触れたぬくもり
「えっ……?」
少女が驚いたように目を見開きユーリを見つめた。まるで時が凍結したように周りにいたオークたちも言葉を失い呆然とした顔を浮かべる。
どうしようもなかった。もっと早く気づけなかった自分のせいだ。
「死ぬな、俺が助けてやるから……!」
「どう、してっ……? だって、あなた……」
「こいつらはお前を殺すために連れてきたわけじゃないんだっ、だから……!」
「ぶひぶー(どういうことだ)」
そのとき一人のオークがユーリの肩を掴んだ。振り返ると相手は冷たい表情でこちらを見下ろしながら、けれどその目には燃えるような怒りがこもっていた。
「ぶひひぶひん(妙に小柄だと思ってたがあんた人間だろう)」
「ぶひひ……? ぶひぶひー!(人間……? 我々の仲間を騙ったのか!)」
「ぶひーぶひひ!(そいつの仲間じゃないのか!)」
「ぶひひぶひっひぶひ。ぶひーぶひひぶひっひ(なぜ人間たちがここにいるんだ。納得のいく説明を訊かせてもらえないか)」
低い声で言いながら肩を掴んだ手に力が入る。必死で怒りを抑えこもうとしているのかオークの手は小さく震えていたが、それでも少し加減を間違えば朽ち木のように肩の骨を砕きかねない力にユーリは小さく声を漏らした。
「ぶひ(いい天気ですね)」
そのとき不意に横から伸びてきた手がオークの腕を掴んだ。小さく訝しむような鼻息を漏らしたオークが顔を向ける。それまでずっと事の成り行きを見守っていたナーガが無表情に相手を見上げていた。
「ぶひぶひ……?(なにを言っているんだ……?)」
「魔王様から手を離してください」
穏やかな物腰で言いながらその瞳にふわりと真紅の光が宿っていく。途端にオークが表情を歪め苦痛の声を漏らしたかと思うとナーガは相手の腕を捻じり上げていた。慌ててその手を振り払い愕然とした表情を浮かべながら後ずさったオークの手首には小さな指の跡がくっきりと残っていた。
「あなたたちに恨みはありませんが魔王様に危害を加えるつもりなら容赦しませんよ」
「やめろ、ナーガっ……」
かばうように前へ出たナーガを引き止めた。そうしているうちに武器や農工具を手にしたオークたちが戻り檻を背にした二人を集団が取り囲んでいく。
ナーガは表情一つ変えることなくオークたちを見回した。
「ご心配なさらずともこの程度の相手ならナーガ一人で片づけられます」
「そういう問題じゃない、戦っちゃだめだ」
さっきの怪力を見て警戒しているのかこちらの様子を窺っていたオークから目を逸らしナーガが振り返る。
「人間ならまだしも無関係な種族ではありませんか。やっつけたところでなにも問題はないのでは」
「力で解決したってなんにもならないんだよ。こいつらはそうしなくちゃいけない相手じゃないはずだろ……!」
ユーリはまっすぐに見つめながら必死で訴えかけた。消えることのない真紅の光を放つ瞳に戸惑いの色が重なっていく。
「……ナーガにはよくわかりません。なぜ魔王様がそこまで彼らのことを気にかけるのか」
「ナーガっ……」
「……従います。魔王様がそうおっしゃるのなら」
そうして、うつむきながら呟いたナーガの瞳から光が淡く霞んでいった。胸中で安堵のため息をつきながらオークたちへ顔を向けるとその中の一人が前へ出てきた。
「ぶひひ、ぶひひぶひぶひ(聞いてくれ、俺たちに戦う意思はない)」
「ぶひっひぶほ。ぶほほぶふ、ぶひぶひひぶひ(そんなことはわかっている。だがきみたちは仲間を騙り、その少女は我々の誇りを踏みにじった)」
「ぶひぶひひ。ぶひーぶひひ(騙したのは悪いと思ってる。すまなかった)」
「ぶひふー?(それで許されるとでも?)」
「ぶひひ。ぶひぶひぶひんぶひ。ぶひひんぶひぶひ(許してもらおうとは思ってない。だけどこの二人だけは見逃してくれ。そのための報いは俺一人が受ける)」
「ぶひぶひ? ぶひっひぶひー(なぜその少女をかばう? 見たところ仲間ではないようだが)」
「ぶひぶひほん(この子は転生者なんだ)」
