・蛇と呪いと契約と(3)
気分が晴れない。多加弥に会いたかったが、会っても楽しい笑顔なんて見せられる自信がない。由起葉は一緒に帰ろうという連絡を入れられずに一人悩んでいた。
「ユキハ、どうかした?」
休み時間、美和がそっと隣にやって来た。美和は周りの変化に敏感で、落ち込んでいたり、元気がなかったりする人をさり気なく励ますのがうまい。人の問題に首を突っ込むようなことはせず、ただそっと寄り添って優しい言葉をかける美和の存在は、知らぬ間に小さな世界に調和をもたらしている。
「ミワっち・・・」
「らしくないぞ。さては柏井君と何かあったな」
「なんでわかるのぉ」
情けない声が出た。美和は穏やかに微笑んでいる。
「ねぇミワっち。好きな人とだったら、なんでも分かち合わなきゃいけないのかな」
「うぅん・・・。絶対ではないと思うけど」
「今までだって、何でもかんでも打ち明け合ってたわけじゃないんだ。お互い知らないところでそれぞれ悩んでたりもしてたと思うし。でも、相手が知りたいと思うことを隠したことはなかったの。タカヤを自分の世界から追い出したことなんて、一度もなかった・・・・」
もう戻れないんじゃないかとさえ思う。秘密がどんどん膨らんで、抱えきれなくなったら全て話せるだろうか。そうなる前に二人の関係は崩れてしまっているのではないだろうか。
「ユキハ」
うつむきかけていた由起葉に指を突き出すと、美和は眉間をぐりぐりした。
「うにゃ」
「あんたたちって本当、つながってるんだねぇ。ただのラブラブなカップルじゃないっていうか、私たちじゃ理解できないようなところに結びつきがあるっていうか・・・。昔からそうだったよね」
「そう・・・なのかな?」
「柏井君なら大丈夫だよ。どんなに苦しくても、どんなに悩んでも、ユキハから離れたりしないよ。だからユキハも焦らなくていいんだよ。ただ、ちょっと元気にしてあげるだけでさ」
「どういうこと?」
「以心伝心ってやつ?桜蘭の子に言われちゃってさ」
桜蘭とは多加弥の通う桜蘭学園高校のことである。この辺りでは有名なハイレベル校で、美和の友達も行っているのだ。
「なんて?」
「なんとかしてくれってさ。ユキハがため息ついてるのと同じ調子で、柏井君も沈んでるみたい。周りの子が手を尽くしてもどうにもならないみたいでさ、桜蘭じゃ世界の終わりとか言われてるらしいよ」
「なにそれ」
由起葉は思わず笑ってしまった。
多加弥を苦しめているのは自分。せっかく闇から助けだしたのに、自らの手で再び閉じ込めてしまうのか。
「ミワっち、ありがと」
由起葉は多加弥に会うために携帯を手にした。
次々と桜蘭学園高校の生徒が出てくる。少しクリームがかった白のブレザーに、緑のチェック柄スカート。あの頃もう少し学力があったら、自分も着ていたかもしれない制服だ。
(今なら受かる自信あるんだけどな・・・)
しょうもないことをつい考えてしまう。桜蘭学園に特別行きたかったわけではない。あの頃の由起葉はとにかく多加弥の傍に寄り添うことに必死で、その手段として桜蘭学園も受験したのだ。だが、由起葉は落ち、多加弥は受かった。仕方なく近くの公立高校を受験し、多加弥も共に受けて二人は合格した。
(タカヤ、あのままいけば学ラン着てたんだなぁ)
だがそれは、大人の手によって夢物語にされてしまった。多加弥は抵抗し、由起葉は自分を責めて諦めた。どんなに理不尽だとしても、力のない二人に勝つ術はなかった。
そういえばあの頃もうまくいかなくなったなと思い出す。体が離れると心も少しずつ離れはじめ、話せることも話せなくなっていった。
(あのときは確かタカヤに限界がきて、大変なことになったんだよね)
由起葉の目を覚まさせてくれた出来事でもあった。
