ふとんといっしょ 第3話
「で。何の用かな?」
掛布団が相手に問いかける。相手とは、ベルード・ラ・バンディスガ。彼の無言の問い掛けにわざわざ勉強部屋まで戻ってきたのだ。
ベルードが花子に過去の御殿主の惨状を説明した時に、ちらりと掛布団に視線を送ったことに対する行動だった。
「御殿主様の事です。……異世界、とは真実でしょうか」
一時は納得のいった様子を見せたベルードだったが、それは表面のみ、やはりどこか真実味の欠けた内容に少しのわだかまりを持った。
「そうだよ、ここはおれたちの世界じゃない。だって、寝具が人型になって動いてるわけだし」
「……寝具?」
「そうそう。おれと残りの二人、もともと寝具だ。元の世界じゃ、動くのも有り得ないからね」
無機に有機を注ぎ込んだ結果ですか、とベルードは何処か納得したようだ。
「だったら何故…。御殿主様は異世界になど転生なさったのか……」
しかし花子のいう「異世界生まれ」に納得のいかない様子のベルードは、掛布団に聞かせる訳でも無く呟く。それにキョトンとする掛布団。
「しがらみがあったからじゃないの?」
「え?」
「御殿主様って男限定だったんでしょ?でも、先代は意地でも女になりたかった。だったら、世界を渡ってしまったらしがらみが解ける。そう考えたとしたら、どう?」
責任から逃れるつもりはなかったんじゃないの?そう続けた掛布団の言葉に、ベルードは唖然とした。
「僕は御殿主様なんて知らないんだけどさ。それぐらいの事ならやっちゃいそうじゃない?花子ちゃんならやりそうだけどな」
花子は与えられた自室へと戻っていた。
ズルズルと長い衣装を脱いで、だらしなくも居間の椅子の上に放り投げた。トーガの様な布と丈の長い上着とを脱いだ花子は、もっと別の服がないか、レイオンに訊ねた。
だが、神官の着る服には色々規定があって、この衣装が御殿主様とされる者の服だという。
「普段着も、そうな訳?」
「いえ、そういう訳では……」
シンプルなワンピースを手に入れた花子だった。御殿主として出歩く場合は相応の服装が必要だが、私生活ゾーンでは望む服装でも良いとのお墨付きをもらった。
「ズボンに布を巻きつけたり、上の服が腰までだったりしてウエスト周りがボソボソしてるのよね」
シンプルなワンピースがあるという事は、きちんと用意がしてあった訳だ。花子は喜んでそのワンピースに着替えた。
薄い若草色のそれは、胸の下あたりで切り替えのあるゆったりしたもので、長さは脹脛まである。
「うん、かわいい。動きやすいしね。まあ……Tシャツとズボンは穿いたままだけど」
それが、この世界の基本だった。スカートの下に穿くズボンは、ドレスによって変わっては来るが。
着替え終えて脱ぎ散らかした衣装を片付けているとき、別行動をしていた掛布団が戻ってきた。
「花子ちゃん、そのワンピース可愛い!」
「ワンピースがか!」
掛布団の言葉に思わず突っ込んだ花子は、掛布団の後ろにいた人が目に入り、しまったと後悔する。
「初めまして、御殿主様。お邪魔しても宜しいですか?」
キラキラ金髪の男性が面白そうな顔をして部屋の入口に立っていた。
キラキラ金髪男性は、ロデッティ王国の王弟ユージンと名乗った。ブラウンの目が面白そうに花子を見ている。
居間で向かい合って座っていると、枕がお茶を出してくる。お付の神官は既に部屋を出ていた。
「ええと……。ユージン殿下は何歳ですか?」
金髪の殿下は、派手な顔立ちをしてはいない。どちらかといえばレイオンの方が美形だ。さっき廊下で出会ったミヒャルドは苦悶の美形、という雰囲気だった。
だが、ユージンは目が違う。目が、非常に魅力的だ。ある種、魔力が乗っている視線なのかもしれない。
「54歳です。御殿主様は28歳ですよね」
54歳といえば、地球年齢でいえば27歳くらいになる。花子とは外形年齢的に近い。まあ、見た目は地球年齢24歳くらいだ。しかし、ここで疑問がわいた。ベルードに聞くべきか少し迷ったが、この愉快そうな表情の殿下に聞いてみようと決心した。神官だと教えてくれない、客観的な意見を聞かせてくれかも知れない。
