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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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靴音を隠して

 銭湯の前まで行ってみるとぼーっとしながら水路を眺めるナーガがいた。


「悪い、待たせたな」


「おかえりなさいませ魔王様」


「遅いよー、いままでなにしてたの」


 その傍らで不機嫌そうにベンチに座っていたアイリスがかちゃりと立ち上がって不満げに口を尖らせる。


「ちょっと鑑定に時間取られちゃってさ。ありがとな待ってくれて」


「待ちくたびれてもう入っちゃった」


 言われてみるとアイリスの頬は風呂上がりのせいか微かに上気していた。いや、だったらたいして待ってないだろお前。


「ナーガは?」


「もちろん待っておりましたとも、えぇ」


「入ってくれば? あたし先にホテル、じゃなくて宿に戻ってるから」


「じゃあ上がったら迎えに行くよ」


「ゆっくり入ってきてね。二人とも川に落ちてびしょ濡れになってたんだから。あたしも少し散歩したいし」


「散歩?」


「きれいな町でしょ。こういうメルヘンチックな町並みに憧れてたんだ。じゃあまたあとでね」


 そう言って手を振るとアイリスは中央広場の方へと向かって歩きだした。かちゃかちゃ。


「待てよ」


 咄嗟にその肩を掴んで引き止める。アイリスがこちらへ首を振り向けてにっこりと微笑んだ。


「なぁに?」


「金持ってるな。置いてけよ」


「なに言ってるの、お金はナーガちゃんが──」


「さっきからブーツがおかしな足音立ててるんだよ。風呂入ったお釣り持ってるだろ」


「……ああ、そうでした」


 その後ろでナーガがぽんと手のひらを打つ。アイリスは小さく舌打ちをしていた。


「まさか一人だけ先に腹を満たそうとかそういう魂胆じゃないよな?」


「もしそうだったらどうするつもり?」


 不敵な笑みを浮かべながら試すようにこちらを見返してくる。ユーリは少しぎょっとした。


「え、どうした? そんな強気で押してくるキャラじゃないだろ」


「そうね、以前までのあたしはか弱くて守られているだけのヒロインにしか過ぎなかったわ」


「……口調おかしくない?」


「ふふ、でもいまはもう違うの」


 アイリスはこちらへ振り返ると両手を広げながらなんともいえないポーズを取った。


「聖剣士として覚醒をしたこのあたしをユーリくんに止められるかしら? 聖剣士であるところのこのあーしを」


「そのわりにやろうとしてることがせこすぎるだろ……」


「崇め奉れとまでは言わないわ。二人には恩を感じているし感謝もしているもの。けれど二人のピンチを華麗に救ったあたしに少しくらいのご褒美があってもいいんじゃなぁい?」


 うっわぁ……めちゃくちゃ調子乗ってるなこいつ。


 げんなりするユーリの隣で無感情に眺めていたナーガがぼそっと口を開く。


「覚醒するのはいいですが、肝心の聖剣がないのにどうしてそんなに威張っているんですか」


「……あ」


 気がついたように腰のベルトを見下ろした。さっき守衛に預けたばかりなのに。アイリスは顔色を変えながら背を向けて走りだそうとして──


「いったぁ!!」


 地面の小さな溝につまづいて転んでいた。びたんと倒れた背中をナーガが踏みつける。アイリスはじたばたともがいていた。


「お、重いっ……」


「憐れですね転生者。来世はうまく立ち回るのですよ」


「急によそよそしくならないで……!」


「ばかだなお前、ここで逃げたってそのあと気まずくなるだけじゃねえか」


「ま、待って、聞いて……!」


 目の前でしゃがんだユーリへとなにやら必死な顔で見上げてくる。


「なんだよ」


「あたし、お腹空いてるのっ……それでさっきクレープの屋台見つけて、甘いもの食べたいの……! いいでしょ別にそのあとご飯行くんだし、二人を助けたのは事実でしょ……? 溺れずに済んだよねっ? なよなよしてて頼りなかったけどこいつのおかげで助かったなって思ったよね!? あたし怖いの我慢して頑張ったんだよ!? なんでお小遣いもくれないのっ……?」


「こっそりやろうとしてるところにこの先の不安を感じてるんだよ」


「じゃあ言えばよかった……?」


「たかが五百ディール程度だろ。そこまで食べたいって言ってるのにだめだとは言わねえよ」


「食べさせてくださいっ」


「……しょうがない、離してやってくれナーガ」


 呼びかけるとナーガは足をどけた。と見せかけて一瞬だけ強めに踏みつけてアイリスがぐえっと声を漏らす。


「げほっ……やった、ありがとうユーリくん! はあ、こんなことなら最初からそう言えばよかったよー」


 代わりに晩ご飯は多少安いメニューで我慢してもらうことになるがその点については文句を言わないだろう。立ち上がってほっとしたように笑いながらドレスを叩くアイリスの隣でナーガが小さく声を漏らした。


「……そういえば。アイリス、宿の部屋を取ったときのお釣りは……」


 ぱたぱた、ぱた。


 ぎくりとしたようにアイリスが固まった。はっとしたようにナーガがそれとなく目を逸らしていく。


「……すみません、なんでもないです」


「お釣りこいつが持ってるのか?」


「申し訳ありません、ナーガはなにも知りません……」


「アイリス?」


「いや、あの……あたし、別に……」


「……え、うそだろお前……」


「ち、違うのっ……ちゃんと……そそそ、そんなネコババしたら……あたし、あはは……そ、その……違うのっ……違うの、聞いてっ……あたし、お腹、痛くて……! だから、あのっ……全然違うの!」


 だらだらと冷や汗を流しながら涙目でこちらを見る。


「なんか悪いな、せっかく助けてもらったのに。オークの村へ連れていくのは心苦しいけどどうやらお前は金銭管理に致命的な弱点があるようだから」


「やだ、うそうそっ! ごめんってば冗談だって! お願いそれだけはやめて返す、返すからっ!!」


 アイリスは慌てて足からブーツを引き抜くとぐしゃぐしゃになった千ディール札と小銭を取りだした。


「けっこうえぐい冗談だったな」


「や、やだなぁ……よく考えてみてよ、みんなお腹空いてるのにあたしだけ抜け駆けするわけないじゃん。だいたい、だいたいだよっ? いくら覚醒したとしても刃物恐怖症までは治ってないんだからあたしが威張れる理由なんてこれっぽっちもないってことは自明の理だよねっ? これが他愛もない冗談だっていうのは最初から白日の下に晒されていたわけでしょっ? もー、ユーリくんってばユーモアがないんだからーっ」


 あははははと笑いながらユーリの手を掴んでぎゅっと握らせる。ほんのり生暖かくてユーリは微妙な気分になった。


「じゃ、じゃああたし先に戻ってるからなるべく早く帰ってきてねっ……!」


 乾いた笑顔を張りつけたままアイリスはそそくさと通りを走っていってしまった。さっきはゆっくり入れって言ってたのに、完全に一線越えるつもりだったなあいつ。


「……魔王様、あの女を助けたこと後悔してませんか」


「ははは……ばか、おかしなこと言うなよ。そんなわけないだろ?」


「……」


 返事をするための言葉が見つからなかったようにナーガはなんとも言えない声を漏らしていた。たぶんそれはユーリの声が微かに震えていたからで、それもきっと川に落ちて寒かったせいなんだろう。きっとそうに違いない。

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