきたことを発表した。巡視船が損傷した映像がテレビで流された。
「いや、これは現実だ。巡視船が攻撃を受けた映像はリアルすぎる」。井上諒はひと呼吸おいて興奮気味に言った。
「日本で戦争が始まろうとしているんだ」
テレビ画面に、下河原総理が再び現れた。
「緊急事態宣言を発令します。全国民は安全な場所へ避難をしながら、政府からの発表を注視するように」
それだけ言うと、画面から消えた。代わって、官房長官が現れ、説明を始めた。
衝突は突発的に起きた。「北方独国」のフリゲート艦が日本の領海に侵入したことから、海上保安庁の中型巡視船が駆け付けて警告した。3回目の警告をしたところ、フリゲート艦がミサイルを発射。中型巡視船の左舷に命中して爆発した。
戦争が始まるのか。大神のマンションに集まっていた誰もが固唾を呑んで聴き入った。驚きとショックで言葉が出なかった。
「うーん、うーん」。静寂を破ったのは大神だった。気難しい表情でテレビ画面を睨みつけ、突然、うなりだしたのだ。
「先輩、先輩、大丈夫ですか。ショックでおかしくなっちゃった?」。楓が大神に声をかけた。
画面は総理によるテレビジャックからニュース番組に戻った。「北方独国」との衝突、緊急事態宣言の発令をアナウンサーが繰り返して伝えた。
「おかしい。絶対におかしい」。うなっていた大神が声を発した。
「なにがおかしいんだ。確かにいきなりミサイルを発射してきたことは理解に苦しむ。ただ、『北方独国』はもともと何を考えているのかわからないからな。おかしいと言えばすべてがおかしいことだらけだ」。井上が言うと、「そうじゃないんです」と大神が遮った。
「北海道へのミサイル着弾の時もそうでしたが、国民への第一報が下河原総理による会見での説明から始まっています。日本海での本格的な衝突であれば、現場、当事者、関係者は大混乱しているはずです。救援信号もでたでしょう。海上保安庁は大騒ぎになっているはずです。沿岸の自治体や警察も同じです。もちろん、防衛省や自衛隊にもすぐに連絡がはいり、出動態勢がとられたでしょう。関係する組織、団体には報道記者が張り付いています。それぞれの場で発表もあるだろうし、発表がなくても記者は異変に気付くはずです。総理のところに具体的な情報が上がり会見する前に、なぜ、どこからも速報が流れなかったのでしょうか」。大神が一気にまくしたてた。
「そう言われてみると、おかしいわね」と永野が言うと、井上は「確かに速報があってもいいはずだな。テレビニュースも下河原総理の緊急会見の直前には別の事故のニュースを流していた。政府による情報管理、統制が徹底されているのだろうか」と首を傾げた。
「戦争が起きようとしているんですよ、この日本で。フリゲート艦と巡視船の衝突は発生ものです。政策とか人事案件の発表とは違う。総理大臣が会見で明らかにするまで秘密にしたり、報道を控えさせたりなんてできるはずはありません」。大神は断言した。室内はシーンと静まり返った。
日本海に出動した自衛隊と「北方独国」の艦船同士が砲撃を交えた。緊急発進した戦闘機同士の空中戦が展開された。「北方独国」のミサイルが日本海の排他的経済水域の内側に何発も撃ち込まれた。官房長官はたびたび会見に臨んで国民に対して状況の説明をした。
1時間ほどすると、テレビはさまざまな場所で撮影した映像を流し始めた。日本海沿岸の自治体、警察署の緊迫した様子、自衛隊の基地から発進する戦闘機、港を出航する艦船……。日本海に面した場所に建つ原子力発電所の様子も映った。非常事態に備えて職員が右往左往していた。防衛省の会議室に設けられた対策本部では、長机の真ん中に座った防衛大臣が各方面からの報告を厳しい顔で聞いていた。
冒頭5分間だけ、報道関係者の入室が認められ、テレビカメラが発言者のアップのほか、会議室全体を俯瞰撮影した。真剣な表情の参加者たちと、その後ろに立ったままの大勢の職員が必死にメモをとっていた。
「ストップ」。テレビ画面を凝視していた大神がそう言って、最新の巻き戻し機能を使って、画面を少しだけ戻した。防衛大臣が報告を聞く緊迫した会議の様子だ。大神は、端の方で目立たないように立つ男を凝視した。男は一瞬、顔をあげて会議の発言者の方を見て再び下を向いた。
特徴のある顔を以前見た記憶があった。1年前、大神は日本記者クラブの年間大賞を受賞したが、授賞式の後、名刺交換した参加者の中にいたような気がする。目をつぶって集中した。一人の男の顔がくっきりと浮かんできた。「ノース大連邦」の駐日大使だった。なぜ、この男が対策会議の会議室にいるのか。誰が入室を許可したのか。