「儀式の相手は、30歳未満でなくても良い……?」
「ええ。今回は特に女性が御殿主様だという事で、各国からは年嵩の者が参っています」
私も含めてね。ニッコリ微笑まれながらそう言われてしまうとどう反応を返していいのか分からない。
王弟という立場の人に敬語を使われるのに居心地が悪い花子だったが、下手な事をしてしまうと侮られる。そこのバランスが難しい。
「率直に聞きます。御殿主が女の方がやり易いですか?色々な意味で」
だが、花子は駆け引きに長けていない。駆け引きの本場である貴族達の世界出身の王弟には敵うはずもない。なので直球で聞いてみた。
ユージンは呆気にとられたものの直に表情を改めて返答した。
「はい。女性の御殿主様は今までに例の無い事ですが、代々の男性御殿主様よりは簡単です。当然でしょう?」
それでも視線の柔らかさは変わらなかった。
「……男の方が、年長者を送り込めるから……?そして、女にのめり込まない……」
「前者は全くその通りです。後者はまだこれからの事ですので未知数である、と…」
「代々の御殿主は、自分より年下の女性……少女を好んだ?」
「はい。時折は手練れの女性を寵愛することもあったようですが。貴女様は28歳だとお聞きしましたが、普通の28歳はまだ青年と呼ぶには頼りない少年です。貴女様は私よりも年嵩に感じますが……。まあ、男性の矜持でしょう、年上の女性に主導権を握られるよりも、年下の少女に対して主導権を握る。今までの慣例です」
「そして、女同士で寵の競い合いをして、ドロドロ後宮物語が生まれる」
「これはこれは、なんとも……。ですが、まあ、否定はできません」
「これが男なら、各国代表者としての駆け引きになる、と」
「…………」
「あら、返答いただけないんですね」
花子は最後にユージンの図星を突いたようだ。
苦笑しながら花子を見る、その視線は柔らかいままだった。ちょっぴり胸がときめいてしまう。その柔らかい視線に油断ならないと思いながら。
椅子を立ったユージンが花子の側に回り込み、膝を付いて彼女の右手を恭しく両手で包み込む。思わぬ行動に花子は膠着してしまった。
「御殿主様。お話を伺いまして聡明な方だと感じました。私めを側にお置き下さいませ…」
そして、手の甲に唇を落とした。
「……………っ!!」
ちゅ。
「みゃああああっ!!」
奇声を発し、真っ赤になって右手を取り戻した花子はその手を胸に押し抱く。その様子をユージンはクスリと笑いながら眺めていた。
誑しだ!!ユージン殿下は絶対誑しだ!!穏やかな風体に騙されたーっ!!
花子の考えていることは表情から筒抜けだ。敷布団と枕は溜息を吐き、掛布団は面白そうにユージンを見る。ユージンは先程から布団三人衆に対して注意を払っていない。従者はいないモノとしての教育がなされているのだろう。
「当代の御殿主様はお可愛らしい。代々、御殿主様は見目麗しいと評判になりますが」
甘くてクサい言葉を吐かれ続けられた花子は、何もしていないのに疲労困憊だった。
「そうか……。代々見目麗しい、か……。私とは程遠い形容詞だね……」
花子は醜い訳では無い。サラサラの黒髪は肩より少し長く、白くふっくらとした頬はわずかに桃色掛かっている。目は一重で切れ長、いわゆるクールビューティー……は言い過ぎだが近いものはある。
ふっくらとした頬でクールビューティーな目。少しミスマッチ。神官たちが「残念だ」と首を振るのには顔の美醜もあるのだろう、と花子は結論付けている。
そこに、ユージンから飛び出た代々の御殿主に対する「見目麗しい」の評価だ。
「ま、いいけどね。私なんかの寵を奪い合わなきゃならない男性たちが可哀相だわ」
しかし、呟きは笑いが伴っていた。何処か枯れた、虚しそうな笑いだが。
お茶を飲みながら考える。ちなみに昼食後のお茶だ。ユージンはあれからすぐに退出している。なお、御不浄は済ませた。もう、トイレのことでは焦らない!
