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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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いつか見た景色

 そばを通り過ぎていく人たちがナーガにちらりと目を向けていく。どうしてこんなところで座りこんでいるのだろうと心配しているような表情だった。どうしたらいいものかと遠巻きにそれを眺めていたユーリだったが、やがて小さくため息をつくとナーガのもとまで歩いていった。


 声をかける前にこちらに気がついたナーガがゆるゆると傘を持ち上げる。そうしてぼんやりとした顔でこちらを見た。


「あ……魔王様……」


「……なにしてたんだよ、こんな雨の中で」


 いったいどれだけ雨に降られていたのだろう。水浸しの地面に直接座っていたせいでスカートは泥で汚れており、立ち上がったナーガは申し訳なさげに目を伏せると傘で顔を隠した。


「……いつかお手紙が届くかもしれないので、それまで待っているつもりでした」


「仕事は。雇ってもらえなかったのか?」


「……もう来なくていいと言われました。申し訳ありません……せっかく魔王様に見つけていただいたのに」


「いつからここにいたんだよ」


「……お昼過ぎからです」


「それまでずっとここで座ってたのか」


「……はい」


 俺が手紙を出さなかったらいったいいつまで待つつもりだったのだろう。考えるまでもなかった。そんないつになるかもわからない約束なんか忘れてさっさと次の仕事を探せばいいのに。


「あの、今日出発するはずだったのでは……」


 そんなふうに呆れているとナーガが微かな戸惑いの色を表情に滲ませながら問いかけてくる。


「運航中止になってたんだよ」


「運航中止……」


「しばらく船が出ないみたいなんだ。それで仕方なく戻ってきたんだよ」


「はあ……」


 ナーガは目を伏せるとその言葉の意味を手繰り寄せるように少しのあいだ黙っていた。そうしてすぐになにか納得したような小さな声を漏らすとぼんやり顔でこちらを見上げてくる。


「……魔王様、もしかして困ってませんか」


「……ん?」


「しばらく船が出ないんですよね」


「……」


「……」


 あ、やっべ。ついうっかりやらかしてしまってないかこれ。

 

 ほんの少しお互いに見つめあうだけの時間が続いたものの、ユーリはできる限り自然に、かつあたかも予定の範疇であるかのように素知らぬ顔で首を振った。


「いや、全然?」


「ですがこのままでは町から出られないはずでは」


「徒歩で行くつもりだったよ。むしろ最初からそうするつもりだったくらいだし。ちっとも困ってないから」


「いま仕方なく戻ってきたと」


「この雨の中で町の外に出るわけにもいかないだろ。だから仕方なくさ」


「……」


「……なんだよ」


「いえ……町の外で雨に降られた日はどうするおつもりなのかと」


「あー……それは……」


 微妙に痛いところを突かれて咄嗟に言葉を返せないでいるとナーガは無表情で胸に手を当てた。


「このナーガ、魔王様と交わした約束をひとときも忘れたことはありませんでした」


「ちょっと待てよおかしいだろ! 昨日あれだけシリアスな別れ話してなんでこんな展開になるんだよっ!」


「困っていらっしゃるのは事実なのでは」


「伏線回収でもしてんのかお前っ、なんだったんだよあのやり取りはっ!」


「そんなふうにおっしゃらないでください。むしろナーガを助けてください。人間どもの仕事は想像以上に高度な内容でこのままでは定職にもつけず飢え死にしてしまいます」


「お前が助け求めてんじゃねえよっ!」


 なんでこんなことになってるんだ。いくら困っているのが事実だとしてもこんな形で約束を果たすなんて確実に無効だろ。ほんとに茶番じゃねえか。


 たった半日でクビになるなんてこいついったい職場でなにやらかしたんだ。入ったばかりでそんなに難しい仕事をやらされるとは思えないし、世間からずっと遠ざかった生活をしていたせいで本当にちょっとした仕事すらもこなせない能無しに成り果ててしまったのだろうか。


 せめて生活が安定するまでは面倒を見ておいた方がいいのだろうかと悩んでいるとナーガは元気をなくしたように顔をうつむけた。


「……やっぱり、ナーガがいると迷惑でしょうか」


 ぱらぱらと傘に落ちる雨音に混じって消え入りそうなほど小さな声で呟く。


「お前な……」


「……わかってます。魔王様はそんなふうに相手を傷つける言葉は使いません。でも……また一人ぼっちになるのは嫌です」


「……一人じゃないだろ。ここにはたくさん人が歩いてる」


「通り過ぎていくだけです。立ち止まってくださったのは魔王様だけでした」


 いったいいつの話をしていたんだろう。雨の中で肩を落として立ち尽くすナーガがとても小さく見えた。いつか、遠い記憶の彼方。こんなふうに前にも一度俺はナーガを見下ろしていたことがあったのだろうか。


 深い自責の波間に揺られながら、たぶん考えてもどうせ答えはそれほど変わらないのだろうとあきらめた。


「俺についてきたっていいことなんかないと思うけど、それでもいいのか?」


「連れていってください」


 迷いのない瞳にユーリの姿を映しながら答える。ユーリは小さくため息をついた。


「……ばかだな、お前って」


「……はい。ばかなんです、ナーガは」


 巻きこむつもりなんてなかったのに。けれどこれ以上突き放すための言葉は持ちあわせていなかった。

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