そう言えば、「ノース大連邦」の外務大臣が来日した際、下河原と外務大臣の会談に駐日大使が同席していたことは記事で読んだ。あの会談で、なにが話し合われたのか。外交、防衛に関する密約の内容についての協議は当然あっただろう。そしてほかにも……。考えられるのは、公選首相の選挙で下河原が圧勝するための協力態勢についてではないか。「ノース大連邦」は世論誘導が得意中の得意であることは知られている。
「わかったわ。これは、仕組まれた戦争です。背後で糸をひいているのは『ノース大連邦』。日本も『北方独国』にも筋書きが渡されていたはずです。だから衝突の発生から総理の会見までの時間が短かった。よって速報さえも出なかった。そして間もなく停戦になるはずです」
「はー?」。楓と永野は唖然とするしかなかった。次に続く大神の言葉を待った。どうしてそう決めつけたのかについての解説が聞けるはずだ。
しかし、大神の口から出てきたのは意表を突く言葉だった。
「私、私、首相公選に立候補します」
「えー」。大神以外の全員が目をむいて驚いた。
「いきなり何を言い出すんだ。さっきまで立候補しないと言っていたのに。一体どうしたんだ」。井上がびっくりして聞いた。
「許せないんです」と大神がぽつりと言った。
「なにが許せないの?」。永野が聞いた。
「今は言えません。立候補の表明は公示の2か月前にしてください。それまで私は地下に潜ります」と大神が言うと、「地下に潜るって、今も半分、潜っているようなものじゃない」と永野が返す。いきなりの立候補宣言にまだ半信半疑だった。
「まさか」。井上がはっと気付いた声をあげた。「記者活動を本格的に再開するのか」。記者の世界では、「地下に潜る」というのは、水面下のネタを探す意味で使ったりする。
「やったー。そうこなくっちゃ。大神由希が記者に戻ってスクープを放つ」と楓がはしゃいだが、「それでなんのネタ?」
「記者としてやり残していることがいっぱいある。とにかく1か月間は自由にさせてください。今から取材と執筆活動に専念します。そして必ず立候補表明の会見には出ます」
「野党公選協の中からは『記者活動なんてしている場合ではない』という意見がでるだろうな。今でも変装しながらだが取材は続けているじゃないか。公示まで3か月を切ったんだ。とにかく知名度を上げなければいけない。しかも『北方独国』との戦争がどうなるかわからない状況だ。一刻も早く立候補表明をして候補者として動いて発言してほしい」と井上が言った。
「1か月間は、取材で自由に動き回る。その間、候補者として名前をあげてもらっても結構です。私は大神由希として堂々と取材します。それが立候補の条件です。そうでなければ私は立候補しません」。大神が頑固に言い張った。
「わかった。1か月経ったら必ず戻ってきて、立候補の発表をしてくれるんだな」。井上が念を押した。
「それは約束します」
「警護はつけるから。身の安全が第一だ。君は無謀すぎるからな」
「よくわからないけど、急転直下、決まったわね。田島とはあまり話したくないけど仕方がないわね。今すぐ、大神さんの立候補についてだけは連絡しておくわ。田島から野党公選協に連絡がいって緊急の会議が始まるはずよ。そうなると後戻りはできないからね」。永野は大神に確認した。
大神は強くうなずいた。決意は固かった。
「北方独国」は、日本の総理大臣に対して全面的な謝罪と、艦船が受けた損害に対する賠償を一方的に要求していた。受け入れられなければ、日本本土に核ミサイルを撃ち込むと脅してきた。これに対して、下河原総理は脅しには屈しないと強硬な姿勢をとり、防衛大臣に細かい指示を出した。
全面戦争に突入する。国民の誰もがそう思った。「北方独国」に対する怒りの感情が湧き出てきた。同時に、今後本格的に戦争に突入して想定される大惨事を思って悲嘆に暮れた。
だが、状況は一変した。突然、「北方独国」が停戦を申し入れてきたのだ。下河原総理はこれに応じ、協議が始まった。
下河原の会見での国民向けの説明では、「ノース大連邦」の大統領が、日本と「北方独国」の間に入り調整に乗り出した。両国首脳との複数回にわたる交渉の末、「北方独国」が停戦を求めてきたという。
「北方独国」は最初にミサイルを撃ったことについて、日本に謝罪した。そして両国間で、これ以上の軍事的な衝突を止めることで合意した。今後、事後処理について「ノース大連邦」の首都で、両国の外務、防衛大臣らが直接会って話し合われることになった。
日本国民は全面戦争が回避されたことで安堵した。軍事大国「ノース大連邦」の大統領と良好な関係を築いてきた下河原の功績だと評論家が口をそろえた。
下河原の評価が国民の中で上がっていった。
(次回は、■禁じ手を使って特ダネ入手)
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