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ミソサザイの歌  作者: 和泉ユタカ
第三章 〜 Songs of Wren
48/123

狐火(中編)

  2    



「みてみてコレ! 超かわいくない?!」

 公園の水飲み場で喉を潤していると、背後から少女達の華やいだ笑い声が響いてきた。中学生くらいだろうか、年頃の娘と呼ぶにはまだあどけない笑顔を紺色のセーラー服に包んだ一団が近づいてくる。

「制服はやはりセーラー服が一番だな。特に過渡期の娘の夏服はイイ」

 少女達の姿がよく観えるようにと肩に駆け上がった俺に、煉が白い目を向ける。

「……焰が昔ナニで、そして将来ナニになるのか知らないけど、とりあえず女好きの妖ってことだけは確かだと思うな。ってか、オンナ関係で身を滅ぼしたんじゃないの?」

「いや、硬派過ぎてガラスのようにぱりんと割れたのかもしれん。これはその反動かもしれんな」

 呆れ顔で溜息をつく煉に構わず、少女達の姿を楽しむ。五〜六人の集団は皆同じ紺と白の服を身に纏っているにもかかわらず、何やらきらきらと輝き、華やかな色彩の洪水のように見える。

美鈴(ミスズ)は本当にコレ系アイテム好きだよねぇ」

 美鈴と呼ばれた少女が手にした携帯電話を振り回した。

「だって超かわいいじゃん! それにコレって超レアアイテムなんだよ! すごく人気があって、ネットで探しても中々見つからないんだから!」

 携帯に付けられた、しかし携帯の本体よりも大きなヌイグルミのようなモノに美鈴が愛おしげに頬擦りした。

「まぁ確かに可愛いけどさぁ、でも持ち物全部キツネばっかってどうよ?」

 キツネ好きの娘か。悪くない。娘の顔をもっとよく見ようと煉の肩の上で背伸びする。

「だってキツネは私のラッキーチャームなんだもん。昔からどんな悪いことがあっても、キツネにお祈りすると全てが上手くいくんだよ」

「何そのキツネ信仰」と少女達が一斉に笑い声を上げる。

「本当だよ!」とムキになった少女が顔を赤くした。「それにね、私、子供の頃からいつもキツネの夢をみるの」

「キツネの夢?」

「うん、でもキツネが出てくる夢じゃなくて、自分がキツネになって野山を走っている夢なんだけど」

「狐憑きかっ?!」

 笑い転げる集団の真ん中を歩く小柄な少女の姿を見たくて、俺は煉の頭によじ登った。顔をしかめた煉が俺の首根っこを掴もうとした丁度その時、目の前を通り過ぎる少女と目が合った。

 あっ、と声を上げて少女が目を見張った瞬間、首筋の毛がざわりと立ち上がった。

「カケラッ」と叫んで少女に飛びつこうとした俺の尻尾を煉が素早く掴んだ。

「俺のカケラ返せ!」

 喚こうとする俺の口を無理矢理塞ぎ、煉が少女へ向かってにっこりと微笑んだ。


 ❀


 きゃーきゃーと黄色い声を上げて写真を撮って俺を揉みクチャにしていた少女達の集団が去り、美鈴という名の少女だけが後に残ると、ようやく煉が俺の口から手を離した。

「可愛いなぁ。フェネック・フォックスのホムラちゃん。いいなぁ、私も欲しいなぁ」

「……うん、ってゆうか、フェネックじゃないんだけどね」

「え、そうなの?! すごく小さいからてっきり……でもフェネックじゃなくても、こんな小さな狐っているんだ? 本当にすごく可愛い」

 うっとりとした表情で携帯電話を手にムービーを撮っている少女を睨みつけ、俺はゆっくりと口を開いた。

「おい、コムスメ」

「……え?」

 美鈴がキョトンとした表情で、俺の隣に座っている煉を見た。煉が無言でくしゃくしゃと髪を掻き毟る。

「おい、こっちだ、こっち」

 不思議そうに辺りを見回す少女のケータイのカメラにぬっと顔を近付け、軽く牙を剥いてやる。

「こっちだって言うのに、何処を見ているんだ? お前の目は節穴か?」

 声にならない悲鳴と共に放り投げられたケータイを煉が慌ててキャッチする。奴はアレで中々気配りが細やかなのだ。

 地面にへたり込んだ美鈴が震える指で俺を指差し、煉に救いを求めるような目を向けた。しかし煉は肩を竦めるだけで何も言わない。当たり前だ。コレは俺のビジネスなのだから。