「私が御殿主だ、として。こちらの世界で育ってたらヤバかったんじゃない?あっという間に快楽に落とされて、言うがままの人形になっていたかもしれない」
異世界での実際の28歳は、地球で言うとまだ14歳だ。たとえ容姿が20歳前後ほどになるとはいえ、14歳。ユージンやミヒャルドがそんな年齢の少女を組み敷いたら一発アウトで逮捕。だが、この世界では『必要不可欠』の事柄になる。
「28歳だけど、ただの28歳じゃない。こちらの56歳に相当する28歳だからね。処女じゃないし!」
ははははは、と乾いた笑いをする花子に掛布団と枕が質問する。
「花子ちゃん、帰りたくないの?」
「花ちゃん、家族に会えなくて寂しくない?」
何の事だかわからない。花子はキョトンと二人を見る。互いに動かず、固まった。
「……………?……っ!そうか、家に帰れないんだ!」
「花子ちゃーん……」
「大丈夫?頭打ってない?」
「な!失礼な!……まあ、忘れてた訳じゃないけどさ、修行したら帰れるかもしれないし。だいいち、この世界で目が覚めてからまだ8時間くらいしか経ってないんだけど。実感が湧かないっていうか……」
そう、花子はまだ異世界一日目の超初心者。この世界に来ての一番初めの生きている実感がネイチャーコールという残念な女性なのだ。多くを望んではいけない。
「ま、なんとかなるでしょ!御殿主だとかなんとかじゃ無いかも知れないし」
「いや、花子ちゃんが御殿主様だよ?」
「そうそう。花ちゃんのチカラでおれたちがおれたちであるんだから」
「……そうだ。我らが証明だ」
掛布団、枕、敷布団の順で言う。花子には何の事だかピンとこなかった。
どう意味か聞き質そうとしたところにノックの音が部屋に響く。
入室の許可を得て入って来たのは、レイオンとミヒャルドの二人だった。
「御殿主様、シッティ王国第三王子、ミヒャルド殿下です」
「御殿主様、御目通り叶いまして恐悦至極に存じます。シッティ王国第三王子ミヒャルド。お見知りおきを」
ダークブラウンの髪に青い瞳。眉間に縦皺が何本か走っている。苦悩の美形だ。
「ああ、妹さんの……」
つい先程、掛布団を御殿主様と呼び花子を偽物呼ばわりした少女の兄だ。
花子の呟きに身じろぎしたミヒャルドだったが、レイオンはそれに構わず花子に説明を始めた。
「昼食前のユージン殿下といい、こちらのミヒャルド殿下といい、こちらの定まり事を簡単に破ってしまわれまして。御殿主様のお披露目前には誰も御目通りさせないつもりだったんです。ですが、御二方はゴリ押しの御強い国家の方であられるので、お連れした所存です」
レイオンの言葉の端々に、露骨な嫌味が練り込まれている。居心地悪そうにしているミヒャルドを見て、なるほどと花子は思った。やっぱりユージンは油断ならない、と。部屋を出る前の手の甲への接吻は、色んなことをうやむやにするためのパフォーマンスだったのだろう、と。
ミヒャルドは、妹のカサンドラの態度を謝罪しに来たのだ。誠意をもって頭を下げる。その様子に花子は驚いた。自分のケツぐらい自分で拭かせろよ。
だがそんな事は花子には関係ない。彼の謝罪をすんなりと受け取った。その時、ミヒャルドは心底安堵した。自国が儀式の相手役の選定から外されずに済んだからだ。
レイオンの勧めもあり、ミヒャルドと庭を散策する。腕など組まずに、少しの距離を取って。もちろんレイオンと布団三人衆も一緒だ。
「御殿主様。妹といい私といい、申し訳ございませんでした」
「もう良いですって。何度もそう謝らなくても」
花子はミヒャルドの事を悪くは思わない。どちらかといえば好感が持てる青年だ。年の頃は、地球で言えば22歳前後。この世界では40から50歳前後か。胡散臭いユージンよりも裏がなさそうだ。
言葉を反せばユージンが油断ならない人物だという事になるが。
そして、花子には一つ懸念がある。
