祝福の光
太陽が沈んで西の空が茜色に染まっていく。歩き疲れたアイリスに合わせているうちに町へ帰ってくる頃には夕暮れ間近になっていた。
「ぶえっくしょんっ!」
大きなくしゃみをした拍子にびろんと鼻水が垂れ、ユーリはため息をついて鼻をすすった。鞄からハンカチを取りだしてきたナーガがそっと鼻に押し当ててくる。
「誰かが噂をしているようですね。ちーんしてください」
「大丈夫だよ、汗かいてたからちょっと冷えただけだ。あともうちょっとだけ歳相応の言葉選ぼうな」
「どの辺りのことでしょう」
「……まあ、いいか。なんでもない」
「やっぱりお風邪を召してしまったのでは。今晩はネギを首に巻きましょう。悪化したら大変です」
「なんでそんな民間療法に詳しいんだよお前は。この世界にないだろそんな文化」
「城で教わりました」
誰にだよ。
アイリスはここへ来るまでずっと会話に参加してくることはなく、話しかけない限りは押し黙ったままだった。足元を見つめたまま浮かない顔をしておりたまに思いだしたように小さく吐息を零していた。
少し気がかりだったがユーリはなにも言わないことにした。代わりに会話が途切れないようにナーガととりとめのない話で沈黙を埋める。
そうして大きく開いたアンスリムに続く門の前までやってくる。そこにいた衛兵がアイリスに気がつくとにこりと小さく愛想のいい笑みを浮かべた。
「こんばんは。申し訳ありませんが、武器はこちらでお預かりさせていただきます」
「……」
「あの……?」
「おい、アイリス」
肩をとんと叩くとアイリスは気がついたように顔を上げて慌てて衛兵に顔を向けた。
「あ、すみません。え、あ、これですよね……」
わたわたとベルトの留め金を外すと聖剣の鞘を指で摘まんで危なっかしい手つきで衛兵に差し向ける。彼がそれに触れた途端ぱっと手を離してそそくさと後ずさっていた。
「ありがとうございます、お願いします……」
「はあ……」
衛兵はぽかんとしながらそれに答え代わりにこの国の紋章と番号が描かれた木製のカードを差しだしてくる。怖がるのはいいけど衛兵がちょっと傷ついてるような顔してるぞ。
町の中への武器の携帯は禁じられていた。武器の購入をする場合も一度軍が預かる形になり町への出入りの際に受け渡されることになる。転生者や英雄といった一部の者などは国に認められることで手に入る証を所持していれば例外的に持ちこみを許されるが当然ながらアイリスはまだ持っていない。
けれど杖については特にそういった規則はなかった。
危険度を考えれば魔導士の杖を厳しく取り扱って然るべきだと思うのだが魔導士というのはそう簡単になれるものではなく、人に危害を加えられるような魔導術ともなると普通に生活していればまず身に着けられない。それに加えて正しい心を持っている者だけが魔導術を扱えるというユーリにとってはなにも根拠の感じられない信仰があった。
警官が拳銃持ってても許されるみたいな感じなのかもしれない。内緒で技術を磨いても大きな魔力を持っていれば魔導士たちに感づかれて捜査されるしな。
そんなわけで夕暮れのアンスリムをまっすぐに軍の支部へと向かう。それは入り口からそう離れていない場所に建っていた。
「アイリス、あそこが軍の支部だ」
周りを小高い塀で囲い、屋根の上に国旗を突き立てたレンガ造りの大きな屋敷を指さしながらアイリスに振り返る。建物のすきまから垣間見える海のきらめきを憂いげな表情で瞳に映していたアイリスがその方向へ目を向けた。
「俺たちは用事があるからここまでだ」
「え、ついてきてくれるって……」
「用事なんだ。とても急を要する」
「は、はあ……」
「転生者ですって言うだけだよ。エーデルワイスを見せれば一発だから心配するな。あとは向こうがいろいろと面倒見てくれるから」
「……あの、用事って……?」
「……」
「……ユーリくん?」
ごほん。ユーリは一度咳払いをして場を仕切り直した。
「頑張れよ。お前ならきっと世界を平和に導く救世主になれるから」
「短いあいだでしたがこうなってみると惜別も募りますね。達者でやるんですよ、アイリス」
