表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十二刻のクロノス ~時間魔法から始まる時々~  作者: 鏡花
第一章「青き目覚め」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/26

第1話「滅びの刻」

はじめまして、鏡花です。

このお話が、初めて書く小説になります。

未熟な部分も多いと思いますが、

最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。

   挿絵(By みてみん)


       「この世界は、滅びる」


――そのことを、このときの俺はまだ知らなかった。



朝の空気は、冷たかった。いつも通りに。


木々の隙間(すきま)から差し込む光は(やわ)らかい。遠くの山々には、まだ朝靄(あさもや)がかかっている。(にわとり)の鳴き声。誰かが(おけ)を運ぶ音。それだけで、ここがどこの朝なのか、わかってしまう。


俺が生まれ育ったヴェスの村は、大陸の北寄り、深い森と切り立った山に囲まれた小さな集落だ。人口は百人にも満たない。都からは馬車で半月はかかると聞いたことがある。だから、都会の喧騒(けんそう)も、貴族の権力争いも、戦争の気配すらも、ここまでは届かない。ただ(おだ)やかな時間だけが、()きもせず()り返し流れていく。それだけの場所だ。


この世界には、大小さまざまな国が存在する。俺たちが暮らすヴェスの村が属するのは、リンデール王国と呼ばれる、決して大きくはないが、長い歴史を持つ国だ。王都には魔法を学ぶための学院があり、優れた才能を持つ者は、いずれそこに招かれるという話も聞く。もっとも、こんな辺境の村に生まれた子供にとっては、遠い夢物語のような話でしかなかった。


「クロ! いつまで寝てるんだい、もう日が高いよ!」


2階から(ひび)く母の声に、俺――クロは重い(まぶた)をこじ開けた。


窓の外は、白々と明けている。ここ最近、(みょう)に寝覚めが悪い。深く眠っているはずなのに、朝になると体の(しん)疲労(ひろう)が残っている。寝ている間に、どこか遠くまで走らされていたみたいに。


「今起きる……」


寝癖(ねぐせ)のついた黒髪を()きながら、俺はのそのそと寝台(しんだい)を降りた。


顔を洗って、身支度を整えて、階下に降りる。母のリーゼが朝食の準備をしていた。パンを焼く香ばしい匂いと、(なべ)煮込(にこ)まれている野菜のスープの湯気。それだけで、(せま)い台所が満たされる。


「父さんは?」


「もう畑に出てるよ。今日は薪割(まきわ)りも(たの)まれてるから、後でクロも手伝っておくれ」


「わかった」


椅子(いす)に座り、パンを頬張(ほおば)る。窓の外を、ぼんやりと(なが)めた。裏庭では、飼っている鶏が(えさ)をついばんでいる。(となり)の家からは、洗濯物(せんたくもの)を叩く音。何の変哲(へんてつ)もない。当たり前の朝だ。


けれど――ここ数ヶ月、何かが少しずつ、(くる)い始めている感覚があった。


上手く言えない。強いて言うなら、当たり前だったはずの景色に、(うす)(まく)が一枚(かぶ)さっているような。そんな違和感(いわかん)だった。


朝食を終えた後、井戸まで水を()みに行くと、幼馴染のトマスが桶を片手に走ってきた。


「クロ! 今日一緒に川、見に行かないか。上流で魚がよく()ねてるって、(じい)さんが言ってたんだ」


「悪い、今日は薪割り頼まれてる」


「なんだよ、真面目だなあ。……そういえばさ」


トマスは声を落とし、少し悪戯(いたずら)っぽい笑みを浮かべた。


「昨日、隣村のやつがお前の氷魔法の話してたぞ。『ヴェスの村に、井戸を一瞬(いっしゅん)(こお)らせる子供がいる』って。ちょっとした有名人じゃん」


大袈裟(おおげさ)だよ。あんなの、ちょっとした水仕事の手伝いだ」


「いやいや、俺なんて魔法のひとつだって使えないんだから、十分すごいって」


トマスは肩を(すく)め、自分の手のひらに視線を落とした。この世界では一定数、魔法の才能を持って生まれる子供がいる。多くは炎や風、土といった素朴(そぼく)な系統の魔法だが、氷の魔法は水源の管理に重宝(ちょうほう)されるため、特に喜ばれる傾向(けいこう)にあった。