「キ、キツネ、しゃ、喋った……」

「俺は只のキツネではない。人語を操るくらい、なんてことはない」

「え、えっと、ただのキツネじゃないって、あの、なんか、もしかして、神様の御使い的な……?」

「馬鹿にするな。俺は誰のパシリでもない」ふん、と鼻を鳴らし、少女を正面から睨みつける。「いいか、要点だけ言う。俺の魂はその昔、何らかの理由で粉々に砕け散った。以来数百年もの間、俺は散らばった俺のカケラを探して旅をしている」

「砕けた……?」

「うむ、そうだ」俺は重々しく頷き、少女に一歩近付いた。「そしてお前に声を掛けた理由は唯ひとつ。俺のカケラのひとつが、お前の中にある」

 ぱちぱちと激しい瞬きと数秒の沈黙の後、不意に少女が鼓膜が破けるような歓声を上げて俺に飛びついてきた。

「ステキ!」息が詰まるほど強く抱き締められ、耳許で叫ばれ、一瞬気が遠くなる。「私の中にホムラちゃんのカケラがあるなんて、きっと運命ね! 私が狐好きだから、それでカケラが私を選んでくれたのよ!」

 余りの言い分に、空いた口が塞がらない。全く、盗人猛々しいとはよく言ったものだ。ケッ、と唾を吐きたくなるのを何とか堪える。

「勘違いするな。お前が狐好きなのはお前の中に俺のカケラがあるからだ。カケラがなくなれば狐になど見向きもしなくなるだろうさ」

「あら、そんなことないわ」少し驚いたかのように少女が目を見開いた。「私にはわかるの。私の中にホムラちゃんのカケラがあってもなくても、そんな事は関係ない。私の中の好きって気持ちは、何があっても変わったりなんかしない」

「……此の世に変わらないモノなどない」己を信じ切った明るい眼に正面からまじまじと見つめられ、何故かひどく居心地が悪かった。「ヒトも、鬼も、心も、正邪や真実ですら、此の世の全ては移ろいゆく」

「私は変わらないよ?」

「ふん、勝手に言ってろ」

 俺が鼻を鳴らしてそっぽを向いた丁度その時、煉の手の中でケータイのアラームが鳴り出した。

「あ、ちょっとごめん」煉からケータイを受け取った美鈴が、「うわ、もうこんな時間!」と言って慌てて立ち上がった。

「ごめんね、もっと話したいんだけど、病院に行かないと」

「病院? どこか悪いの?」煉がさも心配そうに軽く眉を顰めた。いつも思うが、奴のこういった表情は実に真実味と誠実さが溢れている。奴を知らないニンゲンならばイチコロで騙されるだろう。

「ううん、私じゃなくて、弟のお見舞いに行く時間なの」

「弟さんは怪我かなんか?」

「……そうじゃないんだけど」美鈴が僅かに口籠り、しかしすぐに明るい顔で肩を竦めた。「でも大丈夫、もうすぐ良くなるから」

「そう、ならイイんだけど」

 美鈴の表情の一瞬の翳りになど全く気付かなかったかのように、煉がにっこりと微笑んだ。

「マテ。まだ俺の話が済んでないぞ!」

「話?」

「さっきから言ってるだろうが! カケラだ! さっさと俺のカケラを返せ!」

「うん、いいよ」美鈴は拍子抜けするほどあっさりと頷いた。

「……いいのか?」

「もちろん、当たり前じゃない。だってホムラちゃんのカケラなんでしょ?」

「むむ、まぁそうだが……」

「でも今はちょっと時間がないから、明日じゃダメかな? 明日、もし良かったらまたこの公園で――」

「うん、いいよ」俺が口を開く前に煉が素早く答えた。「明日、学校帰りにでもまたここに寄ってくれればいいから」文句を言おうとした俺を押さえつけ、煉が愛想良く微笑む。「あぁ、そうそう、焰のことは誰にも言わないでくれるかな? まぁ、話しても誰も信じてくれないだろうけど。じゃあ、弟さんによろしくね」



