静かな厄災
通りを吹き抜けるそよ風がひやりと頬を撫でた。湯上がりで火照った身体に心地よく、道を挟んだ向かいにあったベンチに座って待つことにした。ここの銭湯は住宅街に近い場所にあったせいか人通りはなく、夜の活気は風に乗って中央広場の方からささやかに聞こえてきていた。
どこへ行けばいいんだろう。妖精灯の明かりでぼやけた星空を見上げながらアンスリムの周辺に魔物がいそうな場所を思い返す。ただ戦力はナーガしかいないため闇雲に強力な魔物を探すわけにもいかなかった。
例の商人たちに襲われたときに出会ったような魔物ならナーガも簡単に倒せるだろうが、あの程度の魔物では得られる結晶の価値も知れていた。二千ディールにもなればいい方だろう。それにしたってすぐに見つけられるわけでもない。
本格的な資金難に陥りかけていた。今日の食事だってままならないのに明日の稼ぎが乏しければそれから先はさらに苦しくなってくる。魔物討伐と並行して素材集めもしておいた方がよさそうだった。
ついため息をついてしまう。こんな調子じゃいつアンスリムを離れられるかわかったものじゃない。次に定期便が出る頃までにはなんとか運賃くらいは稼いでおきたかった。
「浮かない顔をされていますね。すきだらけですよ」
そのとき不意に背後から声がした。
「っ……!?」
反射的にベンチを離れながら振り返る。街路樹の暗がりに誰かが立っていた。ついさっきまでそこには誰もいなかったはずだ。
「……誰だ」
その問いかけに相手は妖精灯の下へ姿を現した。白銀の髪が風になびき端正な顔立ちが光に照らされる。背の高い男だった。ただその肌の色はとても人間とは思えないような紫に染まり無数の傷跡のように赤黒い痣が浮かび上がっており、それを隠すように黒のロングコートを身に着け手袋をして肌の露出を避けている。ユーリは呆然としたように目を見開いていた。
「ビュイス……?」
「お久しぶりですね、こうして直接お会いするのは。探すのに苦労しましたよ。人間の町はフェアリーだらけですから」
かつてユーリが従えていた魔王の一人がそこにいた。なぜこんなところに。無意識に身構えるユーリへビュイスは口元へ小さな笑みを浮かべた。
「そう警戒なさらずとも、その気があれば既に殺していますよ」
「……なにをしに来たんだ」
「魔力を失って無能になった魔王様を笑いに」
「人のこと言える立場かよ。今度は例の転生者に飼われることにしたのか?」
「無闇に虚勢を張るのは関心しませんね。たしかに私も魔力を奪われておりますがすべてではありません。魔王様の首を刎ねるのは容易いですよ?」
「仕留められる気がした途端に噛みついてくるなんて案外お前も小物なんだな」
「……相変わらず気がお強いですね」
「お前一人だけか?」
「ええ、実を言うと今日のことはあの男の耳に入れていません」
レゼッタが言っていた通りだった。やはり魔王たちはいま転生者と行動を共にしている。
ビュイスとはときどき事務的な会話をした程度の記憶しかなかった。どの魔王たちもそうだったがビュイスはその中でも特に手強かったという印象がある。
「まあ、あまり長居するわけにもいきませんし手短に用件を言いましょう」
「なんだよ用件って」
「忠告のようなものです。近いうちにこの町へとある魔物が攻めてきますよ」
「魔物が……?」
眉をひそめてユーリが先を促すとビュイスは通りの向こうで分かれた三差路の方へ目を向けた。その先にある中央広場から届く喧噪の中へ知人の声を探すように真剣な顔でじっくりと眺めながら口を開く。
「あの男は集めた魔力から魔物を生みだす力を持っています。我々が目にしたこともない未知の魔物です。まだ完全な姿ではないようですがそれももう間もなくでしょう。あの男は魔王様の命を狙っているようですよ」
「未知の魔物……?」
「少なくとも、私はあのような姿をした生物を見たことがありません」
創造しているっていうのか?
とてもにわかには信じられる話じゃなかった。
わざわざそんなことを言いに来たくらいだから駐屯している魔導士程度では話にならないような力を秘めていることは容易に想像がついた。なによりもその男には魔力を奪う力が備わっている。町の壊滅。そんな光景がふと脳裏をよぎってしまう。
だけど、天使がそんな力を与えたのだろうか。
「なんなんだよそいつの目的は」
「さあ、なにを考えているのかはわかりません。魔王様と同じであまり我々と顔を合わせませんから。よく独り言を呟きながら笑っています。こちらには空間転移術がありますし探しても徒労に終わるだけかと」
「なんでそのことを俺に?」
「私もあの男の言いなりになっていることを容認しているわけではないんですよ。できれば魔王様に始末していただきたいんです。無能を嘆いて落ちぶれているわけではないのでしょう?」
「だったら別の奴に頼めよ。転生者なら他にも何人かいるはずだぞ」
「あの男は既に並の転生者では歯が立たないほどの力を手にしてしまっています。おそらくあの男に敵うのは魔王様ただお一人です」
「むしろ一番遠いところにいるだろ。だいたい、そのつもりがあるならそいつについてないでこっちに手を貸せよ」
「勘違いしないでいただきたいですね。最終的に漁夫の利を得ようとしているだけで無事でいてほしいとは微塵も思っていませんよ。魔王様なら進んで捨て駒役になってくれると踏んでいるだけなので」
「そんなことわざわざ口に出すなよ……」
「あなたのことは最初から鼻持ちなりませんでしたから。まだ忠誠があるとでもお考えでしたか?」
「……好意を抱かれているとは思ってないよ。お前らにはずっと屈辱を与えてただろうから」
「そういうところが気に入らないんでしょうね」
ふっと小さく笑みを零しビュイスは両手を広げて肩を竦めて見せた。
「ともかく、話は伝えましたよ。なにも打つ手がないのであれば逃げておくことをお勧めします」
「待ってくれ、もう一つだけ教えてくれないか?」
「なんですか」
「いま、そいつのせいでどれくらいの被害が出てるんだ?」
「……いまのところは魔導士たちの魔力を奪っているだけに留まってます。ですが野放しにしていればいずれ死者も出てくるでしょうね」
「そうか……」
「では私はそろそろ引き上げます。健闘を祈っておりますよ、お互いのために」
そう言い残すとビュイスは水路を飛び越え対岸の通りに消えていった。やがて建物の向こうからフェアリーが励起され淡く光る粒子が浮かび上がり、続けざまに強烈な光が起きて消えていった。
空間転移術を使ったのだろう。その際に必要となる紋章陣は繋ぐ行き先で変化するため万が一にも転移先が知られないようにしたみたいだ。
まったく足取りの掴めなかった相手の現状がなんとなく見えてきた。おそらく奴はいま世界中を巡って魔力をかき集めている最中なのだろう。
もうあまり猶予もないままに転生者を、そいつが生みだした魔物をどうにかする手立てを見つけなくてはならなかった。どうすればいいんだろう。ユーリは星空を見上げ、そうして深いため息をついた。