「ま、俺は畑仕事の才能があるから、それで十分だけどな!」


からりと笑うトマスに、つられて俺も口元を緩めた。


「そういえばさ、来月には隣町でお祭りがあるらしいぞ。収穫祭の。行かないか?」


「収穫祭か……行けたら行くよ」


「絶対だぞ! 屋台の串焼(くしや)き、去年もクロと一緒に食べただろ。今年も約束な」


指切りでもしそうな勢いのトマスに、俺は思わず苦笑した。


こういう他愛(たわい)のないやり取りが、俺の日常の大部分を()めている。優しい両親、気の置けない友人、穏やかな村の暮らし。何一つ、不満はなかった。


だからこそ――もうひとつの、氷魔法とはまったく異なる力のことを、俺は誰にも話せずにいた。


桶いっぱいに水を汲み、井戸の水面を軽く指で()でる。()れた場所から、薄い氷の膜がすっと広がっていく。トマスが「おお」と声を上げる。それを聞きながら、俺はふと、自分の中に眠るもうひとつの力のことを思った。


こんな風に、誰かに見せて笑い合えたら。どれほど気楽だろう。


俺には、村の誰にも打ち明けていない秘密がある。


氷の魔法を使えることは、村の人間もほとんどが知っている。子供の頃、井戸に落ちた(ねこ)を助けようとして、咄嗟(とっさ)に足場を凍らせたのが最初だった。それ以来、水甕(みずがめ)を凍らせて食料を保存したり、夏場に氷を作って火照(ほて)った体を冷やしたりと、村の暮らしに役立つ程度には重宝されている。氷の魔法使いというのは、この国では決して(めずら)しい存在ではない。多少才能があるというだけで、特別扱いされるようなものではなかった。


だが、それとは別に――俺の中には、もうひとつの力が眠っている。


きっかけは、去年の冬だった。


高熱を出して三日三晩うなされた夜、夢の中で、時計の文字盤のような紋様(もんよう)を見た。十二の数字が円を(えが)き、その中心で何かが脈打っている。目が覚めたとき、俺の指先からは、見たこともない色の光が(こぼ)れていた。


それから、少しずつ「わかる」ようになった。


自分の動きを一瞬だけ速くする力。目の前の相手の動きを遅くする力。ほんの数秒だけ、世界の時間を止める力。(こわ)れた道具を、壊れる前の姿に(もど)す力――。


最初から知識として頭の中に刻まれていたかのように、十二の力の存在と、その名前だけが、俺の中にあった。


1時・加速


2時・減速


3時・停止


4時・巻き戻し


5時・未来視


6時・修復


7時・老化


8時・反転


9時・ループ


10時・跳躍(ちょうやく)


11時・未来観測


12時・クロノス


時計の文字盤になぞらえた、十二の(こく)


最初はただ、面白い力だと思っていた。夜、誰にも見られない場所で試しに《1時・加速》を使ってみたときは、自分だけ(ちが)う世界に(まぎ)れ込んだような感覚に、子供らしい高揚感(こうようかん)を覚えたものだ。景色がゆっくりと流れ、自分だけが速く動ける。秘密のご褒美(ほうび)をもらったような気分だった。


けれど、使うたびに気づいたことがある。


この力は、優しくない。


《1時・加速》を使った後は、決まって体中が(なまり)のように重くなる。《3時・停止》を数秒使っただけで、次の日は起き上がることさえ(つら)いほどの消耗(しょうもう)(おそ)ってくる。自分の中にある「時間」そのものを、力の対価として差し出しているかのような感覚だった。