「……どうしてそんな幸せな結末を迎えたみたいな満ち足りた笑顔をしてるの?」
「元気でな」
「また会える日を楽しみにしてます」
くるりと背を向けてあてもなく歩きはじめる。今日中に隣町へ行こ。
「……待って」
咄嗟にその手を掴まれた。無視して歩こうとした途端にぎゅっと力をこめられ引き止められてしまう。
ちっ、勘の冴える奴だ。もしかしてこいつ頭いいんじゃないのか。
内心で舌打ちをしつつユーリは人当たりのいい笑顔を浮かべて振り返った。
「どうしたんだ?」
「なんか二人とも様子がおかしくない?」
「別れがつらくなるからあえて明るく振る舞ってるだけじゃないか。ははは、アイリスは鈍感なんだな」
「早く行ってくださいアイリス。別れの記憶を涙で彩りたくありません」
「ユーリくんはかろうじて見逃すとしてもナーガちゃんがあきらかに人格変わっちゃってるよね」
「些細なことさ。これからアイリスが刻んでいく栄光の前ではな」
「??」
鳥たちが羽ばたき、清らかな海風がアンスリムの町並みを走り抜けていく。夕日が優しくアイリスを包みこみ、それはまるで彼女の門出を祝っているかのようであった。世界からの祝福。そうして転生者たちは人々に安息の日々を紡いでいくのだろう。
「じゃ、そういうことで」
「ちょっと待ってよ!」
ぱっと手を振り払って背を向けるとアイリスは慌てて追いかけてきた。幾分早足で歩きながら前を向いたまま答える。
「さっさと行けよ、これから晩ご飯食べるから」
「いくらなんでも雑すぎないっ!?」
「どうせ一人じゃ不安とかやっぱり一緒にいてくれとか言いだすつもりだったんだろ」
「っ……わかってて突き放そうとしてたの!? 最低、信じらんない!」
「その通り、俺は最低な男で世界を支配していた魔王なんだ。そもそもお前と一緒にいること自体が間違っていたのさ、悲しいことだけれど」
「やだやだっ、うそごめん謝るからそんな冷たいこと言わないで!」
「お前は見ず知らずの男を追い回すために転生してきたわけじゃないはずだ。そうだろう?」
「しょうがないでしょ!? あたしの気持ちわかってくれるよねユーリくんなら! ほら、同じ転生者だしっ」
「さっぱりわからないな。明日からどうやって生活をすればいいのか、これからなにをしてお金を稼ぐのか。そういった間近な未来のことでさえもわからない俺にはアイリスの気持ちを理解することなんてできないよ」
「あーん待ってよぅ! せめてあたしの話だけでも聞いて!! ちょっとだけでいいから、お願いお願いー!!」
がしっと今度は脚にまとわりつきながらアイリスが涙目で喚く。絶対こうなると思ったわ。みんなわかってただろ。
「どうしますか魔王様。殺すなら一瞬ですが」
「さすがに町中はまずい」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
うんざりしながらアイリスを見下ろす。ナーガは子どものように泣く彼女を引きはがすとそのまま遠くへぽいっと投げた。べちゃりと地面に転んだアイリスが慌てて四つん這いに起き上がりながら手を伸ばしてくる。
「置いてかないでぇっ!」
「一人立ちしろ。軍に行くのが嫌ならこの町で普通に住めよ」
「無理だよぅ! あたしこの世界のことなんにも知らないんだよ!? 常識だってわかんないしお客さんに訊かれたことだって一個も答えられなかったんだもん! ほいぴょん一つってどういう意味よ! 雇ってもらえるとこ探してたら餓死しちゃうよ!」
ほいぴょんってなんだろうとユーリも疑問に思ったが口にするのはやめておくことにした。
「花屋でバイトしたんだろ」
「だめだったの……」
「なにが」
「喋ったの……!」
「はあ?」
アイリスは地面にぺたんと座りこんだままうつむいて微かに肩を震わせた。
「お客さんに出せるように切っておいてねって言われたの……。見たことなくて変な花だなって思ったけど、そのときはそれほど変だと思わなくて……それで、鉢植えから出したら……っ……喋ったんだよ……? 根っこに小さな赤ちゃんみたいなのがついてて『うぅ、うぅ……』って呻き声出してたんだよっ……!?」
