59話 私の望んだ世界
夕焼けが道を染めていた。
長い影が三つ、地面に伸びている。
「なあ先生」
少年の声。
「今日の給食、与志野が牛乳こぼしてさ。
おしっこ漏らしたみたいになってたんだよ。」
「言うなよ……!」
慌てた声が重なり次の瞬間、笑い声が弾けた。
「……本当に子供だな」
蒼気は苦笑しながら歩いている。
ランドセルを背負った二人。
左右に並ぶ、小さな背中。
特別な力も蒼の気も神も祝福も。
何一つ関係のない時間。
ただの帰り道。
「先生さ」
翔馬が前を見たまま言う。
「もしさ……俺たちに親がいたらどんな人だったと思う?」
蒼気は少し考えてから答えた。
「……きっとうるさいぞ」
「えぇー」
「門限だの、勉強だの、風呂入れだの」
与志野が笑う。
「それ……先生じゃん」
「……言うな」
三人はまた笑った。
沈みかけた太陽が、
街灯を一つずつ灯していく。
蒼気はふと足を止める。
「……なあ」
二人が振り返る。
「今日は……迎えが遅くなってすまなかったな」
一瞬の沈黙。
だが翔馬は首を振った。
「いいよ……来てくれただけで俺達嬉しいんだ。」
与志野も頷く。
「一人じゃなかった」
その言葉に蒼気の胸が少しだけ――温かくなる。
「なあ先生」
翔馬が照れたように言う。
「本当に親が……先生だったらさ」
一拍。
「結構悪くないと思う」
蒼気は目を見開いた。
言葉が出なかった。
与志野が追い打ちをかける。
「うん、先生なら……いい」
蒼気は前を向いたまま答える。
「……馬鹿なことを言うな」
だが声はどこか優しかった。
三人の影が再び歩き出す。
何気ない会話。
何気ない道。
――それが世界で一番守るべきものだった。
夕焼けの中、三人は歩いていく。
もう戻らない。
もう存在しない。
それでも――
確かに、そこにあった帰り道。
──
一週間後。
町は、完全に壊滅していた。
瓦礫の山。
焼け落ちた建物。
ひび割れた道路に、立ち入り禁止のテープ。
テレビをつければ、どのチャンネルも同じ映像を流している。
“未曾有の大規模災害”。
“原因不明の爆発現象”。
“死者、行方不明者数千人規模”。
真実を知る者はいない。
少し離れた場所にあった神界高校も例外ではなかった。
衝撃の余波を免れたものの、混乱と安全確認のため無期限休校。
世界は止まっていた。
――そんな荒廃した町の外れ。
奇跡的に原形を留めていた一棟のビル。
その屋上に、一人の男が立っていた。
無い野。
風に煽られ、血の乾いた服が揺れる。
眼下に広がる瓦礫の海を無言で見下ろしていた。
そこへ――
「無い野」
背後から声。
無い野は振り返らない。
「……お前か」
翔馬はゆっくりと屋上へ歩み出る。
以前の面影はある。
だが、どこか決定的に違っていた。
「何の用だ」
無い野が短く問う。
翔馬は無い野に向かって一歩踏み出した。
「力を貸してほしい」
無い野の口元がわずかに歪んだ。
「……ほう」
「黒幕は分かってる」
翔馬は無い野と同じ方向、空を見上げる。
「お前もやるつもりなんだろ?」
視線が無い野へ戻る。
「……野神。」
無い野は静かに息を吐いた。
「……仲良しこよしで協力して神界を落とそうと……そういうことか?」
「そうだ」
翔馬は否定しない。
「先生と戦った時に掴んだ祝福の核心……必ず役立たせてみせる」
一瞬の沈黙。
そして――
無い野はニヤリと笑った。
「良いだろう……乗ってやる」
歯を剥き出しにして愉快そうに。
「だが忘れるなよ……最後に野神を殺すのはこの俺だ。」
同じ頃。
少し離れた病院。
消毒液の匂いが漂う静かな通路。
白い床に足音だけが響く。
