第一話 第二の人生の始まり
目が覚めると、聞き慣れない音と声が鼓膜を揺らした。
「あらぁ、目が覚めたの? 飲み足りなかった?」
そう言われ差し出される哺乳瓶。
俺は本能が赴くままにそれを咥え、吸い上げた。
「あぅぁ……ゃぁぅあ?」
「はいはい、どうぞ」
あぁ、至福だ。ん——。
なんだか、腹が変だ。制御できない。まずい。
「あーあ、うんちしたのね……ちょっと待って、すぐ変えるからねぇ」
俺は、人としての尊厳を捨てたのか?
履いているものを脱がされ、恥部を女に拭かれている。
「はーい拭けましたよぉ。じゃあ、ゼティス——。おねんねしようねぇ……」
女のあたたかな手が俺の腹に添えられ、とんとんと欲しいタイミングで柔らかく叩かれる。瞼が徐々に下りてきたが、唐突に怖くなった。何に対してかは分からない。ただ——怖い。
「ふぇ……ぇ……ふぇゃあああああああ」
「んー? どうしたかなぁ? よーしよし」
女の胸に抱かれ揺さぶられる。このリズムがいいんだ。まるで馬に乗っているような、生き物のリズムを感じる。
***
浜辺で枝を持った痩せこけた青年が言う。
「See Sight」
すると、浜辺の砂が一気に浮き上がり、正方形のガラスに姿を変えた。そこに映し出されたのはセピア・ロペスことゼティスの姿だった。
「おぉ、無事転生できたか……ならよかった」
ざっざっと砂を踏みしめる音が近づいてくる。青年は目を向け、口を開いた。
「■■■■■■?」
「いいや?」
「そっか……」
***
あれから、幾年。
俺はやっと言葉が話せるようになった。喃語を超えて、やっと意思を伝えられる。そう思っていたが——
「こぇ、たべう」
「これは大人が食べるの。あなたのはこっち」
「ぃやああ!」
実際は「はいわかりました」と言う事すらできない。何故か嫌だと駄々をこねてしまう。幼かった頃の俺もこんな感じだったと、共に魔王討伐のため旅をしていた師匠から聞いたことがある。まぁ今も幼いのだが……。
「ダメなものはダメ!」
「ぶー」
口元に当てられた木のスプーンを唇を震わせて拒否する。お腹は空いているのになとか思いながら、こんなことを数十分も続けていた。
~ ラミラ家の誇り ~
「はい、準備しなさい。今日から学校でしょう?」
「え、学校?」
目が覚めて、母から出た言葉に耳を疑った。
前の世界では学校といえば金持ちが行くところだったし、なにより俺に学校は必要ないと、師匠から行くことを止められた。
「ゼティスももう十二歳。そろそろ知識と力を身につける時期よ」
「でも——金は?」
「お金? そんなの要らないわよ……どこの国の学校に行く気よ。貴方が行くのは——」
俺は母から言われた通りの場所に足を向ける。
道中、戦争の名残が目に入る。
以前ここは大きな国だったが、大規模な戦争によって国としての機能を失い、現在はアルジェラント帝国という国の植民地になってしまったのだと母から聞いた。
元々城があった所も、今では民家に変わってしまっている。
「ここ……か?」
城跡からそう遠くない位置にある木製の小屋。母のメモには〝目印は枯れた大きな木〟と書かれていて、実際に小屋の真横に葉のついていない木が見える。木肌は赤茶けていて、周りの木と比べて明らかに色が違う。
小屋に近付き、扉に手を掛けてそっと押し開けてみる。そこには机と椅子が一つだけ置いてあった。
間違えたかなと扉を閉めて振り返ると、男が立っていた。しかもそこそこたくましい。
「おい坊主、うちに何の用だ」
「あ……えっと、母さんに言われて……来たんです」
男は俺の肩をがっしりと掴んだ。
「おお! お前がゼティスか! ゾートから聞いてるよ、入れ入れ」
ゾートは母の名前だが、なぜ呼び捨てに出来る?
疑問を抱えながらも小屋の中に入り、半強制的に椅子に座らされた。
「ようこそ、我がラミラ家の学び舎へ!」
俺の名前はゼティス・ラミラ。ラミラ家ってことは目の前の男は——
「孫だからって容赦はしないぞ?」
俺の——祖父。
爺さんから渡されたのは硬く乾ききった木の棒だった。握りやすく、手汗がいいグリップとなって握る力すらいらない。
「あのぉお爺さん……多分勝負にならないですよ」
爺さんは言う。
「まあそう言うな。ゼティスはまだ子供だからな、これから力を付けていけばいいさ。さぁ来い」
小屋から少し離れたちょっとした広場に俺と爺さんは立っている。爺さんとの距離は実に一〇メートル。まだ筋肉の発達が未熟な子供の身体では踏み込んで飛んでも四メートルが限度のように思う。一発で爺さんの首に棒を当てるには筋肉ではなく、子供だからこそ硬化していない柔軟な筋をバネに、軽い身体を前に押し出せば——
靴の裏で土を掴まえた感覚があった。爺さんが近くなる。
「——試練はお互いが本気を出すことが条件であると師——いえ、夢で誰かが言ってました。子供だからと弱く見られては困ります」
棒の先が爺さんの首に当たっている。剣なら引けば血が噴き出て、やがて死ぬだろう。
爺さんは棒を掴み、俺は引き寄せられた。
「ゼティス……お前は凄いな! これはラミラ家の自慢になる。分かった、このザンガ・ウル・ラミラ。元フェッツェ王国騎士団団長の名に恥じぬようお前に全てを教えてやる」
『セピア——あたしの全てを教えてやるよ。生きたいだろ?』
一瞬だけ、爺さんと師匠が重なって見えた。意図せず声が漏れる。
「はい、お願いします」
と——。