そして何より――これが何なのか、なぜ自分がこんな力を持っているのか、誰に聞いても答えは出ない。村の物知りである長老に、それとなく「時間を(あやつ)るような魔法って、聞いたことある?」と(たず)ねてみたことがある。長老は怪訝(けげん)な顔をして、「そんな魔法、聞いたこともない。おとぎ話の中にすら出てこないねえ」と答えた。


その答えが、余計に俺を不安にさせた。


氷の魔法のように、誰かに教われるわけでも、書物に記述があるわけでもない。この世界の(ことわり)から外れた、存在してはいけないもののような気さえした。


だから俺は、この力のことを誰にも話していない。氷の魔法とは違う、もっと得体(えたい)の知れないこの力を明かせば、村の人々がどんな顔をするか、想像するだけで(おそ)ろしかった。優しい両親を、不安にさせたくもなかった。


それに――根拠(こんきょ)のない直感が、ずっと警告していた。


この力の存在を知られてはいけない、と。


まるで、遠い記憶の中の誰かが、耳元でそう(ささや)いているかのように。理由もわからないまま、その声にだけは、なぜか逆らってはいけない気がしていた。


実を言えば、こうした頭痛のような予兆は、これが初めてではなかった。


ひと月ほど前にも、川で洗濯を手伝っている最中に、一瞬だけ視界が(ゆが)んだことがある。そのときは、ほんの一秒にも満たない間、何か暗い影のようなものが脳裏を()ぎっただけだった。何かが(くず)れる音。誰かの悲鳴のような気配。だが、あまりに一瞬のことで、俺はそれを「気のせい」だと片付けていた。


思えば、あれもまた《11時・未来観測》の、ごく(わず)かな発動だったのかもしれない。少しずつ、俺の中で何かが目を覚まし、力を増していくかのように。


そして今日――とうとうその予兆は、無視できないほどはっきりとした形をとって現れた。


「クロ、薪割り手伝ってくれ」


昼を過ぎた頃、畑仕事を終えた父のヒーゴが声をかけてきた。日に焼けた顔に、深いシワを刻んだ、無骨だが優しい男だ。


「わかった」


裏の物置から(おの)を取り出し、丸太を並べていく。単調な作業だが、体を動かすのは嫌いじゃない。むしろ、こういう時間の方が、頭の中の靄が晴れる気がした。


丸太に斧を()り下ろす。(かわ)いた音を立てて、木が真っ二つに割れる。もう一本。また一本。繰り返すうちに、(ひたい)(あせ)(にじ)んでくる。


「最近、(つか)れが取れてないみたいだな」


ふと、父が言った。


「そう見える?」


「顔色が悪い日が多い。何か(なや)み事でもあるのか」


一瞬、言葉に()まった。悩み事、と言えば悩み事だ。だが、それを説明するには、あの得体の知れない力のことを話さなければならない。


「……なんでもない。ちょっと、眠りが浅いだけ」


「そうか。まあ、無理はするなよ」


それ以上、父は追及(ついきゅう)してこなかった。優しい沈黙(ちんもく)が、かえって痛かった。


薪割りを終え、井戸へと向かう途中(とちゅう)、ふと妙な違和感を覚えた。


風が、止んでいる。


さっきまで葉を()らしていたはずの木々が、時が止まったかのように静止していた。鳥の声も、虫の羽音も、一切聞こえない。


「……?」


立ち止まり、辺りを見回す。だが、次の瞬間には、何事もなかったかのように風が吹き、木の葉がざわめき始めた。空耳だったのか、それとも――。


胸騒(むなさわ)ぎを覚えながらも、ひとまず井戸へと足を進めた。冷たい水で顔を洗い、火照った体を落ち着かせる。水面に映る自分の顔は、いつも通りの黒髪に、少し疲れた表情をしていた。


