瓦礫の記憶
雨が降っていた。吐きだした息が白く濁って空気に溶けていき、全身が濡れて身体が重い。けれど肌にまとまりつく冷たさは少しも感じられなかった。
少女が立っていた。二つに結ばれたブルーグレーの髪が雨に濡れ、少女は傘も差さずにこちらに背を向けたままじっと佇んでどこかを眺めている。
崩壊した町だった。周りを見回してみるとそこにあったはずの建物はすべて崩れ去り、壊れた家財や衣服の切れ端が入り乱れた瓦礫の山として視界を埋めている。
その被害は町の中心へ向かうほど大きくなっており、ところどころで捲れ上がって砕けた地面の先では地区を分ける階段の途中から水に飲まれ町の中に巨大な湖が形成されていた。
不意に押し寄せる波音のように微かな喧噪が聞こえてきた。気がついた途端に声の集まりは少しずつ大きくなっていき、それに伴って言葉の一つひとつが意味を抱きはじめていく。
振り返るといつの間にか少女の周りには大勢の人だかりができていた。彼らは記された文字を読み上げるように規則的な声で深い憎悪にまみれた罵声を呟きながらじりじりと少女へ近づいていった。その手には金槌や包丁、折れた木材や瓦礫の破片といった様々な凶器が握りしめられていた。
ユーリは雨に打たれたままその光景をぼんやりと眺めていた。身体が動かない。声も出ない。まるで意識がそこに縛りつけられたように歩くこともできなかった。そんなことすら思っていなかった。
なにも感じなかった。
群衆の一人が草刈り鎌を頭上に持ち上げ、黒く淀んだ恨みの言葉を口にしながら人だかりの真ん中に振り下ろした。それを合図にしたように周りに群がっていた者たちも一斉に少女に向かって凶器を振り下ろしていく。
悲鳴は聞こえなかった。ただ無慈悲にそれぞれが握りしめた殺意を振るい続けていた。見るに堪えない凄惨な光景が繰り広げられ幾千の雨音が降り注いだ頃、彼らは唐突に熱が冷めたように人だかりの中心を見つめたまま動かなくなってしまった。
やがて、彼らの足元から雨に流されて血だまりが広がっていった。雨の音だけがいつまでも途切れることなく静寂の中へ降り続いていた。
彼らは気がついたように顔を上げるとユーリの方へ歩み寄り笑顔で感謝の言葉を口にしながら通り過ぎていった。誰もが安堵の表情を浮かべていた。いつしか雨音の中にそれらは消えてなくなった。
血だまりの中にナーガが倒れていた。ユーリはおもむろに近づいていくとそばにしゃがみこんだ。なんの感情も見えないぼんやりとした表情で空を見上げている。
「こうするしかなかったんだよ。ユーリも、この子も。誰も悪くなかったの」
そのとき後ろから声がした。知っている声だった。
「そうしないとみんなが幸せに暮らせていけなかったの」
「ただ生きようとしていただけなんだ。誰かを傷つけようとしたわけじゃない」
「仕方のないことってたくさんあるんだよ、生きていれば。悲しいことだけれどね」
俺はそんなふうに思いたくない。
「でも安心してる」
そのときナーガの瞳に雨粒が落ちて流れていった。手を伸ばして触れた頬は忘れ去られた彫像のように冷たく、そこにあったはずの命の痕跡を見つけることはできなかった。
「大丈夫、きっとこの子だってユーリのことを恨んだりしないから。ユーリはなにも間違ってないよ」
迷いが胸の奥で彷徨い続けていた。
誰もが安らかに暮らせていける場所なんてこの世界にはどこにもない。そんなものは神様にだってつくれなかった。
いずれ訪れる時を遠ざけていただけで結局はこんな終わり方にしかならない運命だということは最初からわかっていた。
だから、最後はこの手で。
雨が降っていた。ユーリが立ち上がったとき、町にはもう誰の姿もなくなっていた。瓦礫の町がどこまでも続いていた。




