26話 絵本の騎士 終わりを意味する言葉
「ハウゼン、君を正式に家族として迎えたい」
喋り疲れてテーブルに伏す様に眠る孫娘を見ながら、ゴールドマンはそのような事を口にした。
「……オレは奴隷剣士です」
「そうだね。君は奴隷剣士だ。それはこれからも変わらない。だが、そんな肩書が私の家族となる事になんの障害がある?」
「釣り合わないと思います。本来ならオレはこのような場所に居るべき存在じゃない」
「ふむ。確かに世間体ではそうなるな。しかし、私はゼノンの為にも君には傍に居て欲しいと思っている」
ゴールドマンは自分の息子夫婦の事を語った。
「私の息子夫婦は“事故”に合い、もうこの世にはいない。奇跡的に生き残ったゼノンは二人が死んでから人形のように何の反応も示さなかった」
「……」
ハウゼンはゼノンを見る。普段の爛漫な様子からは想像もつかない。
「しかし、ある闘技場で君の戦いを見た時にゼノンは久しぶりに言葉を話してくれた」
何がキッカケかは分からない。しかし、孫娘が心を取り戻したのはハウゼンが原因であることは間違いなかった。
「私は直感した。この子の人生に君の存在は必要だと」
「ですが……」
「別に今すぐ決めなくても良い。私は君がこの話を受け入れてくれるなら、何の憂いもない様に手配をするつもりだ。君の人生だ。どのような選択でも私は君を蔑ろにする様な事はしない」
すると、執事がゼノンが風邪を引かないようにタオルケットをかけてあげた。
彼女は幸せそうに眠っている。それは今が満たされているからだと、ハウゼンは誰に言われるわけでもなく理解できた。
「……ハウゼン、フランシス。私に何かあったらゼノンを頼むよ」
ゴールドマンに言われて、今まで何の疑問もなかった奴隷剣士としての人生にハウゼンは初めて疑惑を抱いた。
返事はいつでもいい、と言うゴールドマンの言葉に甘え、ハウゼンはその返答を出来ずにいた。
「ハウゼンは、お祖父様のことキライなの?」
試合が終わり、ハウゼンの休む檻にゼノンは人目を盗んでよく来ていた。
「別にそう言う事じゃない。ちょっと、戸惑ってる」
「なんで?」
「何でって――」
「ゼノンならすぐに家族になるよ。だってお祖父様はすごく優しいもの」
ゼノンの言葉にハウゼンは何故戸惑っているのか分かった。
闘技場で戦い続けてその身に受けるのは敵の牙や爪。そして、勝利した際に背を叩くのは称賛と喝采の嵐。それ以外に何もなかった。
故に今まで“優しさ”を向けられた事が無かったのだ。
望んだわけではない。しかし、あの夜……彼女の屋敷で初めて戦う以外の――
「……ゼノン。ゴールドマン様に伝えてくれないか? 長く待たせてしまい、申し訳ないって」
「じゃあ! ずっと一緒にいられる!?」
「ああ」
「やったー! すぐにお祖父様に伝えるね!」
嬉しそうに去って行くゼノン。ハウゼンはこれからも戦うために剣を振る。しかし、それは家族と言ってくれるヒトたちの為に――
しかし、そうはならなかった。数日後、ゴールドマンはハウゼンに殺され、それをゼノンは目の前で目撃する。
「お……祖父様……」
「ゼノン……」
「なんで……ハウゼン……お祖父様が……あああああああああ!!」
「ゼノン!!」
ハウゼンはゼノンへ手を伸ばすが次の瞬間、彼女は霧となって消え『吸血鬼社会』の中心は『霧の都』に呑み込まれた。
そして……ハウゼンはゼノンを捜して『霧の都』を彷徨い、死に至った。
何かがおかしい。
ロイは『ゴート』と対面しつつ、その違和感を明確にしていた。
「チッチッチッ」
『ゴート』の見た目は完全に山羊に類似している。しかし、頭部には口以外に眼も耳も鼻も存在しない。
ならどうやってこちらを認識しているのか。
「……」
自分と『ゴート』では決定的に“格”が違う。その穴を出来る限りの埋めるには駆け引きをさせるしかない。
でなければ自力に押し潰されるのは時間の問題だ。
「チッチッ……」
目に見えない『ゴート』の攻撃。全てを捻切る無慈悲な暴力がロイに襲いかかる。
「……これで……ギリギリか」
「チッチッ……」
ロイは『ゴート』の“攻撃”を僅かに身体を後ろに引き、かわしていた。
見えているわけではない。空気が捻れる様に動いた瞬間を肌で感じ取る事で刹那にかわしていく。