だが、井戸で顔を洗っていると、頭の奥に、ずきりと(するど)い痛みが走った。


「――っ」


視界が一瞬、ブレる。水面に石を投げ込んだときのように、目の前の景色が波打った。


(また、これか)


ここ最近、時々こういう瞬間があった。頭の奥に痛みが走り、意識が一瞬だけ遠くなる感覚。今まではすぐに治まっていた。だが――今日は、様子が違った。


痛みが、引かない。むしろ、じわじわと強くなっていく。


「な、んだ……これ」


頭の奥で、何かが(きし)むような音がした。固く閉ざされた(とびら)を、内側から誰かが力任せに叩いている。そんな感覚。呼吸が浅くなり、視界の(はし)が黒く滲んでいく。


(ひざ)から力が抜け、その場に崩れ落ちる。地面に手をついても、支えきれない。冷たい土の感触だけが、やけに鮮明(せんめい)に伝わってきた。


「く、ぁ……ッ」


歯を食いしばっても、うめき声が()れる。心臓が早鐘(はやがね)のように打ち、耳の奥で自分の血流の音が響く。何か巨大なものが、体の内側から(あふ)れ出そうとしている。そんな圧迫感(あっぱくかん)


視界が白く(かす)み、代わりに、頭の中に何かの映像が流れ込んでくる。


これは――夢じゃない。


《11時・未来観測》。


まだ一度も自分の意志で発動したことのない、十二番目に近い力が、今、勝手に動き出していた。


気づけば、見知らぬ場所に立っていた。


いや――正確には、「立っている」という表現すら正しくない。体には重さがなく、足元の地面を踏みしめている感覚もない。ただ、視界だけがそこにある。魂だけが、その場に運ばれたような感覚だった。


空を見上げて、息を()んだ。


空が、割れていた。


薄氷(はくひょう)を叩き割ったときのように、大空に幾筋(いくすじ)ものひびが走り、その隙間から、見たこともない色の光――赤とも紫ともつかない、不吉(ふきつ)な色をした光が漏れ出している。


視線を下ろすと、そこにあったのは、かつて何かの町だったであろう瓦礫(がれき)の山だった。崩れた石壁、(かたむ)いた鐘楼(しょうろう)、燃え尽きて黒く炭化した木々。人の気配はどこにもない。いや――正確には、いた。だが、それはもう「人」と呼べる状態ではなかった。


地面のあちこちに、うっすらと発光する砂のようなものが積もっている。それが何なのか、理解した瞬間、背筋が凍った。


――時間が、逆流している。


崩れた建物の一部が、砂となって崩れながら、同時に「元の形」に戻ろうとしては、また崩れる。その繰り返し。世界そのものが、壊れる瞬間と直る瞬間を、永遠にループしているようだった。


時間という概念(がいねん)そのものが、狂っている。


視界は、ひとつの場所に留まらなかった。風に(さら)われるように、景色が次々と移り変わっていく。


次に映ったのは、見覚えのある――いや、見覚えなどあるはずのない、巨大な都市だった。おそらくは、王都と呼ばれるような場所なのだろう。石造りの城壁も、天を()くような尖塔(せんとう)も、今はことごとく(かし)ぎ、崩れかけている。大通りには、無数の光の粒子(りゅうし)となって崩れていく人々の姿があった。悲鳴すら上げる間もなく、体の輪郭(りんかく)から少しずつ砂状に崩れ、風もないのに(ちゅう)へと攫われていく。時間という概念そのものに「存在」を巻き戻され、消去されていくようだった。


さらに景色は移ろい、今度は緑深い森だった。だが、その森もまた、奇妙(きみょう)に歪んでいる。同じ木が、同じ場所で、芽吹いては()ち果て、また芽吹く。壊れた砂時計のように、時間が同じ瞬間を、狂ったように繰り返している。