  3



 美鈴が去ってしばらくすると、煉もいつの間にやら姿を消した。まぁアイツも色々と忙しいからな。そして俺も別にいつもアイツに張り付いているわけではない。する事もないので、美鈴の中のカケラに想いを馳せつつ昼寝した。そして夕方、涼しい風が吹き始める頃に煉がふらりと戻って来た。

「病院の辺りを縄張りにしてる奴に美鈴ちゃんの弟の噂を聞いてきたんだ。弟って美鈴ちゃんより三つ年下だから、まだ小学生だね」

「ふうん」ふわ〜とアクビしながら耳の後ろを掻く。

「美鈴ちゃんの弟って、腎臓病なんだって」

 そろそろ夕飯の時間だな。しかしこのところ暑さのせいか、いささか食が進まん。蕎麦か素麺か、何かひんやりしたモノが食べたい。

「それでね、来月、腎臓移植を受けるらしいよ」

 そんなことはどうでもいいから蕎麦でも喰いに行こうと言おうとした俺を、煉が妙な眼付きで見やった。

「……なんだ?」嫌な予感に思わず声が低くなった。

「ドナーは美鈴ちゃんだよ」

「……それがどうした」

「カケラ返して貰うの、来月まで待ったら?」

 予感的中。

「ふざけるなッ! ニンゲンの都合なんぞ知るか! 出来るものなら今すぐあの小娘を引き裂いてでも取り返したいくらいなのに、来月までなんか待てるかっ」

「ちょ、焰ってば落ち着きなよ」

 背中の毛を逆立てて喚き散らす俺を宥めるかのように、煉が甘い笑顔をみせる。バカめ、お前の嘘臭い笑みは見飽きている。そんなモノに誰が騙されるか。

「何百年も待ったんだから、この際あと一ヶ月くらい待ったっていいじゃん」

「他人事みたいに言うなッ! 俺の魂の一部だぞ?! その辺の石コロのカケラじゃないんだぞ?! 何百年も苦労して探し続けたモノへの狂おしいようなこの気持ち、お前にわからんとは言わせんぞっ」

「わかってるよ。でもさ、狐は幸運の守り神にもなるから、美鈴ちゃんが焰のカケラを持っていた方が、弟の手術の成功率も上がるんじゃないかと思うんだよね」

「知るかソンナモン!」

「まぁ焰が決めることだから、俺はとやかく言わないけどさ」煉が肩を竦めると、ちらりと横目で俺を見た。「……カケラを返して貰った直後に手術が失敗とかしたら、かなり後味悪いとは思うけどね」

「ウルサイッ! ヒトの一人や二人、どうなろうと俺の知ったことではないっ」

 そうだ、ヒトは自分達の都合しか考えないイキモノだ。何故そんな奴等のことを俺が気に掛けてやらねばらないのだ。そんな馬鹿馬鹿しいことはない。明日まで待つ必要もない。今直ぐにカケラを取り返すべきなのだ。

 さり気無く俺を捕まえようとした煉の腕を素早くすり抜け、俺は熱の残るアスファルトの道を病院へ向かって駆け出した。


 ❀


 美鈴の弟が入院している病院は中々立派な大学病院だった。

 しかし病院というものはオカシナ臭いや妙な気配やヒトの怨念のようなモノが充満し、鼻が利かず、どうも苦手だ。さて美鈴をどうやって探そうか、家で待ち伏せた方が早かったか、などと迷いつつ病院内の中庭をうろついていると、「ちょいと」と背後から声を掛けられた。振り向くと、木陰のベンチに座ったブチ猫が胡散臭げに此方を眺めている。

「ここはアタシの縄張りだよ。通るなら挨拶のひとつくらいしておいき」

 暇を持て余した患者に餌を与えられているのか、それとも病院の残飯でも漁っているのか。ブチ猫はでっぷりと肥えて態度もふてぶてしい。

「ふざけるな、なにが挨拶だ。俺をその辺の野良猫如きと一緒にするな」

 猫なんぞにかかずらうような暇はない。無視して歩み去ろうとした時、ブチ猫の尻尾が目に入った。それは僅かに先が二股に割れ始めている。もっとも割れた一方の先はうっすらと透けているので、ヒトの眼にはただの年老いた猫にしか見えないのだろう。しかし妖に成りかけているモノなら話は早い。

