記憶の波間に
家の外に出てみると通りを進んだ先にある広場の方でオークの集団がなにかを取り囲んでいた。荷車の上に熊が一頭入りそうな大きさの檻が載せられており、オークたちはその中を見ながら興奮した様子で口々に声を荒げている。少しずつ太陽が西の空へ傾きはじめ逆光でその中までは見ることができなかった。
「ぶひひっぶひ(通してくれ)」
「ぶひ、ぶひぶひんぶひ。ぶひふほほほ(ああ、だめだ旅人さん。近づいてはいけない)」
見上げるほど背の高いオークが振り返りユーリの肩に手を置いて立ちふさがった。それほど力を入れてはいないのだろうがこちらからするとまるで巨大な岩に押し返されるような強靭さだ。
「ぶひひぶひん、ぶひぶひ(どいてくれ、大丈夫だから)」
「……ぶひーひー、ぶひっひぶひひ(……気をつけた方がいい、おかしな武器を持ってるから)」
相手を見上げながら言うとオークはため息をつき仕方なくといった様子で手をどけた。周りにいたオークたちもユーリのために道を空けていき、夕日を手で遮りながら目を向ける。檻の中にはさっきの少女が入れられていた。
「あっ……あなたたち、なんでっ……」
中央でうずくまっていた少女がこちらに気がつき格子に掴みかかってくる。ずっと泣いていたせいか目が赤く腫れておりとても怯えた顔で傍らに剣を抱きかかえていた。
なにやってんだこいつ……。
オークたちが動くんじゃないと怒鳴りつけ小さな悲鳴を挙げて再び中央に逃げていく少女をユーリは切迫した表情で見つめていた。
この状況はかなりまずい。
オークはあまり好戦的な性格をしている魔物ではない。彼らは自分たちの村に外からやってきた連中が近づくことを嫌うがそれだけでこんなふうに怒りを買ったりはしない。むしろ交易のある人間に対しては他の種族に比べてあきらかに友好的だ。
「さ、さっきのうそだったんでしょっ……! 卑怯よ、仲間を連れてくるなんてっ……!」
最悪のタイミングで晴れたはずの疑いが再燃していた。否定したい気持ちは山々だが言葉を交わすことができず、せめて首を振ってはみたものの少女は瞳に涙を浮かべながら憎悪の眼差しを向けるだけだった。
「うそばっかり……! おかしいと思ったのよっ、ずっとこいつらと同じ感覚がしてたもんっ!」
下手に取り繕っても事態を悪化させていくだけか。
「ぶひぶひん(なにをやったんだこの子は)」
「ぶひーぶひひ(仲間を侮辱された)」
「ぶひひぶひっひ!(俺は豚って言われたんだ!)」
「ぶひーぶひひぶひん! ぶひ……ぶひぶひひひんっ!(わたしなんて気持ち悪いって言われたのよ! 悔しい……わたし悔しいわっ!)」
「ぶひっふ。ぶひぶひ?(涙を拭くんだアムリタ。きみは美しい女性だろう?)」
「ぶひー!(こんなときに口説くなんて男らしくないわよっ!)」
「会話してるっ……やっぱり魔王だったんだっ……ね、ねえ……あたしのことどうするつもりなの……?」
「ぴぎぃ!(うるせえぞ!)」
「ひっ……! や、やだっ……誰か助けてっ……」
オークの怒りをこれでもかと買いまくっていた。そういう言葉だけ理解できるこいつらもこいつらだけど。
少女の言葉から察するにたぶん一度はこちらの話を信じてくれたのだろう。ユーリは小さく舌打ちをした。
そのまま帰っていればよかったのにまだなにか引っかかるものがあったのかよ。それにしたってここへ至るまでに村の存在を示す注意書きはたくさんあったはずなのに。
「あたし、殺されちゃうの……? ね、ねえ……なんでさっきからなにも言ってくれないの……?」
必死な顔で首を振っても少女はまったく察してくれなかった。状況的に怪しむ気持ちがわからないわけではないが勘が鈍すぎてとてももどかしい。
一応は交流のある種族だからなんとか許してくれないかと期待したいところだが、いったいどれだけの言葉で彼らを傷つけたのかオークたちの怒りは相当なものだった。おまけにここは人里離れたオークの村だ。いくら人間といえどこのまま殺されたって不思議じゃない。
ユーリはオークたちに顔を向けると冷静な口調でなだめた。
「ぶひぶひーぶひ、ぶひひぶひっひ(とにかくみんな落ち着いてくれ。子どもの言ったことじゃないか)」
「ぶひっひ。ぶひぶひ……ぶひひふほ。ぶひひん(わかってるさ。だがこいつはその……ひどいことを言ったんだ。我々の心を踏みにじった)」
さっき気持ち悪いと言われていたオークは泣き崩れて弱々しく地面を叩いていた。口説いていたオークがその肩に手を置いて励まそうとしたが彼女はその手を払いのけハンカチで目元を拭っていた。
「ちょっとだけでいいからなにか言ってよ……! も、もう魔王を倒すのあきらめるからっ……! だからっ……」
絶望した顔で格子を掴みながら少女が懇願してくる。そのままうつむいてぐすぐすと泣きながら肩を震わせていた。
「な、なんで、あたしばっかり……っ……」
だいたいなんでこいつもオークたちを侮辱したんだ。彼らに豚とか気持ち悪いといった蔑みの言葉を口にしてはならないというのは生活をしていく中で当然のように教えられる知識のはずなのに。
……まさか。
はっとしてユーリは顔を上げた。オークに対しての常識も知らず注意書きすら気づかなかった少女。
たぶん……いや間違いない。彼女は転生者だ。
オークに関する知識のなさやユーリたちに対してどこか言葉を選んでいたような素振り。おそらく転生してからほとんど日が経っていないのだろう。この世界では時折死んだ魂が転生してくる。そんな事実さえ知らないから口にしなかったんじゃないのか。
だがユーリがその事実に気づいたとき、少女は涙を拭いながら抱きかかえていた剣を掴み震える手で抜刀しようとしていた。
途端にぴぎーっというオークの怒鳴り声が村に響き渡る。
「ぶひぴぎぃ! ぶひぶひ、ぶひーぶひ!(あの妙な剣を抜いたぞ! みんな下がれ、なにをするかわからないぞ!)」
「ぶひひぶひぶひ! ぶひひっひぶひ!(投げるものを持ってきてくれ! 止めるんだ!)」
一気に辺りが騒然となり怯んだ様子でオークたちが後ずさり何人かが走りだした。もしもあれが彼女に与えられた転生者としての力なのだとしたら。おそらくオークはあの剣から発せられる力に危機感を覚えている。
待て、と口パクで言いながら首を振ると少女は深い絶望に満ちた表情でユーリを見返した。
「こ、こんな化け物に殺されるくらいなら……もう、いいっ……」
少女は小さな声でそう呟くと躊躇いを振り払うように目を閉じて切っ先を自分の喉元に向けた。
自殺するつもりか……!? だめだ、なんとかしないとこのままじゃ俺はまた──
「っ……?」
また……?
意識の奥底で微かに記憶の残光が揺らめく。考えるよりも先に身体が動いていた。
「やめろっ、そんなふうに命を捨てるなっ!」