カサンドラだ。
どうしてミヒャルドと同行したのか。どうしてもトラブルを引き起こさせる為に同行させたとしか思えない。そこにあるのは、国内での権力争い。もしかしたら国家間での足の引っ張り合いもあるかも知れない。
ミヒャルドは、それに巻き込まれているのではないか。そして、花子も巻き込まれてしまうのではないか。ああ、嫌だ。
花子は特技も特殊技能も無い。巻き込まれたら流れに任せるしかなくなる。なので出来ればお近づきになりたくない。
だが、ミヒャルドの国はゴリ押しの強い国だとレイオンは言ったではないか。ミヒャルドを遠ざけたとして。他の王子や王族が入り込んでくるのではないだろうか。
そんな事を考える花子はなかなかにイイ性格だ。花子が御殿主であるので、巻き込まれるどころか渦の中心であることに彼女は気付いていない。いや、気付いていない振りをしているのか。
そして、事態は動く。
花子は、突然、後ろから力いっぱい押された。前かがみに地面に転がる。
「どうして邪魔をするのようっ!なんで、あんな女っ!」
「カサンドラッ!?何故ここにっ」
花子は振り返った。ダークブラウンの巻き毛が目に入る。
カサンドラは、ミヒャルドに後ろ手に抑え込まれていた。
そして……。
「ま、くら……?」
枕の胸に、短剣が刺さっていた。美しい細工がなされた、黄金の短剣。
傷口から、何かが零れ落ちる。
起き上がった花子は這うように、膝を付いた枕の元へ行く。
「はな、ちゃん」
「まくら?どう、して……」
「女、死ねばよかったのにっ!どうしてあんたなの!あんたなんか…!!」
掛布団は花子の肩を掴み、敷布団は周りを警戒して鋭い視線を飛ばす。ミヒャルドは花子を罵るカサンドラを抑え込み、レイオンは神官たちを呼ぶべく叫んでいる。
「やめてっ!!どうして枕が刺されなきゃならなかったのっ!?私が言うまで誰も処分はしないでっ」
考えて出てきた言葉ではなかった。いま、カサンドラを御殿主暗殺容疑で殺してしまうのは簡単だろう。だが、何か裏がありそうだ。本能が、そう、叫ばせた。
「枕、枕!大丈夫!?」
「花子ちゃん、落ち着いて」
震える手を枕に伸ばす。掛布団が震える花子の体を支え、声を掛けた。だが、花子には届かない。
「花ちゃん……。大丈夫?怪我はない?」
胸に短剣が刺さり、膝を付いて前かがみになったままの枕が花子の様子を尋ねる。
「ごめんね。後ろから押したから、びっくりしたでしょう?」
「枕、大丈夫だから。早く傷の手当てを……」
サラサラ。何かが零れ落ちる。
刺さった短剣が、ゴトリと地面に落ちた。それには、血は付いていなかった。
「良かった……。ちゃんと、花ちゃんを守れたんだね……」
「ああ。お前は立派だ」
サラサラ、サラサラ。敷布団の言葉に、安心したように枕が顔を上げた。
「花ちゃん?どうして、泣いているの?ぼくは大丈夫だよ?」
「まく、ら……。まく、ら……」
枕の、短剣で刺された傷口から、蕎麦殻がサラサラと流れ出ている。花子は、ただ言葉も無く泣いていた。
そして、枕の姿が消えた。
その場にあるのは、破れた旅館の枕が一つ。蕎麦殻が辺りに散らばっていた。
「まくら!?どうして……まくらっ!?」
悲痛な声が辺りに響く。コロコロ表情が変わり、どこか大人びた物言いの少年だった。寝具の枕だと言われても、信じられなかった。人そのものだったから。
だが、今、枕のいた場所にあるのは、蕎麦殻の破れた枕。
「まくら……。まくらぁ……」
異世界にどうやって来たのか分からない。訳も分からず、意味も分からず、でも支えてくれた三人が居たから、何とか気丈でいられた。
異世界に来て、数時間。もう、枕はいない。
「まくら……どうして……まくら……」
泣き続ける花子を、掛布団は掬い上げて運ぶ。花子の、御殿主の私室へと向かう。傍にはレイオン。敷布団は枕の蕎麦殻を集めていた。