「オイ、お前。今日煉がここに来たろう」

 不機嫌そうにパタパタと尻尾の先を動かしていた猫が、すいっと黄色い瞳を細めるようにして俺を見た。

「……来た」蚤でもいるのだろうか。後足でバリバリと首筋を掻きつつ猫が答える。「ここに入院している()の子の噂を聞きに来た」

「煉と話したのはお前か?」

「そうだ」

「その子供の病室はどこだ?」

「アンタに話す筋合いはない」

 猫がツンとそっぽを向いた。どうやら挨拶をしなかったのを根に持っているらしい。猫又モドキくらい力任せに締め上げて口を割らせてもいいが、しかし俺はニンゲンではない。くだらん争いごとに無駄なエネルギーを費やす趣味はないのだ。

「取引きだ」と俺はブチ猫に言った。「教えてくれれば、スルメでも刺身でも、何でもお前の好きなモノを煉に持ってこさせよう」

「……なんで煉がアンタの言う事を聞くんだい?」猫が訝しげに目を細めて俺を睨んだ。「煉って言ったら、妖の世界では名の知れた退魔師じゃないか。なんでそんな有名人がアンタの使いっ走りなんかするんだい?」

「ふむ、特にコレと言った理由はないが、まぁ長年共に旅をしている仲だからな。あいつは俺の頼みなら大抵の事は聞く。遠慮することはないぞ」

「ふうん」猫が俺をしげしげと見遣り、首を傾げた。「アンタ、一体煉の何なんだい?」

 咄嗟には答えが出ず、俺は僅かに口籠った。そうだ、考えてみたこともなかったが、俺は煉の何なのか。煉とは俺にとって何なのか。

「……わからん」しばらく考えた後、俺は正直に答えた。「俺はあいつの守りでも式神でもない。ただ共に旅しているだけだ」

「たまたま行く方向が同じだったからかい?」

「そうだ」俺は何故か少しホッとして頷いた。「たまたま行く方向が同じだった」

「もし行く方向が違ったら?」

 俺が黙り込むと、猫は黄色い瞳を面白そうに揺らめかせた。

「旅は道連れ世は情け」

 唄うようにそう言うと、立ち上がって伸びをした猫が西の病棟を顎でしゃくった。

「あそこの三階の一番端の部屋にいる()の子がアンタの探しビトだよ。煉には焼き立てのあんパンを持ってこさせておくれ。こし餡とつぶ餡、ひとつづつ」


 ❀


 病棟の横に生える高い樹に登り、枝を伝って教えられた窓を覗き込む。そこには確かに昼間に出会った少女と、ベッドに身体を横たえた少年がいた。少年の面立ちは少女によく似ていたが、しかしその顔色は冴えず、痩せている癖に妙にむくんだ足を少女がゆっくりとさすっていた。

 くるくると表情を変えながら何やら楽し気に話しかける姉に気の無い相槌を打つ弟を見て、俺は肩を竦めた。アレはもう長くはないな。目に生気も覇気もなく、とてもじゃないが煉と同じ「少年」と呼ばれる生き物とは思えん。まぁ煉が少年なのは見掛けだけで、中身は可愛気の欠片もないジジイと言っても差し支えないが。

「あのね、今日ね、すごいことがあったんだよ……知りたい?」

 何を言っても反応の薄い弟の気を惹こうとしたのか、美鈴が勿体ぶった様子で携帯電話を取り出した。

「ほら、見て。すごいでしょ? 本物の狐だよ! ホムラちゃんっていうの。すっごい可愛いでしょ?!」

「……ふうん」顔の前に突き出された携帯のスクリーンに仕方無さそうに目をやった弟が僅かに首を傾げた。「子狐だったの? やけに小さくない?」

「子狐じゃないんだけど、でもこの大きさなんだって」

「なんだっけ、姉ちゃんが欲しがってたフェネック・フォックスとか、そーゆーヤツ?」

「ううん、そうじゃなくてね……」美鈴が僅かに躊躇うと、不意に声を潜めた。「あのね、誰にも言っちゃダメだって、言ってもどうせ信じて貰えないだろうから、って言われたけど、でも拓にだけは教えてあげる」

