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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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穏やかな時間

 ざばりと肩まで浸かって一息つく。いままではシャワーしかない風呂ばかりだったのでこうして湯舟にゆっくりと浸かるのは久しぶりだった。多少熱いが全身の疲れが抜けでていくようでとても心地いい。おかげで残金は五百ディールだ。


 女湯の方からは時折アイリスの話し声が聞こえていたがぼそぼそと受け答えしているせいかナーガの声はほとんど聞こえなかった。けれどアイリスの様子を聞く限り険悪な雰囲気ではないようで一安心する。仲を深めるために銭湯へ来たのは間違いじゃなかったようだ。


 値段の割に周りに客はおらず貸し切り状態だった。湯舟は広々としているが壁に富士山が描かれているわけでもなくネズミ色のレンガが積み重なっているだけでユーリは湯気に曇る天井を見上げてため息をついた。


 魔物を討伐する。もともと容赦なく襲いかかってくるような狂暴な魔物に対しては命を奪うことも仕方のないことだと思ってはいたが、穏やかに過ごしている彼らの領域に一方的に踏み入って殺すことに関しては思うところがないわけではなかった。


 正しいことと間違っていること。それはあくまで人間が勝手に定めたルールであり、実際は生命の奪いあいなんて生物である以上はどんな形であれ自然の摂理だ。他者を奪わずに種を存続させていくことはできない。


 糧とするために家畜を殺すことと娯楽のために狩猟をすることはある意味では同義だった。もらった命に感謝するというのはこちら側の勝手な言い分にしか過ぎない。


『それで救おうとしているのは自分の心の方なのよ』


 育ててくれた親がそんなふうに言っていたのを思いだす。生きていくこととは別に無益な殺しをするのも人間の習性だ。だから命の在り方について深く捉える必要はない。たとえどんな形であれ、そこでやり取りされる命は神羅万象が流転していった結果なのだから。


 わかってはいるが、納得はできなかった。


 水面で揺れるつま先を見つめながらユーリは思った。不必要に死んでいく命が生まれてほしくはない。矛盾した考えがずっと頭の中で錯綜し続けていた。歪んでいるのはなによりも自分自身なのだろう。


「わっ、すっごいなんでそんなにすべすべなの!?」


「どこ触ってるんですかっ」


 そのとき背後の壁の向こうからアイリスの声がしたかと思うと続けざまにぱしっと乾いた音が響き渡った。


「いたっ、いったぁ! ほ、本気で殴ることないでしょっ!?」


「本気だったら今頃あなたの頭が吹き飛んでますっ」


「怒ることないじゃんちょっと触っただけなのに!」


「ナーガが感じた他意はたしかなようですがっ」


「羨ましいなって思って、そう、褒めてるんだよっ? なんでこんなに肌きれいなの? ほらこの辺とか……ひゃ、ちょっと水かけないでよぅ!!」


 いつのまにかずいぶんと仲がよくなったようで二人の楽しそうな声が……って無理あるわ。なんでけんかしてるんだろう。


 なにごとかと思って振り返りながら仕切りを見上げる。


「やめてよーっ! つめたっ、寒いじゃん風邪引いちゃうからー!!」


 シャワーの音とアイリスの悲鳴と、あとは湯舟に流れゆく水音のせいでナーガの声は聞こえなかった。とりあえず大騒ぎしていることだけはわかる。


「おーい、どうしたー?」


「わっ、ゆ、ユーリくんっ!? あ、ううんなんでもないのっ! ごめんね! ナーガちゃん、そろそろ止めてっ」


 他に声も聞こえないし女湯の方もガラガラなのかもしれない。にしても迷惑な客だ……。


「あんまり騒ぐなよー」


「ほ、ほら……ユーリくんもああ言ってるよ? あ、ちょっと待ってなんで温度変えようとしてるの何度にするつもりなのっ?」


 それからもう一度アイリスの短い悲鳴が聞こえてやがてぴちゃぴちゃと走る音がしたかと思うと背後でばしゃんと大きな水音が立った。なにやってんだよ。


「残念でしたーここまではシャワーも届きませーん! ねえねえユーリくん、こっち誰もいないんだよ。そっちは混んでる?」


「空いてるよ。俺だけだ」


「へへー貸し切りだね。……あ、ねえちょっと待ってなんで桶持ってるのナーガちゃんけっこう力持ちなんだよね水だってぶつけるとけっこう痛いんだよ?」


 ややあってアイリスの短い悲鳴が水中に消え続けざまにばっしゃんと水を叩きつけるような音が盛大に大浴場へ響き渡る。ナーガが汲んだ水を投げつけたのか飛沫が仕切りを越えてこっちまで飛んできた。


「風呂くらいゆっくり入れないのかよ……」


 そんなふうに呟きながら、もう身体も洗い終えているしこのまま浸かっていてものぼせてしまいそうだったので先に上がっておくことにした。外で夜風に当たりながら待っていよう。


「ぷはっ……もー、あとでちゃんと洗ってあげるからナーガちゃんもこっち来て一緒に浸かろうよー。ユーリくんもいるよ? ていうか西洋風だからシャワーしかないのかと思ったけどこんな銭湯もあるんだね。ふふ、ねえユーリくん、あんまり覚えてないけど修学旅行ってこんな感じだったのかな。お風呂入りながら男女で会話するのってちょっと恥ずかしいけどなんか楽しいね。あ、ユーリくんは修学旅行も行ったことないんだっけ。家族で旅行したこととか──」


 脱衣所の扉を開けて大浴場をあとにする。用事も済んだし明日に備えてさっさと寝よう。

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