「これは一体……」
騒ぎを聞きつけてベルード・ラ・バンディスガが庭へやって来た。ミヒャルドが妹であるカサンドラを押さえ付け、敷布団が何やら落ちているものを集めている。
「そこの女をどこかの閉じ込めておけ。独断とは考えにくい。暗殺よりも、何か根の深いものを感じる」
敷布団がベルードの事を簡単に説明し、カサンドラの処遇を指示した。それは、花子の考えと同じだ。ベルードも何か感じているのだろう、その事には何も反対しなかった。
「ミヒャルド殿下は……。御殿主様はどうおっしゃっておられた?」
「処分はするな、と。神殿内ででも謹慎させておけ」
敷布団の言葉に頷いたベルードと、頭を下げたミヒャルドだった。
「まくら……」
部屋に帰った花子だったが、枕がいなくなったショックがあまりにも大きい。ただただ、泣いているだけだ。なので、掛布団とレイオンの会話は耳に入らなかった。
「おれは出来ないからね。君に頼むよ。花子ちゃんも君には気を許しているみたいだし」
「しかし……」
「おれには出来ない。枕を見たでしょう?基本、あれと同じだよ、おれは。だから、君に頼むんだ」
「…………」
「時には、人肌も癒しになる」
「…………分かりました」
そして、泣く花子にレイオンは優しく覆い被さった。二つの人影が一つになる。
「花子ちゃんはおれたちの事を理解してても、感情は別のモノだからね。仕方がない」
花子の鳴き声が女の嬌声に変わっても、掛布団は寝室から出て行かなかった。
パチ、と目が覚めた。
それと同時にお腹が鳴いた。体は動かない。
右見て、左見て、己の体を見る。
右には裸のレイオン。左には服を着た掛布団。己は裸。なんだ、何が起こった。体が動かないのは、二人に抱きこまれているからだ。
外はまだ、暗い。二人ともまだ、眠っている。布団も寝るもんなんだな……と薄ぼんやりした思考の花子だったが、なぜ、自分とレイオンが裸なのか思い出した。思い出さなきゃいいのに思い出してしまった。
「ちょ、私、異世界に来て数時間で現地人と寝ちゃうなんて、何考えてんの!?いや、待て、そうじゃない!!」
起き上がって頭を抱えて悶えている花子。大人には色々事情がある。人肌で慰められることもあるのだ。眼が覚めたレイオンが優しく話し掛ける。
「御殿主様、お目覚めですか?……お体の方は……」
後ろから優しく抱き込まれ、居た堪れなくなった花子は「がーっ!!」と奇声を発した。
「間違いだから!一晩の過ち!!忘れて頂戴!私は忘れたからっ!」
真っ赤になって言い張る花子を見たレイオンは、こっそりと笑った。
残念な御殿主様だが、閨は残念ではなかった。極上だった。ただ、この思考がレイオンには残念だった。再び閨を訪れることは出来るだろうか。画策することは、何だか楽しそうだ。
「花子ちゃん、起きたの?」
赤い髪の掛布団が目を擦りながら起きた。その声に、ハッとする。
枕を思い出した。掛布団は青年姿だが、少年姿の枕と無邪気さが重なる。レイオンの肌の温かさに心の均衡を取り戻した花子だったが、寂しさが無くなった訳では無い。
「まくら……」
少し大きな声で、花子は呟いた。掛布団が夜着を着せてくれている。
「呼んだー?」
かちゃり、と扉の開く音と共に少年の甘い声が寝室に響いた。
「あれ、花ちゃん。レイオンさんを選んだの?」
居間にご飯持ってきたよ、と枕が花子を手招きする。
「え?え?」
掛布団とレイオンに支えられて寝室を出た花子は、居間に座るベルードと敷布団に迎えられた。テーブルには食事が鎮座している。
花子の側には枕がニコニコして立っている。
「……まくら?」
「そうだよ?どうしたの花ちゃん。頭打った?」
「え?おかしいのは私?」
「うん。ぼく、枕だよ?中身、蕎麦殻」
「……死なない、の?」
「……まあ、中身が半分以上無くなったら今の形は取れなくなるだろうけど……死なないよ?」