『感覚強化』
それは己の持つ潜在能力でしか開花しない、万人には体得不可能な強化魔法。
天性の才能がなければ発現しないと言われる程に稀有な魔法だった。
「チッチッチッ」
『ゴート』の意識の向き。空気の動き。
ソレを触覚にて感じ取り、身体強化で攻撃を受ける前に動く。
「……くそ」
それでも完全には避けられない。僅かに捻られそうになり、骨や肉が鷲掴みにされたように軋む。
攻撃が読めない。今は完全に後手で無理やりかわしてるのだ。いずれ捕まる――
「チッチッチッ」
しかし、その一瞬をロイは見逃さなかった。
ロイは『ゴート』の攻撃を避けると同時にナイフを投擲する。
「チッ――」
それは僅かな綻び。ロイの攻撃が届かないと油断していた『ゴート』の隙を突いた一刺しだった。
ナイフは『ゴート』の頭部へ突き刺さる。
一体……どれ程の年月が流れたのか。
『吸血鬼』の中で伝わる最悪の伝説『霧の都』。
現れる魔物を殺し、ヒトを殺し、その血肉を喰らって生きながらえた。
それでも限界は来た。
現れた太古の魔物――ローレライによって致命傷を負ったハウゼンは何とか逃げ延びるも、街灯の一つに背を預ける様に座り込む。
「約束……したんだ……」
ボロボロになった剣を傍らに置いた。
立ち上がりたくても足は言うことを聞かず、腕に力は入らない。
―――――――――――――――ン……ハ……ン……ハウゼン……
そして、次に意識が戻ると目の前に捜し続けた少女が涙を堪えながらこちらを見ていた。
「……ハウゼン……」
「ゼノン……?」
ハウゼンの返答を聞くとゼノンは涙を流しながら彼に抱き着く。
「やだよぉ! ハウゼンまで居なくなるの……絶対いやぁ!」
「ゼノン……オレは……」
「事情は全部解っています」
そして、聞こえたのは第三者の声。ゼノンの後ろに居たのは見たことのない女と、黒い鎧を纏う騎士だった。
「貴方がハウゼンですね。初めまして私はナタリアと申します。こちらはギレオ」
黒い騎士は軽く手を上げて挨拶しつつ、周囲を警戒している。
「ここは……『霧の都』か?」
「そうだよ。ごめんねハウゼン……ずっとゼノンのこと捜してくれてたのに……ゼノンは気づかなかった……ごめんなさい……」
「お前が謝る事は……何一つない」
「ハウゼン、貴方に説明しておきます。一度死んだ貴方の命を何故、引き戻す事ができたのかを」
ナタリアは『霧の都』でも近くの建物内部へ移動し、事の経緯を全てハウゼンに説明する。
「そうか……オレは死んだのか……」
ハウゼンは泣き疲れて眠るゼノンを見ながら決意を強くする。
「それでは外に出る準備をしましょう」
「……オレは……ここに残る」
外では彼女達がゼノンを護ってくれるならば自身は彼女を脅かす存在を全て排除しよう。
「確かに今の貴方は『霧の都』に現れる魔物には襲われませんが……良いのですか?」
「構わない……ゼノンに世界を見せてやって……欲しい」
この子に『吸血鬼社会』以外の世界を。その為なら――
「この命は……この子の為に使う。そう……決めたんだ……」
ゴールドマン様が手を差しのべてくれた時に……家族と言ってくれた時に……そして――
「彼女がオレに世界を教えてくれた」
「……貴方が再び死んでしまえば彼女は深く悲しむ事になります」
「今はお前達がいる。それに……オレの死でゼノンの悲しみが一つ消える……それは何よりも望むことだ」
ゼノン……君は未来に進め。その為の道をオレが作ろう。
信念の強さが命を燃やし、絶望と不可能を乗り越え、その先にある道を新たに踏み出す。
現在の『霧の都』。
ハウゼンは騎士団を前に消滅の危機だった。だが、彼らの信念と彼の信念はあまりにも違いすぎたのだ。
二度目の鐘が鳴る。霧を通してこの場にも響き渡り、それが合図かのように――
「……ゼノン、さよならだ――」
ハウゼンの身体はまるで時が遡るように再生していく。
痩せ細った手足が、ボロボロの衣服が、戒めを課した鉄仮面が、錆びた大剣が……
時の流れによって欠陥となった彼の全てが全盛期――闘技場にて無敗を誇った身体へと再構築された。
「これで……最後だ」
それは騎士団とハウゼンの終わりを意味する言葉だった。