第28話:泥水を極上の葡萄酒に変える、祝福の錬金術
銀のカップの底で、その「紅い結晶」は不気味に脈動していました。
フィオナの執念、その肉体の一部。
浄化されたはずの水の中にすら混じるその残滓を見つめながら、私はふふ、と喉の奥で笑い声を漏らしました。
「エリアナ、何を笑っている。……それは、あの女の呪いの塊なのだろう?」
ゼフィロス様が、私の肩を抱く手に力を込めました。
彼の氷のような眼差しは、カップの中の結晶を今すぐにでも粉砕し、この世から消し去りたがっている。
「ええ、陛下。……でも、考えてもみてくださいな。……これほどまでに濃厚で、これほどまでに『執着』の詰まった魔力……。これをただ捨てるなんて、料理人としてあまりにも勿体ないとは思いませんか?」
「……正気か?」
「おーっほっほっほ! 私はいつだって正気ですわ。……セリーナさん、ハンスさん! 街中から、呪いで泥に変わってしまった葡萄酒の樽を集めてきなさい。……今夜、帝都で最高の祝祭を開きますわよ!」
私の宣言に、周囲の騎士たちがざわめきました。
水が戻ったとはいえ、帝都の貯蔵庫に眠る高価な葡萄酒やエールは、王国の呪いによって未だどす黒い泥水へと変わり果てたままでした。商人は泣き、民は楽しみを奪われ、帝都にはまだ暗い影が差していたのです。
広場に並べられた、何百という巨大な樽。
蓋を開ければ、中からはむせ返るような鉄錆の臭いと、腐敗の瘴気が立ち上ります。
「エリアナ様! 無茶です! これは魔王の毒が混じった泥だ! 触れるだけでも命を削られる!」
隣国の王子レオンが、青ざめた顔で叫びました。
私は答えず、腰の木ベラを抜き放ちました。
そして、傍らに控えるセリーナさんから、あの一本の『太陽の聖剣』を受け取ります。
「皆様、よく見ていてくださいまし。……フィオナ、貴女が自分の身を削ってまで用意したこの『毒』。……私の木ベラが、最高に甘美な『蜜』に変えて差し上げますわ!」
私はまず、聖剣を高く掲げました。
黄金の光が空を裂き、太陽の加護が広場を照らします。
私はその剣を、一番手前の樽の中へ、迷わず突き立てました。
「沸きなさい、祝福の火。……熟成なさい、時間の果実。……貴女の怨念を、私の『スパイス』として飲み込んであげますわ!」
木ベラを樽の中で力強く回すと、私の指先から『祝福』が奔流となって流れ込みました。
ジュゥゥゥッ! という凄まじい沸騰音が響き、樽の中から黒い煙が噴き出します。
泥水の中に溶け込んでいたフィオナの呪い――あの「紅い結晶」の力が、私の魔力によって無理やり分解され、再構成されていく。
悪臭が、一瞬で消えました。
代わりに広がったのは、百年もの間、地下深くで眠り続けていた伝説の銘酒のような、芳醇で、重厚で、あまりにも官能的な葡萄の香り。
「な……っ、……なんだ、この香りは……!? 脳が蕩けそうだ!」
レオン王子が、よろめきながら鼻を抑えました。
泥水は、まばゆい紫金色の液体へと変わっていました。
それはフィオナが注ぎ込んだ「生命力」を、私の祝福が「熟成の魔力」へと変換したもの。
彼女が苦しみながら削った肉体は、今、帝国の人々を癒やし、酔わせるための、この世で最も贅沢な原材料に成り下がったのです。
「さあ、注ぎなさい! 帝都のすべてのグラスに! 帝国の勝利と、私の陛下の栄光に、乾杯を!」
私が叫ぶと、ハンスさんたちが次々と樽を開け放ちました。
噴水のように溢れ出す紫金の葡萄酒。
民衆たちは、最初は恐る恐る、やがてその香りに抗えず、一斉にグラスを捧げました。
「美味しい……! なんだ、これは! 身体の中から力が湧いてくる!」
「呪いが消えたんじゃない……、恵みに変わったんだ! エリアナ様万歳! 帝国の女帝万歳!」
広場が歓喜の渦に包まれます。
私は、陛下の手を取り、特別に用意された一番のしずくを彼のグラスに注ぎました。
「陛下。……毒見は、もうお済みですわ」
ゼフィロス様は、その紫金の液体をじっと見つめ、やがて不敵な笑みを浮かべて一気に飲み干しました。
彼の右手の血管が、祝福の光を受けて黄金色に輝き、呪いの痛みが完全に消え去っていくのが分かりました。
「……フン。あの女の絶望を飲んでいると思うと、格別の味がするな。……エリアナ、お前は本当に……恐ろしい料理人だ」
陛下はグラスを砕かんばかりに握りしめ、私を力強く引き寄せました。
衆人環視の前で、彼は私の腰を抱き、唇を寄せました。
葡萄酒の香りと、独占欲。
王国が仕掛けた「水脈汚染」という絶望は、今、帝国史上最大の「祝祭」へと塗り替えられたのです。
おーっほっほっほ!
フィオナ、聞こえますか? 貴女の必死の犠牲は、帝国の民の喉を潤すための、ただの『安酒の材料』にしかなりませんでしたわよ!
しかし、その祝祭の絶頂に――。
広場の入り口に、一人の男が立ち尽くしていました。
全身を黒いボロ切れで包み、肌は土気色に腐り、異様な腐敗臭を漂わせている男。
彼は、王国の使節がかつて連れていた、あの近衛騎士の成れの果て。
「……エリアナ、様。……ジュリアン、殿下、より……」
男が、ガタガタと震える手で一通の手紙を差し出しました。
それは紙ではなく、何らかの皮で作られたような、不気味な白さの封書。
『愛しきエリアナへ。……お前の「もてなし」には飽きた。……今度は、私が作った「最高の城」で、お前を待っている。……お前の肉を、私の血に。……最後の晩餐を始めよう』
手紙が開かれた瞬間、中からフィオナの、耳を突き刺すような笑い声が響き渡りました。
帝都を包んでいた黄金の光が、一瞬だけ、不吉な紅い影に飲み込まれ。
王国の滅亡が、いよいよ「心中」という名の最終局面へ向けて、最後の扉を開けたのでした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございますわ!
フィオナの呪いを「熟成スパイス」にして葡萄酒を作るエリアナ様……!
おーっほっほっほ! 敵の犠牲を「安酒の材料」呼ばわりするなんて、
最高に高慢で、最高にスカッとする報復ですわね!
陛下の「格別の味がする」というお言葉も、ヤンデレ気味で素敵ですわ。
でも、ジュリアン殿下。
ついに「最後の晩餐」への招待状を送ってきましたわ。
しかも、あの手紙の素材……まさか、これも誰かの……?
いよいよ、第2章・第2部のクライマックス、王国との最終決戦が近づいておりますわよ!
次回、第29話。
「セリーナの剣舞、影から這い出る王国の毒虫を狩る」。
招待状を受け取った一行を待ち受ける、王国の卑劣な暗殺部隊。
セリーナさんの「隠し球」が、ついにそのベールを脱ぎますわ!
続きが気になる!と思ってくださったら、ぜひ【ブックマーク】と【評価(★★★★★)】で、エリアナ様の晩餐会への準備を応援してくださいませね!
あなたの星が、彼女の木ベラにさらなる『勝利の隠し味』を加えるのですから!