「…………。私、何で泣いた訳…………?」
涙を返せ。
絶句した花子は掛布団に促されるまま席に着き、食事を始めた。何がどうなっているのかさっぱり分からない。
「私が、縫った。こう、零れた蕎麦殻を集めて、新しい袋に詰めて」
敷布団が裁縫道具を指示し、布を花子に見せた。
「一番内側の袋にパンパンに詰めて貰ってから、もう一枚袋に入れて貰ったの。それから、枕カバーに入れて貰った。ベルードさんが魔力を込めてくれたから破れにくくなったよ」
ほら、服も一枚増えてるでしょ。そう笑いながら枕は花子の前でくるりと回った。
確かに、前よりは一枚服が増えている。Tシャツとトーガ風の間に、衿ぐりの広い長袖の長衣がある。
「て、一番上の服、枕カバーなの!?」
花子の言葉に布団三人衆はキョトンとする。今更何を言ってるの?そんな声が聞こえてきそうだ。
「おれと敷布団は、布団カバーだけどね」
だから白かったのか……。ふと遠い目になった花子だったが、ベルードを見やると彼もどこか遠い目をしていた。
布に魔力を注いだというベルード。枕を目の当たりにしたのだろう。何だか通じるものを持った花子とベルードの二人だった。
「おれのカバーも魔力かけて貰おうかな」
「私もそうする。あと、もう一枚カバー下に布が欲しい」
そんな会話がひと段落した後、ベルードが居住まいを正した。
「カサンドラ殿下とミヒャルド殿下の件ですが……」
花子は溜息を吐いた。まだややこしい事が残っていたのだ。ややこしい。赤ちゃんが泣くさま。そんな事はどうでもいい。
「カサンドラ殿下は、私の話相手として神殿に留めておいてください。ミヒャルド殿下もそのままに、候補として」
「なりません!」
花子の言葉に異を唱えたのはレイオンだった。
「どうして?シッティ王国とロデッティ王国のパワーバランスを考えると…。今シッティ王国のミヒャルド殿下を国に帰すと誰得?ロデッティ王国のユージン殿下得、だよね。誰が企んだか、分かりそうじゃない?」
花子の言葉にレイオンは押し黙った。花子はユージンを警戒している。布団三人衆はその警戒を理解していた。
「ま、考え過ぎていたとしても。シッティ王国の誰かがミヒャルド殿下を追い落とそうとして、カサンドラ殿下を利用したとして。それを計画した人が神殿に乗り込んでくるのよ?そんなの嫌だわ、私は」
ベルードは花子の結論に一つ頷き、席を立つ。ミヒャルドとカサンドラを不問に付した方が、神殿側には都合が良い。カサンドラはともかく、ミヒャルドは感謝するだろう。
「御殿主様の御意思の通り、我らは動きます。ですが、レイオンを取り敢えず御側にお置き下さい。これも含めてお目に付く神官の多くは西の地域出身の者で固めておりますれば、無理に王族の方々から儀式のお相手を選ばずとも大丈夫です」
それでは、とベルードは部屋を出て行った。
「すでに、西の地域の人ばかりで固めていた訳だ……。まあ、神官の中からお相手が見つかる場合もある訳だし、当然か……」
右を見れば、生き返ったように見える枕がいる。ニコリ、と微笑まれた。
左を見れば、レイオンが控え目に立っている。ポッと頬を染められた。
前に目線をやれば掛布団と敷布団が布を選別している。花子の好みの布を尋ねられた。
ようやく陽が昇り始めた。居間が朝日に染まる。難しい事は、一先ず先送りだ。最終目標は、花子の生まれ育った世界に帰ること。
鈴木花子、28歳。日本では実家から独立できない、恋人もいない、仕事も並でこれといった趣味も特技も能力も無い、切ない甲斐性無しの、残念な女性だと思っていた。だが、どこか自分を御殿主だと認め、自覚が現れて来ている。決して残念な女性ではない。
花子の異世界2日目が、ようやく、本当にようやく始まろうとしていた。
とりあえず、これで完結です。
ここまで読んで下さいまして、ありがとうございました!