1.ズル休み
「……すっごい豪邸!ハイグレードのペンとハウスの最上階とか、普通住めないって」
俺は気を失った遭遇者を寝室に寝かせ、リビングを一望していた。
見上げれば、遠くの天井扇がのんびりと旋回している。
さてと違和感があった。
いかにも金持ちでございの大豪邸だが、他の住人の気配がないのだ。それどころか警備すらない。
まるで俺たちが来るのを待ち構えていたような……バケモノの舌に乗ったような居心地の悪さを感じた。
居心地悪くソファに腰をおとした時、示し合わせたかのようにバディがPC画面を突き出す。
「調査結果がでた。驚け、あの小娘は【イルミナの前会長の一人娘】だ」と。
「へええ? 今、なんて?」
俺は腹から素っ頓狂な声をあげたものの、聞き間違いでない事はバディの目を見てわかった。マジどころか、大マジの目だ。
居心地の悪さに納得。
俺は急くように立ち上がり、続くよう手でバディを急かした。
「冗談よせよ。イルミナっていえば世界医療機関の大元だけど、裏じゃ生物兵器の研究開発をしてる軍事組織の一端じゃん。……ていうか、俺たちの敵組織!
もしイルミナにバレたらヤバいどころじゃないぜ。あの娘の記憶を消して、とっとと退散しよう」
至極当然の案にバディは静かに首を振った。
「いや、上官殿は〔現状まま任務を続行せよ〕とのことだ」
言って、乙にすまし続ける。
「あの小娘と同居し、動向を探る。異論はないな」
ひとつ間があった。正しくは、驚きで声が出なかったわけだけど。
こいつめ~俺の方が階級が上なのを忘れやがって!とか思ったけど、それよりも。
あっけにとられて転がるように、俺の喉から本音が勝手に飛び出した。
「うそだろ? イカれてんじゃないのか、あのクソ眼鏡の上官殿は」
転がった本音にバディが不愉をあらわに眉を潜める。
「上官殿を悪くいう事は許さん。任務は続行だ」
俺は大きなため息とともに肩をすくめるしか抗議できなかった。クソ眼鏡とはいえ上官殿の命令は絶対なのだ。
ことバディはクソ眼鏡を心酔している。尻尾どころかケツを振ってるんじゃないかってほどだ。
さておき。俺は最後の抵抗をみせることにした。
「あの娘がもしイルミナの撒き餌(罠)だったらどうすんだよ? 下手すりゃ俺たちが危険だぜ」
「それを決めるのは上だろうが。意見するなら昇級してからにしろ」
ま、そりゃごもっとも。迎撃のような返しにぐうの音も出ない。まったく、こいつの捨て駒精神は毎度ながら呆れるね。
タイミングよく任務を邪魔したのが、敵組織の一人娘だって?
上も開口一番〔現状まま任務続行〕だなんて、どうも臭うぜ。
だけど悲しきかな、下っ端は妙な違和感を呑みくだすしかなかった。
そりゃ俺も男ですから、年頃の娘と同棲生活は大歓迎! それが敵組織の一人娘じゃなければね。
かくして俺たちは、クソ眼鏡こと上官殿の指令で【イルミナの前会長の一人娘】と一つ屋根の下、となるらしい。
「……下っ端とはいえ、汚れ仕事ばっか!」
バディは応えない。ピアニストのようにキーボードを叩く横顔は涼し気だ。
あの娘が目覚めたら、どう言いくるめる気なんだろう?
でも正直な話、【イルミナの前会長の一人娘】はなかなかに可愛い子猫チャンだ。
……プライベートではぜひともお茶したいほどさ!
