66話 測る
神界コロシアム内部、選手専用休憩室。
分厚い壁に囲まれたその部屋は外の喧騒が嘘のように静かだった。
時計の針が重く進む。
――次の試合まで、約二時間半。
「……長ぇな」
無闘が壁にもたれ、腕を組む。
花野は椅子に座り、目を閉じて呼吸を整えていた。
当て野は壁際で無言のまま床を見つめている。
そして――
「……チッ」
無い野が苛立ったように舌打ちし、立ち上がった。
「おい、無い野どこに行くんだよ」
翔馬も立ち上がり、無い野に尋ねた。
「お前らと三時間も同じ空気を吸っていられるか」
そう吐き捨てると、
誰の返事も待たずに扉へ向かう。
「おい無い野!」
翔馬が呼び止めるが無い野は振り返らない。
「試合の時刻には戻る、勝手にしてろ」
ガチャリ、と扉が閉まる。
残された空気がわずかに重くなった。
「……相変わらずだな、あいつ」
無闘が肩をすくめる。
「でも……あの強さは事実だよ」
花野が静かに言った。
翔馬は、無い野が消えた扉をしばらく見つめていたがやがて外から何の音もしなくなるとため息をつき、再び椅子に座った。
その時だった。
――コン、コン。
控えめなノック音が休憩室に響く。
一同が同時に顔を上げた。
「……誰だ?」
当て野が低く問う。
返事はない。
だが、扉の向こうには――
明確な神の気があった。
しかも一人ではない。
四つ。
無闘が小さく息を吸う。
「何だ……?」
翔馬は立ち上がり、扉に近づく。
その時、扉がゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、
揃いの装束を纏った四人の神界人。
全員が落ち着いた表情をしているが、
その目には明確な“格”があった。
先頭に立つ男が一歩前に出る。
「失礼する」
声は低く、無駄がない。
「俺はチーム神界北のザンカという者だ。」
(チーム神界北……?)
室内の空気が張り詰める。
「二回戦の対戦相手だ」
男の視線が翔馬、無闘、当て野、花野へと順に移る。
――そして。
「……おや?」
一瞬眉をひそめる。
「先鋒の無い野がいないようだが」
その言葉に翔馬の表情が僅かに変わる。
「今は……席を外してる」
「ほう」
男は口元を歪ませる。
「残念だな、一度話してみたかったんだが。」
その背後で他の三人が静かに殺気を滲ませる。
「忠告しておこう」
男は言った。
「俺達は一回戦の相手とは強さのレベルが違う」
「神界北は戦場慣れした神界人の集まりだ」
無闘が前に出る。
「それで、わざわざ何の用だ」
男は少しだけ間を置いてから答えた。
「顔合わせだ」
そして淡々と告げる。
「せいぜい俺達を失望させるなよ、下界人。」
花野が静かに立ち上がる。
「それを言いに来たの?神界人は随分暇なんだね。」
一瞬、視線が交錯する。
気が室内でぶつかり合い、壁が微かに軋んだ。
男は満足したように頷く。
「いい目だ」
そう言い残し、チーム神界北は踵を返した。
扉が閉まる。
残された一同は、しばし沈黙した。
「……確かに初戦の有象無象とは違かったな……
一人ひとりの存在感がちげえ。」
無闘が沈黙を破る。
「一人ひとりがさっきの蟹何とかって奴より確実に格上か同格だな……確かに警戒した方が良さそうだ」
当て野が腕を組む。
翔馬も静かに拳を握った。
「意外と大した事は無さそうだったな、わざわざ下見に行く程だったか?」
廊下を歩きながら一人が鼻で笑う。
無機質な床に四人分の足音が規則正しく響く。
「いや……そうでも無さそうだ」
先頭を歩いていたザンカが低く答える。
「特にあのリーダーらしき男……」
ザンカの足がわずかに止まる。
脳裏に浮かぶのは――
先程の翔馬の顔。
あの目。
ただの下界人とは思えない、あの静かな圧。
(……あの瞬間……)
視線がぶつかった時の感覚を思い出す。
測りに来た筈が逆に測られた側になったような違和感。
ザンカはゆっくりと息を吐いた。
「アップぐらいはしておいた方が良さそうだ」
その言葉に後ろの一人が肩をすくめる。
「珍しいな、お前がそんな事言うなんて」
「念の為だ」
短く言い切る。
再び歩き出す四人。
廊下の奥へと消えていく。
その背中にはまだ余裕があった。
だが、確かに警戒も生まれていた。
同時刻――
別の場所で無い野は一人、動いていた。
コロシアム屋上。
観客席の最上層よりさらに上。
神界の空に最も近い場所。
轟音と歓声は、ここまで来ると遠い波のように聞こえるだけだった。
無い野は縁に腰を下ろし、
眼下の闘技場を見下ろしていた。
腕を組み、表情はいつも通り無機質。
「……くだらん」
一回戦。
五人まとめて消し飛ばした程度で、
熱狂が消える単純な観客。
理解できない。
直後、背後で足音。
だが普通の足音じゃない。
神の気を隠す気もない、
意図的に聞かせる様な堂々とした歩調。
「……」
無い野は振り返らない。
「初戦は――」
低い声が屋上に響いた。
「随分と派手にかましてたな、無い野。」
無い野の視線がようやく動く。
そこに立っていたのは神界北の装束を纏った男。
がっしりとした体躯。
無駄な贅肉のない、戦いに特化した身体。
目が冷えている。
「大平だ」
男は名乗る。
「チーム神界北、最後の一人」
無い野は鼻で笑った。
「わざわざ試合の前に殺されに来たのか?」
「……調子に乗るなよ」
大平は一歩、前に出る。
屋上の空気が僅かに歪む。
「お前……三十六代目の実の息子だろ?」
その言葉に無い野の目が細くなる。
「……」
「裏の世界じゃ有名だぜ、三十七代目の野神様に王の座から蹴落とされて下界へ落っこちてった可哀想な落ちこぼれ」
大平はコロシアムを一瞥する。
「さっきの観客の反応で分かったろ……今更戻って来たってお前の居場所なんかもう何処にもねえぞ」
無い野は立ち上がった。
風が二人の間を吹き抜ける。
「戻る居場所がないのなら……無理矢理作るだけだ、野神を殺してな」
「お前如きがか?」
大平は静かに拳を握る。
神の気が凝縮されていく。
荒々しくはない。
だが、ひたすらに重い。
確実に殺すための圧倒的な気。
「二回戦――先鋒がお前じゃなかろうが関係ない」
「皆殺しだ。」
無い野は口角を上げた。
ほんの僅か。
「……やっとマトモなのが来たか」
一瞬。
無い野の姿が、フッと消える。
次の瞬間――
大平の背後、三メートル。
屋上の床に足跡が刻まれる。
だが。
「捉えている。」
大平は振り向かず、背中でそう言った。
ドッッッ!!!
瞬間、空気が爆ぜる。
無い野の攻撃は――
寸前で止まっていた。
二人の間に見えない“壁”が存在している。
二人の気がせめぎ合う。
(これは……)
無い野が目を細める。
「屋上で決着をつける気はない……舞台は下だ」
コロシアムを指差す。
「観客の前で、神界北の名を刻む」
大平は踵を返した。
「逃げるなよ、無い野」
無い野は背中に向かって言う。
「こちらのセリフだ。」
次の瞬間、大平の姿は消えていた。
屋上には無い野だけが残る。
無い野は空を見上げた。
「……面白くなってきた」
その呟きは試合の鐘にかき消された。