 つまらなそうに自分を見る弟に向かって身を乗り出すと、美鈴が一気に言った。

「あのね、ホムラちゃんは、ただの狐じゃないの。神通力みたいな特別な力のあるモノなの。その証拠にヒトの言葉を話せるんだよ!」

「……は?」

「それでね、私の中には、ホムラちゃんのカケラがあるんだって」

 ぽかんとした表情の弟に構わず、目を輝かせながら美鈴が続ける。

「そのカケラは、もう何百年も私の中で眠っていて、ホムラちゃんはずっとカケラを探して旅してたんだって!」

「何その中二病設定」弟がぷっと噴き出した。「もう、姉ちゃんってば、いきなり真剣な顔してナニ言い出すのかと思ったら、ホント変わってるよなぁ」

 弟にからかわれて美鈴が頬を膨らませた。

「本当だよ! いっつも話してたでしょう? 私が狐になって、沈む夕陽に真っ赤に染まる野山を駆ける夢。あれはきっと私の中のホムラちゃんのカケラが見せる、ホムラちゃんの記憶なんだよ!」

「はいはい、ヨカッタネ」

 生意気な口調にもかかわらず、笑いながら姉を見る弟の眼には柔らかな親しみがこもっている。

「で、その狐はカケラを持った姉ちゃんを嫁にでも貰ってくれるの? 俺、狐の兄貴なんてちょっとやだなぁ」

「まさか、違うよ」美鈴が笑いながらそっと胸に手を当てた。「ホムラちゃんはね、あっちこっちに散らばっているカケラを取り戻すために旅をしているんだって。だから私の中のカケラをホムラちゃんが取り出して、自分の中に戻して、それだけ」

「……取り出す?」

「うん、今日は時間がなかったから、明日もう一度会う約束したの」

 笑みを消した弟が、じっと姉を見つめた。

「……怖くない?」

「なにが?」

「……生まれてからずっと自分の一部だったモノを失くすのが」

 美鈴が微笑み、静かに首を横に振った。

「カケラが私の中に在っても、ホムラちゃんがホムラちゃんであったように、カケラが私の中から消えてしまっても、私が私であることは変わらない。それにね、失くすわけじゃないから。私はきっと今までホムラちゃんのカケラを守ってきたんだと思う。だからホムラちゃんが私を見つけてくれて、カケラを綺麗なまま返すことが出来て、何だかとっても嬉しいの。ホムラちゃんに渡すために、この日の為に、カケラは私の中に在ったんだよ」

 だから大丈夫だよ、と美鈴が弟の手を握って微笑んだ。

「なにも怖いことなんてない。全ては『あるべきかたち』になるだけだから。だから、拓の手術は絶対に成功するよ」


 ……ふざけるな。

 ケッと窓に向かって唾を吐き、俺は枝から飛び降りた。

 やはりヒトは愚かだ。なにが『あるべきかたち』だ。俺のカケラと自分の臓物如きを比べ、同じようなモノだと思うとは、愚か以外のナニモノでもない。これだから俺はヒトが嫌いなのだ。


 西の空が茜色から濃紫に変わり始めた頃、病棟の出入り口に美鈴が姿を現した。弟の病室で見せていた笑顔とは打って変わった寂しげな表情で俯いて歩く少女の肩に駆け登る。

「カケラは返してもらう」

 驚いた表情で俺を仰ぎ見る少女に向かって俺は白い胸の飾り毛を膨らませた。

「取引きだ」



  4



「ホムラちゃん、いらっしゃい」

 窓辺に現れた俺を見ると、美鈴は急いで台所へ走っていき、青く涼しげな硝子の器に盛られたアイスクリームを用意する。冷房の効いた部屋のベッドに座り、バニラ味のそれを楽しむ。美鈴は抹茶味を食べている。鮮やかなグリーンのそれを一口味見してみるが、やはりアイスクリームはハーゲンダッツのバニラ・ビーンが一番だ。