「……ああ、あれか」
鮮やかな色あいとこちらの愛情によって元気になったり萎れたりする愛らしさが観賞用として密やかな人気を誇っているとある花だ。売られるときにはもう根の部分は取り除かれているので喋る姿を見る機会は少ないが、実は植物種の中でも特に不気味と知られている魔物だった。たしかにはじめて見たらびっくりしちゃうよな。もっと怖い花がいるけど。
「結局それで二時間でクビになっちゃって……あたしそれから三日くらい一日パン一個だけで生活してたの……一人で生きてく自信ないよ……こんなんじゃ絶対軍の人にも見捨てられちゃう……」
「そっか。まあ頑張れ」
「待って! 待ってってばっ、ねえなんでそんなにすぐ行こうとするのよ話聞いてよぉ……!」
アイリスは立ち上がると泣き疲れたような疲労のたまった表情でユーリたちの前に立ち塞がった。
「しこたま聞いてやっただろ。まだなにかあるのかよ」
「ユーリくんたちは朝話してた転生者を追いかけるんだよねっ? あたしがいたら旅も楽だよ……? 魔物に襲われないし……! あたしアイリス、聖剣士なのっ!」
「聖剣を使えない聖剣士なんかまるで役に立たねえよ。悪いけど他を当たってくれ。こっちにはお前を養う余裕はないんだ」
「待って、そんなふうにぶった切らないでっ……! あたしどうしてもまた人間に生まれたいのっ! タニシになるのは嫌なのーっ!!」
「なんだタニシって」
「あの人に言われたのっ! 善行積めなかったらあなたの来世はタニシですって! このままじゃあたし絶対来世は水槽の中で一生終えることになっちゃうよっ!!」
タニシ。あの貝みたいなやつか。役目を果たせなかった転生者がどうなるのか知らなかったけどまさかそんな生き物に生まれ変わるとは。
「力になれないって言っただろ。俺たちと一緒にいたらそれこそタニシ一直線だぞ」
「ユーリくんだったら魔王の倒し方もわかるでしょっ……? それにほらあたし剣使えないし魔法だったらなんとかなるかもしれないし、その……そう、転生者の力がそっちで覚醒してすごいことになるかもしれないじゃないっ! ユーリくんってすごい魔法使いなんだよねっ!? だからお願い手伝ってあたしを助けてなんとかしてーっ!」
「いや、だから……」
「あたしを一人にしないでっ……! お願いしますっ……! なんでもするからっ、ユーリくんの望むことならなんだってやるからっ!! もう嫌がったりしないからぁっ!!」
そう言ってアイリスはえぐえぐと泣きながら地面に頭を擦りつけた。そのまま泣き崩れてしまい、周りを歩いていた通行人が憐憫の眼差しを送りながら言葉を交わしていく。
「もうって、最初からなにもしてないだろ……」
思いの限り自らの無能さ加減をアピールされて連れていく気には到底なれなかったのだがなんだかとにかく心に突き刺さる光景だった。かわいそうだとか惨めだとか見るに堪えないといった言葉では言い表せられない比類なき悲哀がそこにあった。
もしかしていまなら聖剣を抜くことができるんじゃないのかお前。
「……連れていってもよいのでは」
いろんな大切なものをかなぐり捨てたアイリスの渾身の土下座をドン引きした表情で見つめていたナーガがそっとユーリに顔を向ける。
「意外だな、お前からそう言いだすなんて。嫌いじゃなかったのか?」
「魔王様が愚民共からの謂れのない悪評に晒されるのが我慢ならないだけです」
「……そうか」
たぶん素直に軍に行ってなんとかして恐怖症を克服しておく方が幸せだったと思うんだけどな。
「じゃあ行くぞ、アイリス」
「連れていってくれるの……?」
「お前の気が変わるまではな。パンすら食べられなくても文句言うなよ」
「魔王様に感謝するんですよ」
「ありがとうっ……! あの、あたし頑張るからっ……よろしくね……?」
「はいはい」
アイリスは立ち上がると涙を拭って服の汚れを払った。結局こうなってしまうのか。聖剣を使えない聖剣士。いったい明日からどうすりゃいいんだろ。ユーリは夜の闇に移り変わっていく藍色の空を見上げながらそっとため息をついた。




