シンクロ
熱い湯にたっぷり三十分ほど浸かり充分に身体をあたためてその晩にはなるべく安い店を探してたらふく空腹を満たした。その後は宿に帰ってアイリスのつまらない話を聞きながらほどほどに夜が更けた頃には柔らかな毛布に包まれて疲れた身体をゆっくり休めることができた。
……そのはずだったのだが。
「はいユーリくん、食べれる?」
昨日の森でもしものためにと採ってきていた木の実をアイリスが差しだしてくる。ユーリは咳きこみながら首を振った。
「いらない……」
自分のものとは思えないひどく掠れた声にげんなりしてしまう。
やっぱり川に落ちたまましばらくそのままでいたのが悪かったのか風邪を引いてしまっていた。
頭が痛くて身体がだるい。ぼんやりとしていてけっこうな熱があるみたいだった。
「だめだよ無理にでも食べなくちゃ。苦しいの嫌でしょ?」
「それ栄養たいしてないから……」
「おいしいのに」
ため息混じりに言いながらぱくりと木の実を口にする。気に入ったのかアイリスは昨日からちょこちょこと摘まんでいた。
「でも困ったね。これじゃ今日は依頼できないじゃない。ゆっくり休んでよっか?」
「そんなわけにいかないだろ、依頼やらなきゃ今晩こそ野宿だぞ……そろそろここも出なきゃいけないし……」
「けど具合悪いのに遠出なんてしてたらいつまで経っても治らないよ」
「一緒には行くけど討伐は二人でやってくれ……」
「案内所で休ませてもらえば? ついてきたって仕方ないでしょ」
「お前らだけじゃ心配なんだよ……」
「こっちのセリフなんですけど」
まったくだ。もともとあまり頑丈な身体をしてなかったのもあるが、このくそ貧しいときに体調を崩してしまうとは。
咳きこみながらそっと窓辺に目を向ける。開け放たれた窓の向こうに伸びた街路樹の枝には数えるほどの枯れ葉しかついてなかった。唐突に吹き抜けた北風がその中の一枚をふわりとさらっていく。
その光景を一緒に眺めていたアイリスが浮かない顔をして席を立った。
「窓……閉めてくるね。悪い方に考えちゃだめよ……?」
「きっと……あれが散る頃に俺はもういなくなってしまうんだろうな……」
「っ……」
窓を閉じてカーテンを引いていたアイリスが悲痛な顔で振り返り、堪えるようにうつむいた。
「……そんなこと言わないで」
「ごめんなアイリス、迷惑ばかりかけて……」
「それは言わないって約束したでしょ……? 大丈夫、きっと病気なんてすぐによくなるから。そうしたらまたみんなで冒険しましょう?」
「大変なこともあったけど、楽しかったな……」
「どうしてもう終わりみたいな言い方をするの……」
「……自分の身体のことは自分が一番よくわかってる。もう俺は長くない……」
「……やめて」
「……アイリス。もしも俺が死んだら、きれいな海が見える丘に──」
「やめてよっ!!」
小さな部屋の中へアイリスの声がこだまする。彼女自身も驚いたようにはっとしてユーリを見返した。戸惑った表情で呆然と見つめたまま、やがて首を振りながら床の染みに目を落としていく。
「アイリス……」
「ごめんなさい、大きな声出して……」
「いや……」
「お願い、そんなふうに弱気にならないで……ユーリくんがいなくなったら、あたし……っ……」
その先は続くことなくアイリスは目を閉じた。カーテンを握りしめていた手がぶるぶると小さく震えていた。
どこかでアコーディオンがメロディーを奏でていた。凍りついた沈黙を埋めるように音色が二人を包み、どこかもの悲しい旋律がそのときだけは慰めであるかのように優しいぬくもりを心に降り積もらせていく。
「夏になったら海に行こう? 秋になったら、あの……山に行きたいの。それで……それで、冬になったら……っ……ふ、ふふっ……あ、ごめんもうだめ……」
アイリスはそのまま口を覆うと小刻みに肩を震わせはじめた。ユーリも堪えきれなかった。静まり返った部屋の中へ二人の大きな笑い声が響いた。
「あははははっ! ちょ、やめてよそんな真面目な顔されたら笑っちゃうからっ! 風邪、た、ただの風邪っ……なのにっ……! なんなのもっかい転生するつもりなのーっ!?」
「ぶははは! お前が乗せてきたんだろっ! やめろよそういうの嫌いじゃないんだからっげほげほっ……!」
「だいたいいま春だし! こんなにあったかいのに枯れ葉があるわけないじゃんいまのなんだったの普通に怖いんですけど……」
そう言いながら弾んだ声が瞬く間に急降下してアイリスはぞっとした顔で青々と生い茂る街路樹を見返していた。
こんなときになにやってんだろう俺。完全に熱あるわ。
大笑いして咳きこんでしまい本気でげっそりしている背中をため息混じりにアイリスがさする。
そうしているうちに駆け足気味の足音がどたどたと廊下の向こうからやってきてナーガが扉を開けた。
「魔王様、買ってきましたよ」
「ああ、ナーガ……ありがとな……」
「これで栄養をつけてください」
ベッド脇までやってくるとナーガはがさごそと袋の中身を取りだした。途端にアイリスが引いた声を漏らしユーリは顔をしかめた。
「なんでカエルなんか買ってきてるんだよ……」
「おいしいじゃないですか」
「薬買ってこいっつったろ……」
「はあ……すみません、ナーガの一族は具合を悪くしたときいつもこれを口にしていたので特効薬かなと……」
げこげこ。ナーガの手のひらの上で死んでいるカエルが虚ろな瞳でユーリを見つめていた。小さくため息をつく。頭痛い。
「もういい、行くぞ……」
「依頼行くの?」
「……ああ」
「カエルはどうしますか」
「お前にあげるよ……」
「わかりました。ではいただきます」
そう言ってナーガは生のままカエルをぱくりと頬張った。もごもごと口を動かしびろんと垂れたカエルの前足が少しずつ飲みこまれていく。
「えぇえっ、なんでほんとに食べてるのうそでしょ気色悪くないのっ……?」
「ほいひいへふよ。ふはへほはいはははひはははははいへほうは」
「食べながら喋らないでくれ、ちょっと見えてるから……」
一応骨はそのまま食べられるほど柔らかい種らしいので問題はないだろうがあまり目に優しくない光景だった。ごくんと飲みこんだナーガは満足そうなため息をついていた。
起き上がって気だるい身体に気合いを入れながら上着を着ているとドレスに袖を通していたアイリスがきょとんとした顔で訊ねてくる。
「でもなんとかドラゴンがいるのにそんな体調で平気なの?」
「聖剣士のアイリス様がいれば大丈夫だろ……」
「え、無理無理別にあたしそんなあれだから頼られても困る」
「……返事するのも面倒くさいからとにかく行くぞ」
「あまりご無理をなさらないでください。グリードドラゴンはナーガ一人でも充分です」
そいつはどうだろうな。この少ない人数であの魔物を討伐できるかどうか。苦労するのは間違いなさそうだ。