 アイスクリームを食べ終わった美鈴がいそいそとブラシを取り出し、遠慮がちに俺の黄金色の毛を梳く。ついでに腰を揉ませ、爪を磨かせ、足の裏にはクリームを塗らせる。

「…………何やってんの?」

 半開きの窓から呆れた顔の煉が覗き込んでいた。

「足の手入れだ。夏場のアスファルトは熱くて足裏が荒れるからな」

「そうじゃなくって、なんで美鈴ちゃんにそんな事やらせてんの?」

「カケラ貸与」うっとりとした表情で俺の肉球にクリームを塗り込むのに夢中の美鈴に代わって答える。「正当な取引きだ」

「正当ねぇ……」

「ミスズも楽しんでいる」

「え? うん、そうそう、私も楽しいよ!」美鈴が俺への奉仕の喜びに頬を紅潮させて答える。「ホムラちゃん、耳のお掃除する?」

「スル」

 羽布団よりも柔らかな少女の膝枕で耳掃除される俺が羨ましかったに違いない。煉はわざとらしい溜息をひとつ吐くと、頭を振って何処かへ行ってしまった。


 ❀


 弟のドナーになる為に入院すると同時に美鈴の奉仕はお終いとなった。後は美鈴が手術を終えて無事退院するのを待つだけだ。俺は毎日病院へ通い、暇と元気を持て余している美鈴と北極ぎつねの写真集なるモノを眺めたり、妙に(さか)しげなキタキツネの映画を観たりして過ごした。

 手術の日の朝、医者やら看護師やらに取り囲まれて流石の美鈴も緊張に表情を硬くしていたが、しかし窓の外から覗く俺に気付くと、小さく微笑んでそっと手を振って見せた。


 美鈴の姿が手術室に消えると見るモノもなくなり、酷く手持ち無沙汰になった。辺りを何と無く歩き回っていると、病院の中庭のベンチに煉がのんびりと腰掛けていた。

「美鈴ちゃん達の手術、いよいよだねぇ」

 膝の上のブチ猫に千切ったあんパンをやりながら、煉がにっこりと微笑んだ。

「心配しなくても、ドナーの手術はすぐに終わるよ。問題は弟の方だけど、でも焰のカケラを持った姉さんの腎臓だからね、絶対に上手くいくって」

「弟などどうでもいい」

 煉の手からあんパンを奪い、ふんと鼻を鳴らす。

「万が一ということもあるからな、ミスズが俺のカケラを持ったまま死んだりしたら迷惑だ。そうなる前にカケラを取り戻せるよう、万が一に備えてそばで待機しているだけだ」

 煉から奪ったあんパンはやけにパサパサと乾いて硬く、そのくせ変に甘ったるく、喉に詰まらせずに飲み下すのに一苦労した。


 美鈴の手術は無事終わり、そして本当にどうでもいい事だが、弟の方も上手くいったらしい。十日もしないうちに美鈴はすっかり元気になり、弟より一足先に退院した。間も無く美鈴の傷も癒え、うっすらとピンク色の小さな痕を残すのみとなった。



 ❀



「ミスズ」

 真夜中、窓辺に現れた俺を待ち兼ねていたかのように美鈴が窓を開けた。

(あか)りはつけるな」電灯に手を伸ばした美鈴に注意する。「暗い方がよく視える」

 月の無い夜の暗闇の中、俺は向かい合って座った少女の内から洩れるひかりに意識を集めた。淡い蓮華色のひかりの中に埋もれるように金色のカケラが見え隠れしている。期待と懐かしさに胸が高鳴った。

「……夢」と不意に美鈴が呟いた。「夢をみなくなるかな」

「夢?」

「茜色に染まったススキ野原を走っている夢。すごく綺麗で、自由で、気持ちがいいんだけど……」何かを思い出そうとするかのように、美鈴が僅かに眉根を寄せた。「隣をね、誰かが一緒に走っているの。でも夕陽が眩しくて、私にはその人の顔が見えないの。私は、ううん、狐の私は、その人といるとすごく楽しくて、その人とずっと一緒にいたくて、でも同時にその人のナニカに怯えていて、その人を憎んでいるの」

 暗闇にぼんやりと白く浮かぶ少女の顔が俺を見つめた。

「ホムラちゃん、あの人は誰?」

「ソンナモン知るか」と言って、俺は鼻を鳴らした。「そもそも俺はヒトが嫌いだ。ソレは俺の記憶ではなく、きっとお前が勝手に混乱して作り上げた妄想だろう」

 黙って目を瞑った美鈴に向かって首を伸ばす。少女の命そのものとも言える蓮華色のひかりに触れないよう、細心の注意を払ってそっと金色のカケラを咥えた時、不意に耳許で少女が囁いた。

「だけど、焰ちゃんは、あの人のことが大好きだったんだよ……」


 少女の内から取り出した金色のカケラを、俺はごくりと呑み込んだ。


(To be continued)

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