……・……
「ああ、どうしよう~、完ッ全に遅刻だわ、宿題も全然終わってないのにー!」
エレナは情けない声を漏らしつつ、歯を磨きもって鞄に教科書を詰めていた。ふとスマホに目が行く。
「うわっ! 学園から着信の嵐だわ!」
そう噛み潰すよう言って、まるで幽霊から着信を受けたように思わず身を引いた。
その様子に目を丸くしたゴハンが、思わずポツリと呟く。
「今日くらい風邪ってことで休んじゃえばー?」と。
エレナは手を止め、目から鱗にゴハンを見た。
「……それって、ズル休みしちゃえってこと?」
罪悪感の現れたエレナの半笑いに、ゴハンは軽く頷いた。
エレナはまばたきひとつ、ゆっくりとパンを見た。
パンもどうということなく、ゴハンのように軽く頷く。
「逆に、宿題もやってない上こんな時間に登校する気か? 吊し上げをくらうより休んだ方がマシだと思うがな」
まさかの後押しにエレナはまばたきひとつ。
ちょっと考えて意を決し、スマホを耳に当てたのだった。
「そ~なんです! クシャミがとまらなくて……えっ熱? ……あ~! ちょっとあります、たぶん。はい……失礼します、ごほっごほ」
真剣なエレナのとんだ茶番に、パンが呆れに顔をそらし、ゴハンが思わず噴き出した。
通話を終えたエレナが緊張の残る顔で2人を見る。
「……ズル休みしちゃった」
うまくやったつもりなのだろう。その天然っぷりにゴハンが敬意をこめた拍手を返し、パンはなんともいえない表情で頷いたのだった。
肩の荷が下りたのか、エレナはすっかり上機嫌に宿題を広げた。
「開放的~! いいのかな、ああ、ドキドキする! 宿題やっちゃお、終われば自由だわ」
上機嫌というよりは妙なテンションだが、罪悪感をひた隠すかのようなそれはまだ緊張が残っていた。
椅子の背を抱えたゴハンが、それとなくエレナにふる。
「学校をサボッた事は?」
エレナは教科書をめくり、ペンを取り出して至極当然のように言った。
「あるわけないじゃん、不良じゃないもの。ゴハンはサボッたことあるの?」
ゴハンは冗談およしよと言わんばかりに、おばちゃんよろしく手を振って返してみせる。
「あるある。もうしょっちゅうよん」
「まー! 不良だわ……!」
エレナはまさかの答えに目をチカつかせたのだった。
ちょっと静かな間があった。
エレナはノートにペンを走らせ、パンは新聞を広げている。
ゴハンはゲームをしていたものの、暇を持て余してそれとなくエレナの向かいの椅子に腰かけた。
ティンクルな可愛いペンケースから、ガキくさいミルキーなペンが数本飛び出している。塗り絵でもできそうな本数だ。
「可愛いペンだね」と肘をつきゴハン。
エレナはパッと顔をあげた。
「でしょ。今クラスで流行ってるの。マーメイドカラーで、擦れば色が変わるのよ。アンヴェガ(歌手)もサインに使ったんだって」
言って、ノートの隅に簡単な花の模様を描いてみせた。ちょっと乾かして爪でこすると、銀色だった花がピンクに変わる。
感心したゴハンがふと、エレナのペンを見た。派手なペンだが、ペン尻に大きな綿毛がついているのだ。
「ねぇ、なんでペン尻に綿毛ついてんのー?」
エレナはちょっと得意げに目を細めた。
「いいでしょ!〔ぽんぽん綿毛〕よ。今すっご~く流行ってるんだから。クラスで持ってるの5人だけなの」
「へー!俺ン家にもあるぜ、耳かきの尻についてんだけどネ」
宿題の手が止まったエレナをみかねたパンが、溜息一つエレナの隣に腰かけた。
無言の重圧に、はしゃいでいたゴハンとエレナが貝になる。
またまた静かな間があった。
ペンを走らせる音に合わせ、ペン尻の綿毛が穏やかに揺れる。
沈黙に水を打つかのように、パンが口火を切る。
「他の住人はいないようだが、一人暮らしは寂しくないのか?」
「知らない」
「知らないって……、自分の事だろう」
エレナは応えない。意図的な黙殺にパンが新聞を伏せ、ふと斜め向かいのゴハンと目が合う。合って、互いにエレナの顔色を伺った。
「モーガン?」
「エッレナちゃーん」
エレナは黙りこくっていたが、応えるように前のめり、ノートに食いついた。
宿題に集中しているというよりは、露骨に無視だ。
パンはふと、エレナの筆圧が高く、荒くなっている事に気付いた。
綺麗な字だが、筆跡に抑圧された環境下が現れている。なので、それ以上は追及しない事にした。
…
「終わったー!」
エレナが大きく背伸びをし、投手のように肩を回す。
「パンってば先生みたいね。勉強教えてくれてありがと! すごくわかりやすかったわ」
紅茶を傾け、パンが軽く笑みを返す。その仕草にどきりとしたエレナは、手串で髪を整えつつゴハンに向き直った。
ふと見れば、ゴハンはエレナのスクイーズ(柔らかいお菓子のオモチャ)を餅のように伸ばして遊んでいる。
「ゴハン~、伸びちゃうからあんまり引っ張らないでよね」
「えっあ、ごめんごめん!」
エレナはさてと時計を見た。針は12時を指している。
(今頃、学園はお昼ご飯の時間ね……)
エレナは仮病と偽って学園を休んだことに、まだちょっぴり罪悪感を感じていた。小さな鉛が胸に沈んでいくようだった。
勉強は好きな方じゃないけれど、学園は好きなのだ。
後ろ暗いというか、素直に寝過ごしたと伝えればよかったとさえ思った。
こんな気持ちになるくらいなら、まだ叱られた方がマシだとさえ感じた。
(もう二度と、仮病はつかわないでおこう)
エレナはどこか寂しい気持ちを呑み込み、そう誓ったのだった。
ちょうどその時、パンのポケットから電子音が鳴った。
薄いスマホを出したパンが耳に当てる。一言二言交わし通話を終え、やおら立ち上がった。
「仕事だ。行くぞ、エレナ・モーガン。君にとって、記念すべき初仕事だ」
エレナは寝耳に水に、仰天まま頷いた。
「!! わかったわ」