「ぶひひ……?(転生者……?)」
「ぶひ。ぶひひぶひぶひひっひ。ぶひひひぶひぶひひ、ぶひひ(そうだ。だからあんたたちのことをなにも知らなくて混乱してたんだと思う。それで許せることじゃないかもしれないけど、なにも知らなかったんだ)」
「ぶほぶひんぶひ(この村へやってきた理由はなんなんだ)」
「ぶひふぶひひ。ぶひひぶひっひ、ぶひ(イフの森へ行こうとしてた。この村で夜を越せば安全だと思って、それで)」
「……ぶひ(……なるほどな)」
「ぶひひっひぶひ。ぶひぶひ(こうなった原因をつくったのは俺なんだ。だから頼む)」
相手はしばらく目を閉じて黙りこんだまま立ち尽くしていた。仲間たちは静かにその動向を見守り誰一人として声を荒げる者はいなかった。
「ぶふ(わかった)」
やがてオークは静かに呟くとユーリをまっすぐに見つめた。
「ぶひひぶひぶひー。ぶひひぶひふほほ。ぶひぶひ?(二人のことは見逃そう。その代わりきみの腕を折らせてもらう。異論はないな?)」
「ぶひ(構わない)」
「ぶひぶひぶひ。ぶひ(その誇り高い意志に敬意を表するよ。とても残念だ)」
腕一本。切り落とされないだけましだ。ナーガは怒るかもしれないけどそれであの少女を助けられるなら安いものだった。
「ぶひぃ……(やめて……)」
後ろに控えていたオークたちの中から小さな声が聞こえたのはそのときだった。微かなざわめきを伴いながら一斉にその声の方へオークたちが顔を向ける。アフェットが悲痛な表情を浮かべながらこちらを見つめていた。
「アフェット……」
「ぶひー! ぶひ、ぶひっひん……!(もうやめて! ああ、ごめんねユーリ……!)」
駆け寄ってきたアフェットが驚くユーリを大きな腕で抱きしめ、ぼろぼろと涙を流しながら仲間たちへ振り返る。
「ぶひっひー!(離れるんだアフェット!)」
「ぶひーん! ぶひひぶひぶひぶひひっひん!(ひどいわ! こんな小さな子どもにみんなで寄ってたかって!)」
「ぶひっ、ぶひぶひひ! ぶひひっひーぶひ!(我々をっ、お前も愚弄したんだぞ! 許されることじゃないはずだ!)」
「ぶっひーん! ぶひぶひぶほぶひふんぶひん!?(侮辱されたからなんだと言うの! わたしたちの誇りはそんな言葉一つで揺らぐようなものなの!?)」
檻の中の少女は困惑したまま、ナーガも状況が飲みこめないようでこちらへ気遣わしげな視線を送ってくるだけだった。ユーリも突然の事態に動揺しながらアフェットを見上げた。
「ぶひ……ぶひひぶひぶひ(アフェット……俺なら大丈夫だから)」
「ぴぎーん! ぶひっひん! ぶひひぶひんっ!(ばかなこと言わないで! なにが腕よ! 大人のやることじゃないわっ!)」
「ぶひひひひ!(そいつは人間だぞ!)」
「ぶひひぶひん! ぶひーぶひひぶひんっ!(一度は仲間と認めたじゃないの! わたしはユーリもナーガも可愛いっ!)」
「ぶひぴぎー!(エデルシーラの魂を失ったかアフェット!)」
興奮したオークたちが今度はアフェットに対して怒りを向けはじめようとしていた。
だめだ。このままじゃアフェットがこの村から弾きだされてしまう。
それでもアフェットはその場をどかずユーリを守るように抱きしめ続けていた。その瞳から大きな涙の雫がユーリの頬へ零れ落ちる。
まだ出会ってから二時間すら経ってもいないっていうのにどうしてここまで想われなくちゃいけないんだ。こんなことになるなら最初から来なきゃよかった、こんな村。
胸の奥に痛みが走る。アフェットの腕の中で小さくため息をついたユーリは顔を上げて耳元にそっと呟いた。
「……ありがとうアフェット。さっきの夕食、すごくおいしかった」
「ぶひ……? ぶひぶひ……?(え……? なんて言ったの……?)」
涙でくしゃくしゃになった顔をこちらに向ける。ユーリはその身体を押しのけた。
できることなら、もう少しゆっくり話していたかった。
「薄汚れた手でこの俺に触れるなと言ったんだよ、豚」