遠くには、崩れた城の一部と(おぼ)しき残骸(ざんがい)も見えた。かつて誰かがそこで暮らし、笑い、争い、生きていたはずの場所が、今はただの瓦礫と化している。その光景のあまりの(むな)しさに、息が詰まった。


そして最後に、視界は再び、あの瓦礫の町へと戻ってきた。


遠くに聞こえる音があった。


すすり泣くような、小さな声。


導かれるように、その音の方へと「視線」を向ける。体はないのに、歩いているかのように、景色が流れていく。


瓦礫の間、崩れた石畳の上に、少女が一人、(うずくま)っていた。


白い髪。土埃(つちぼこり)(すす)で汚れた服。膝を(かか)え、顔を()せて、声を殺しながら泣いている。周囲には誰もいない。助けに来る者も、寄り()う者もいない。ただ、この世の終わりのような景色の中に、たった一人。


年の頃は、俺と同じくらいだろうか。折れた鐘楼の残骸にもたれかかるようにして座り込む姿は、あまりにも小さく、あまりにも(たよ)りなく見えた。着ている服は、かつては上等な仕立てだったのだろうと(うかが)えるほどに、繊細(せんさい)刺繍(ししゅう)(ほどこ)されている。だが今はもう、煤と血で汚れ、あちこちが破れていた。


(ふる)える肩。時折漏れる、(かす)れた嗚咽(おえつ)。泣くことにすら、疲れ果てているような。そんな力ない泣き方だった。


見ているだけで、(のど)の奥がひりつくように痛んだ。自分自身が、あの場所に蹲っているかのような、奇妙な同化の感覚すらあった。


「――ッ」


腹の底から、何かが()き上げてくる。焦燥(しょうそう)恐怖(きょうふ)、そして――名前のつけようのない、強い衝動(しょうどう)


「待って」


声にならない声で、そう呼びかけた。届くはずがないとわかっていた。これは未来の光景だ。今の俺がどれだけ叫んでも、目の前の少女には聞こえない。


それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。


少女が、ふと顔を上げた。


(なみだ)()れた(ひとみ)。曇り空のような、(あわ)い色をした瞳だった。その瞳が、ゆっくりと、こちらを――俺がいる方向を見た気がした。


届くはずのない視線が、確かに交わった。そんな気がした。


刹那(せつな)、少女の(くちびる)が、何かを(つむ)いだ。声は聞こえない。けれど、その口の動きは、はっきりと「たすけて」と、そう動いたように見えた。


「――ッ!」


(さけ)ぼうとした瞬間、少女の姿が、砂のように崩れ始めた。指先から、髪の先から、光の粒子となって(ほど)けていく。


「待て、待ってくれ――!」


声にならない叫びを上げた瞬間、視界の全てが真っ白に染まった。これ以上見ることを、許されないとでも言うように。光が全てを(おお)()くしていく。


「クロ! クロ、しっかりしな!」


母の悲鳴のような声で、意識が引き戻された。


目を開けると、そこは井戸端(いどばた)だった。地面に(たお)れ込んだ俺を、母のリーゼが()き起こしている。心配そうに(のぞ)き込む顔の向こうに、()けつけてきたらしい父の姿もあった。


