3.君との出会い
パンに直してもらった目覚まし時計が、こちこちと時を刻む。
エレナはベッドで一人、ジュリアがくれたライトを強く抱きしめていた。
2人で買い物に行った時、ジュリアがプレゼントしてくれたタクティカルライトだ。
扉ひとつむこうのリビングでは、ニュース速報が慌ただしく流れている。
〔繰り返します。北条家虐殺事件の犯人が自殺。当時の生き残りの北条ジュリアちゃんを刺殺し……〕
エレナは耳をふさいで、首を振った。
(ちがう、ちがう! あれはジュリアじゃない……!)
ドアの音に、エレナは飛び起きてパンに駆け寄った。
「……パン! 本部はなんていってた?」
パンはどこか暗い面持ちで、エレナをベッドに座らせ、静かに隣に腰かけた。
「エレナ。調査で新たなことがわかった。悪い話じゃない」
エレナは大きく頷き、祈るようにパンを見た。
パンは懐から、やや小さめのクリアファイルを手渡す。エレナは広げてみたものの、それが何を意味するのか解らず、パンを見た。
「ジュリアの遺体は人形だった。ジュリアは現状、行方不明だ。ミリアムもな」
それにエレナが目を大きく見開いて「やっぱり!」と声を上げる。
目を丸くするパンに、エレナは矢継ぎ早に告げた。
「だってあのジュリアの人形、真っ白だったもの! 人間の肌の色じゃないわ」
パンはエレナが死体を見たことがないのだと理解し、頷き返す。それにエレナは溶けるように安堵した。
安堵して、想い溜めた言葉が口を出る。
「ジュリアは生きてるのね、本当に、本当によかった……」
そして、思い出したかのように意気込んだ。
「そうよ、きっとジュリアはどこかで捕まってるはずよ。もしかしたらミリアムも一緒かもしれないわ、今すぐ探しに行こう!」
少し間があった。パンはできるだけ冷静に、ゆっくりと首を横に振る。
「いや、これ以上エレナを危険にさらす事は出来ない。サムソンの意図が不透明すぎる今、君を危険に晒すわけにはいかないんだ」
その言葉に、今度はエレナは首を振った。
「足を引っ張らないように努力する。それに黒金くんもきっと力を貸してくれるよ、みんなで早くジュリアを探そうよ!」
パンはそっとエレナの両肩に手を添えた。
「北条ジュリアは公的に死亡と処理され、我々MIBの任務は終了した」
パンの青い瞳が、静かにエレナを見る。
「今日付けで我々は、君の家を出て行く。無関係に戻るんだ、出遭う前のように」
水を打ったような間があった。エレナの大きな瞳にパンが映る。
「……うそ」
エレナは思わずそう言って、寝室のドアに声を投げる。
「うそよ。ゴハン、いるんでしょ? 2人してふざけるのはやめてよ!」
けれど、返事はない。
ドアを開けてリビングを見渡しても、トイレにも浴室にもバルコニーにも、どこにもゴハンはいなかった。
エレナを追ってバルコニーに出たパンがみたのは、振り向きざまに大粒の涙をおとすエレナだった。
パンはどう声をかけたらいいか、わからなかった。
幼さ残る小娘の、寂しさに潤んだ瞳がパンを見る。夜の学園でみたか弱い少女がそこにいた。
雨で洗いたての空に、いつかのように星が輝いている。エレナの金の髪がふわりと風に流れた。
エレナは涙をのんで、やっとの思いで震える言葉を発した。
「……。これが、パンの言ってた思い出……? パン、言ったじゃない。思い出たくさんつくろうって……これがそれなの? これが、パンの言ってた思い出なの……?」
パンは〔違う〕と言おうとして、ぐっと言葉をのんだ。のんで、静かにエレナの肩に触れる。
「すまない。これ以上、エレナを巻き込めない」
「いや!」
エレナは髪を乱れ散らすように、大きく首を振った。「やだ、いやッ! もう独りにしないで!」
突如、崩れるように声をあげたエレナを、パンはさらうように抱きしめた。
いつかこうなってしまうのは必然だった。ただ、予想よりずっと早かった。雪のように真っ白なエレナを、傷つけなくてはいけなかった。
きつく抱きしめられ、エレナは大きな背に腕を回した。離さないように、必死にしがみつくように。
必死にパンの背をかき抱くエレナに、パンは諦めるように目を伏せる。
(……ずっと独りだったこの子が、ようやく弱みを見せてくれたばかりだというのに)
エレナはパンの腕の中で、喘ぐような嗚咽をもらした。
「やだよ、いなくならないで、お願い……ずっとずっと一緒にいてよう……なんでもするから、お願いっ……」
縋るような涙声に、パンは応えない。
夜風が穏やかに2人を撫ぜる。ふと髪にキスをおとされたエレナが、涙まま見上げた。
パンが歯がゆげに視線を交わす。それはこれまでみたことのない表情だった。
「君との出会いが、こんなかたちでなければと思う……」
優しいキスが涙をぬぐい、頬をぬぐい、そして自然に口づける。
それは本当に、優しい優しい口づけだった。
……・……
ふと目を覚ましたエレナは、ベッドの中でひとつ唸り、寝返りをうった。
いつものベッド、いつもの枕。
夕日が部屋を赤く染めていた。それにエレナは瞼をこする。
「……夕方……?」
頭をかき、両足をベッドから放り出す。小さなあくびひとつして、ふとした。
寝る時はいつも外しているレンズが、首にさげられたままだった。
何かが頭にひっかかった。
昨日、何があったのか……思いだそうにも泉に投げた石のように記憶が遠くすっとんでいる。
確かなのは、集合隔離施設でのできごと、そしてジュリアが生きていたということ……
———今日付けで我々は、君の家を出て行く。無関係に戻るんだ、出遭う前のように———
それに、エレナは弾けるように目覚め、転がるように寝室を飛び出した。
静まり返ったリビングに言葉を失う。
そのままクローゼットに飛びつき、扉をあける。
カッターシャツもコートも無い。ネクタイも腕時計も帽子も無かった。TV台の資料、洗濯洗剤、コップや日用品……すべて。
MIBの私物の一切が、夢のように消えうせていた。
———君との出会いが、こんなかたちでなければと思う……———
デスクに一粒、二粒と涙が落ちる。
デスクには、ゴハン達用に作ったカードキーだけが、静かに置かれてある。
エレナは震える手でカードキーを掴み、やり場もなく床に投げつけた。
カードの軽い音がして、それきり。
「っばか……キス、初めてだったのに、……」
夕日が赤く燃えていた。
静かな部屋でまた一人ぼっちになったエレナは、独り涙を流したのだった。
第1部(1st) おわり
第2部(2nd)へ続く
最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。
今後は読み切りをアップしつつ、続編の改稿に着手いたします。
ご感想などいただけたら嬉しいです…!
続編 : https://ncode.syosetu.com/n6218hf/
・FANBOX MIB1st完結記念記事(全体公開)・
https://inexplicable.fanbox.cc/posts/2287019