なりたかったわたしへ
ひどく急き立てられていた。真っ暗な闇の中で早く前へ進めと何者かが声を荒げて急かしてくる。いったいどこへ向かえばいいのかわからない。急ぐ意思に反して脚は前へ進まず底なし沼にはまったように身体が重たかった。
早くしなければならない。
焦燥感が全身を駆け巡り、がむしゃらに手足を動かそうとしながらもがいていると突然視界が開けた。
「ユーリくんっ!」
叫ぶような呼びかけでユーリは弾かれたように身体を起こした。
必死な顔をしたアイリスが肩を掴んでカンカンと甲高い声で叫んでいた。なぜ咎められているのかわからず、その耳障りな響きで一気に不快な気分になりユーリは手をかざしてしかめっ面で首を振った。
アイリスは怪訝そうに首を傾げたものの叫び声は響き続けており、ユーリは不機嫌になりながら彼女の口を塞いだ。
そこで気がついたのはけたたましく鳴り響いているのが叫び声ではなく聖堂から届いてくる鐘の音ということだった。
「なにしてるの早く起きてっ!」
手を払いのけたアイリスが叫び、まどろみの残像に捉われたままではあったがユーリは慌てて起き上がった。
「どうした?」
「知らない! いきなり鐘が鳴りはじめたの! ねえどうしよユーリくんこれってもしかしてあの転生者が来たってこと!?」
「……ああ、避難訓練じゃないならな」
外はまだ暗かった。眠ってからそれほど長い時間が経っているという感覚はなく、せいぜい二、三時間というところだろう。
ようやく奴がこの町へやってきた。
ダヒアからここまでの距離を考えればもう数日はかかるはずだが、奇襲するためにある程度は転移できる距離をごまかしていると踏んでいた。まさかここまで早く来れる足を残しているとまでは考えていなかったが、だいたい追いこまれているときはこんなものだ。
「ユーリ様っ!」
廊下から慌ただしく走ってくる足音がやってくるとマリーが乱暴に扉を開いた。
「来ました、襲撃です! 町の中へ突然武装をした者たちが現れて──」
「すぐに行く。住民の避難は済んでるのか?」
「は、い、いえっ……聖堂への避難をさせているところで……」
「わかった。マリーは先に行っててくれ」
「はい……!」
誰が武装をしているのか、転生者はどこにいるのか。そういった細かい話を知りたいところだったがこの騒動の中では正確な情報は得られないだろう。こういうときは実際に出向いて確かめるしかない。
それに、奴の慎重な性格から考えればいまはまだ手が届く範囲にはいないだろう。おそらくは少しでも安全な状態からこちらの戦力を削ってくるつもりだ。
ユーリはすぐに上着を着ると立てかけておいた杖を掴んだ。アイリスは狼狽えた様子でソファと窓際とを行ったり来たりしており、準備の整ったユーリが顔を向けると怯えと混乱が入り乱れた表情で見返して視線を彷徨わせていた。
「アイリス、これが最後だ」
「な、なにがっ?」
「一緒に戦うか、終わるのを待ってるか。一瞬で決めろ」
「っ……」
アイリスは塞ぎこむように頭を抱えぎゅっと両目を瞑って顔を伏せた。
臆病で根性がなくて自分勝手で、対岸でなにが起きようと無関心を貫ける性格なのはもう知っている。転生者として善行を積もうとしているのもあくまで自分本位だ。そもそも彼女は戦うための力なんて望んですらいなかった。
それでも、アイリスはいまもまだここにいる。
「い、一緒に行くよぅっ……ほったらかしにできるわけ、ないでしょっ……」
深い葛藤の狭間で揺れ動いていたアイリスが絞りだすように口にする。けれどすぐに泣きだしてしまいドレスの袖で涙を拭いながら小さな声で呟いた。
「ほんっとわけわかんない……なんなの、なんであたしがこんなことしなくちゃいけないのっ……知らないわよ、誰も助けてくれなかったくせに……ばかじゃないのっ……」
「……ありがとな、アイリス」
「嫌になったら逃げるからねっ……!? 文句言わないでよ……!?」
「そのときは俺も誘ってくれ」
「じゃあ一緒に逃げるっ!」
「せっかく振り絞った勇気くらいは使ってからにしようぜ。じゃあ行くぞ」
「準備、あの、待ってあたし、なに持ってけばいいのっ……!?」
「それだけ喚く元気があれば充分だよ」
屋敷の外に出ると町中から断続的に悲鳴と怒号が挙がっていた。
兵士たちが逃げ遅れた住人を探して呼びかける声が住宅街の方から飛び交い、薄暗い街灯の下では寝間着姿の住人が兵士に誘導され聖堂まで走っていた。小さな火事を起こしている建物もあり闇に沈むアンスリムの町をほのかに照らしだしていた。
そろそろ日付が変わる頃で今日中の避難は無理だとあきらめた者や判断を先延ばしにしている住人が大勢取り残されていた。この町を去った者がどれくらいいるか。おそらくはごく少数だろう。避難船は港に停泊したままだった。
「ねえユーリくんあたしどうしたらいいのエーデルワイス使ったらいいのわかんないの教えて怖いんだけどやっぱ帰るーっ!」
「一気にいろんなこと喋るなよ。怖いなら明日の朝食でも考えてろ」
「なんでそんなに落ち着いてるのよぅ!」
「しっかり睡眠を取ったからだよ」
目を凝らして町を見渡していると中央広場の方で大勢が入り乱れて戦っているのが見えた。だがそれ以外の場所からも剣を打ち合う音が響いており敵は町の至るところへ現れているようだった。
そのとき近くの通りから悲鳴が起こった。恐慌が伝染して一気に騒然となっていき広場へ続く大通りへと住人たちが飛びだし散り散りになって逃げ惑いはじめていく。
「あっちだ、行くぞ」
「戦えないからね!? あたしそばで見てるだけだからねっ!?」
「なんでもいいけど俺から離れるなよ」
この期に及んで念を押してくるアイリスを連れてユーリは駆けだした。