「だ、大丈夫……」


体を起こそうとして、あまりの気怠(けだる)さに顔をしかめた。丸一日、休みなく畑仕事をした後のような疲労感。頭の芯には、まだ(にぶ)い痛みが残っている。


「大丈夫なわけあるか! 急に倒れて、うなされて……! 熱もないのに、一体何が」


母の声は震えていた。心配をかけたことに、罪悪感が込み上げてくる。


「なんでもない、ちょっと立ちくらみが……」


「立ちくらみで、あんなにうなされるものかい」


言葉を(にご)す俺を、母は疑わしげに見つめた。だが、それ以上は追及せず、俺を支えて家の中へと連れて行ってくれた。寝台に横になると、途端(とたん)に瞼が重くなる。


「少し眠りな。何かあったら、すぐ呼びなさい」


母の手が、そっと額に触れる。その(ぬく)もりを感じながら、俺は意識を手放した。


次に目を覚ましたのは、夕暮れ時だった。


窓から差し込む茜色(あかねいろ)の光が、天井にゆっくりと影を伸ばしている。体を起こそうとすると、節々(ふしぶし)が軋むような重だるさがあった。


「起きたか」


部屋の入り口から、父のヒーゴが顔を覗かせた。手には水の入った器を持っている。


「……心配、かけた」


「まったくだ。だが、無事で何よりだよ」


父は器を差し出しながら、寝台の(わき)(こし)を下ろした。しばらく無言のまま、俺の顔をじっと見つめる。


「なあクロ。父さんには、話してくれてもいいんだぞ」


「……」


「昼間も言ったろう。最近のお前は、疲れが取れてない顔をしてるって。……今日のは、ただの立ちくらみじゃないんだろう。何か、一人で抱えてるんじゃないのか」


優しい父の言葉に、今すぐすべてを打ち明けてしまいたい衝動が、喉元まで込み上げた。だが同時に、あの「知られてはいけない」という警告じみた直感が、その言葉を喉元で()き止めた。


「……ごめん。今は、まだ、うまく説明できない」


「そうか」


父は一瞬だけ(さび)しそうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。代わりに、俺の頭を大きな手でくしゃりと撫でる。


「話したくなったら、いつでも言えばいい。父さんも母さんも、逃げやしないさ」


その温かさに、視界が滲みそうになった。


「……ありがとう」


小さく零した言葉に、父は静かに笑い、部屋を出て行った。


しばらくして、母が夕食の()った(ぼん)を運んできた。温かいスープの匂いに、思いのほか空腹だったことに気づく。


「少しでも食べられそう?」


「うん、大丈夫」


体を起こし、(さじ)を手に取る。スープを一口含むと、じんわりとした温かさが体中に染み渡っていくようだった。


「……あんたが小さい頃からね」


不意に、母がぽつりと言った。


「時々、すごく大人びた目をすることがあったんだよ。まだ言葉もろくに話せない頃なのに、何かをじっと見つめて、考え込んでるみたいな顔をしてね。今日みたいに倒れたのは初めてだけど、あんたが何か、人には見えないものを感じ取ってるんじゃないかって、ずっと思ってたんだ」


母の言葉に、心臓が跳ねた。


「母さん……」


「無理に聞き出そうとは思わないよ。ただね、クロ。あんたがどんな力を持っていても、どんな秘密を抱えていても、あたしらの子供だってことに変わりはないんだから。それだけは、忘れないでおくれ」


穏やかな声だった。だが、その言葉には、母なりの深い覚悟(かくご)が滲んでいるように感じられた。


「……うん」


それ以上、何も言えなかった。ただ、盆の上のスープを、ゆっくりと飲み干した。


食事を終え、母が盆を片付けて部屋を出て行った後、俺はしばらく天井を見つめていた。


優しい両親。気の置けない友人。何一つ欠けたところのない、穏やかな暮らし。


それなのに――今日見たあの光景が、いつかこの当たり前の日々を、跡形(あとかた)もなく(うば)い去っていくかもしれない。そう思うと、得体の知れない恐怖が、じわりと足元から()い上がってきた。


窓の外では、隣家(りんか)の明かりがぽつりぽつりと(とも)り始めていた。夕餉(ゆうげ)の支度をする煙が、いくつもの煙突(えんとつ)から立ち(のぼ)っている。何の変哲もない、平凡(へいぼん)な村の夕暮れ。だが、その平凡さこそが、今はどうしようもなく愛おしく、そして(もろ)く思えてならなかった。