結局二人はもう一度同じ道を目指してそれぞれの場所でがんばることを決め、今まで努力してきたのだ。
なのに。
由起葉は右目を閉じて瞼に触れた。
この目のせいで今までの努力も水の泡だ。それどころか他人のことで悩まされ、多加弥とは再び危機を迎えるはめになっている。悪いことしかない。
自分の片目にかけられた呪いとは、見えざるモノが見えるだけでなく、自分の未来を少しずつ狂わされていく本当に恐ろしいものなのではないかと、由起葉は思いはじめていた。
「ユキハ」
遠くから走ってくる人物がいる。多加弥だ。
ただでさえ恥ずかしいのに、多加弥の声に周りの子たちが反応して視線が向けられるので、由起葉はカバンを抱きしめてうつむいた。
「ユキハ、待たせてごめん。わざわざこっちに来てくれたのに」
「それはいいから、大声で呼ぶのやめてよね。タカヤがうちの高校に来るのと私がこっちに来るのとじゃ、わけが違うんだから」
「ごめん。でも俺、泉学好きだよ」
由起葉の通う高校は泉谷高校といい、通称センガクと呼ばれている。
「そりゃ私だって好きだよ。でも好きとか嫌いとかそういう話じゃなくてさぁ・・・」
こんな話をするために会いに来たわけじゃないのに。またため息が出そうになった、そのとき。多加弥の後ろから友人らしき人物たちが次々と顔を出した。
「柏井の彼女?」
「ほら、俺の言ったとおり、ちゃんとした彼女がいるだろ」
「本当だ。すごくまともそうな子だ」
「あ、あの・・・」
由起葉は勢いを失って戸惑い気味だ。男の子が二人と女の子が一人。そのうちの一人はびっくりするほどかっこよかった。由起葉の周りにこういう気品に満ちた王子様のような人はいない。次元が違うとはまさにこのことだ。
「泉学かぁ。セーラーいいねぇ」
「あんまりじろじろ見るなよ。特に右京」
「なんだよ」
「なんかお前だけ興味の対象が違う気がして・・・」
気付くと由起葉は多加弥の背に隠されていた。由起葉は呆れ顔で多加弥を押し退ける。
「はじめまして。岬由起葉です。タカヤとは中学からのつき合いで」
「へぇ、中学からずっと?一途だねぇ」
「柏井君も全然女の子に興味示さないもんね。ミサキちゃんしか眼中にないんだ、きっと。あ、ちなみに私は西本久実。柏井君のクラスメイトです」
「俺は右京。三上右京」
「俺も同じクラスで、竜崎清和です」
「りゅ、竜崎っ?」
由起葉は身を乗り出した。驚きで声が裏返ってしまう。
「竜崎って、あの竜崎?」
「あの竜崎か、この竜崎かはわからないけど、竜崎には間違いないよ」
「だからかぁ・・・」
由起葉は感嘆の声をもらした。竜崎といえば、この辺りでも有名な立派な家柄で、その三兄弟は他校に知れ渡るほどの人物なのだ。容姿、能力、そして財力と、彼らにないものはない。桜蘭にいるとは聞いていたが、多加弥と親しいなんて今まで知らなかった。
「ユキハ?」
多加弥にのぞきこまれて我に返る。つい見惚れてしまっていたようだ。じとっとした視線が注がれる。
「ユキハ」
「な、何?」
「竜崎には婚約者がいるんだ。だからダメだよ」
「はぁ?」
大事なところが大きく間違っている。由起葉は脱力した。
「何言ってんのよ。それを言うなら俺がいるのに他の人はダメだよ、でしょ」
「あっ・・・」
バカだ。人前で恥ずかしい。由起葉は赤くなった顔を手で隠したが、その手を多加弥にとられ、今度は強引に引っ張られた。
「言っとくけど、ユキハはダメだからな。特に右京」
「だから何で俺?」
「ユキハ、行こう」
「えっ?ちょっと・・・」
手を引かれて体勢を崩しながらも、由起葉は振り返ってみんなに頭を下げた。多加弥に連れていかれる由起葉に、みんな手を振って返す。
「ありゃ重症だな」
「なんかよくわかんないけど、ミサキちゃんしか無理そうだね、柏井君の相手」
三人は納得すると同時に、ほんの少し不安を感じた。