もしも本当に、あの光景がこの世界の行き着く先だとしたら――この温かい(あか)りも、この穏やかな煙も、いつか跡形もなく消えてしまうということだ。


そんなことは、絶対に許せない。


夜。家族が寝静まった頃、俺は静かに寝台を抜け出し、窓辺に腰掛けた。


月明かりが、村の家々の屋根を淡く照らしている。何もかもが、いつも通りの静かな夜だった。


だが――俺は知ってしまった。


昼間見たあの光景は、夢でも(まぼろし)でもない。《11時・未来観測》という、俺の中に眠る力が見せた、この世界の「行き着く先」だ。


いつ来るのかはわからない。あと一年後か、十年後か、それとも――明日かもしれない。


ただひとつだけ、確かなことがある。


――この世界は、滅びる。


崩れる建物、狂った時間、そして瓦礫の中で一人泣いていた、あの白い髪の少女。あの光景を、ただの未来として受け入れることなど、俺にはできそうになかった。


「……止めてやる」


口の中だけで、そう(つぶや)いた。


自分でもわからない。なぜあの少女のことが、これほどまでに頭から離れないのか。なぜ、あの光景を見過ごせないと、こんなにも強く思うのか。


あの子は今、この空のどこかで生きているのだろうか。それとも、まだ生まれてすらいないのか。


答えの出ない問いを、夜空に浮かべてみる。けれど、理由なんてどうでもよかった。


俺には、時間そのものを操る力がある。十二の刻。まだその半分も使いこなせていない、未完成な力だ。それでも――この力があれば、きっと何かが変えられる。そう信じるしかなかった。


窓の外、遠くの空を見上げる。今はまだ、(ひび)の入っていない、当たり前の夜空がそこにあった。


「絶対に、あんな未来にはさせない」


低く、けれどはっきりとした声で、そう口にする。震える(こぶし)を、強く(にぎ)りしめながら。


呟いた後、俺はふと、自分の手のひらに視線を落とした。


試しに、指先に意識を集中させる。触れてもいない空間に、薄い(しも)が広がっていく。氷の魔法――村の(みんな)に愛され、誰に見せても笑って喜ばれる、優しい力。


けれど、もうひとつの力は、こんなにも危うく、こんなにも重い。


同じ自分の中にあるというのに、これほど(あつか)いが違うふたつの力があることが、どうにも不思議で、そして少しだけ悲しかった。


いつか、この時間の力のことも、誰かに笑って話せる日が来るのだろうか。


そんな他愛のない願いを抱きながら、俺は窓を閉め、静かに寝台へと戻った。


翌朝、目覚めたときには、頭の痛みも、体の重だるさも、随分(ずいぶん)(やわ)らいでいた。いつも通り朝食をとり、いつも通り畑仕事を手伝い、いつも通りトマスと他愛のない話をする。(はた)から見れば、何も変わらない、いつもの一日だった。


けれど、俺の中では、確かに何かが変わってしまっていた。


穏やかな日常の裏側に、途方もない終わりが待ち構えている。そのことを知ってしまった今、もう二度と、何も知らなかった頃の自分には戻れない。


畑仕事の手を止め、ふと空を見上げる。


頭上には、まだ雲ひとつない青空が、どこまでも広がっていた。


ここまで読んでくださりありがとうございます!

面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)             

         ☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
とても面白かった!! まだ一話しか読んでいませんが、とても良かったです。 表現が繊細で美しくて大好きです!! クロや少女のことなど、これからの展開が非常に気になりますね。 ささやかですが、ブクマと星…
クロの能力と世界の崩壊、謎の少女。 親御さんの優しさが愛おしいですね。 物語がどうなるのか?、続きが気になります。
Xから来ました! 氷魔法だけでなく、時間操作の魔法に目覚めてしまったクロ。 周りに心配をかけまいと一人で抱えるクロの気持ちも、そんなクロを心配する両親の気持ちもとてもよく伝わってきました(;_;) い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