Fは大きな袋をぶら下げたまま、軽い足取りで歩いていた。
そのまま一番奥の部屋の前で立ち止まる。
ガラッ。
「見舞い来たよーん」
軽い調子で扉を開ける。
「……お前の顔は二度と見たくないと前回言った筈だが?」
ベッドに横たわる男――抹殺斗が低く言い放つ。
全身に包帯。
まだ動ける状態ではない。
「え?言ってないよ?私聞いてないもん!」
Fはまるで気にする様子もなく、部屋に入る。
「……」
抹殺斗は無言で天井を見上げた。
Fは隣の椅子にドスンと勢いよく座り、持っていた袋を床に置く。
「……で?」
何でもないように切り出す。
「考えてくれた?私達の事手伝ってくれる件」
袋の中をガサゴソと漁り、バナナを一本取り出しペリ、と皮を剥く。
「ふざけた事を抜かすな」
抹殺斗は即答した。
「前も言ったが神界など俺がどうにか出来る問題じゃない、実力不足だ」
冷静な自己評価。
「これから頑張ればいーじゃん」
Fは気軽に返す。
「私教えようか?」
「黙れ、そもそも大したメリットも無いのに協力できるか」
きっぱりとした拒絶。
Fはもぐもぐとバナナを頬張りながら、露骨に残念そうな顔をする。
「えー……メリット?何それ?」
(俺のじゃないのか……)
抹殺斗の視線がわずかにバナナへ向く。
だがFは気にせず食べ続ける。
そして――
「あ、じゃあ分かった!」
突然、何かを思いついたように顔を上げる。
「君を田野の祝福で治してあげるってのは?」
その一言で空気が変わった。
抹殺斗の視線がゆっくりとFへ向く。
沈黙。
機械音だけが小さく鳴る。
「……」
しばらく何も言わなかったが――
やがて低く呟く。
「……その祝福……完全に戻るのか」
Fはニヤッと笑う。
「戻るどころか今より強くなるかもよ?」
軽い口調。
だが、その中身は重い。
抹殺斗は数秒目を閉じる。
そして――
「……条件は?」
Fは満足そうに背もたれに寄りかかった。
「条件は三つ!」
Fは両手を広げ、抹殺斗に向かって言い切る。
「もう一般人に手を出さない事、私達にちゃんと協力する事、何か情報を手に入れたら逐一報告する事!この三つね!」
抹殺斗はしばらく無言で考える。
やがて低く吐き出すように答えた。
「……分かった」
Fの顔がぱっと明るくなる。
「オッケー!じゃあもう仲間だね!よろしく!」
しかし抹殺斗はすぐに訂正する。
「勘違いするな、一時的な協力関係だ」
Fは小さく肩をすくめて笑った。
「ふーん、そっか……残念」
抹殺斗はさらに付け加える。
「それと治すのはフンペチだ……俺は自力で治す」
「え?いいの?」
「舐めるなよ、あんな雑魚に治される程落ちぶれちゃいない」
「……ふーん」
Fは少し黙った後、袋を片手に椅子から立ち上がる。
病室の扉に向かい、開けかけた瞬間再び抹殺斗の方を振り返った。
「あ、そうだ……フンペチも同じ事言ってたよ」
「……何?」
「私はいいから、抹殺斗さんを治して下さいってさ」
「……」
「じゃ、バイバイ!また来るね!」
勢いよくドアが閉まる。
部屋には静寂が戻った。
抹殺斗は床に落ちていたFが捨てていったバナナの皮をぼんやりと見つめていた。
(……一体何なんだ、あの女は……)
――神界。
白く、果てのない広間。
そこに、七つの気配が集っていた。
七天神。
その中央、玉座に座す存在が口を開く。
「監視役、蒼気。
監視役補佐、大井死。
双方、無い野一行による死亡を確認した」
場の空気がわずかに軋む。
「即刻命ずる」
野神の声は感情を排した冷たさだった。
「無い野、及びその全人格の完全抹殺。
奴に与していた下界人も例外ではない」
七天神は黙って聞いていた。
その時。
一人の男が前へ出た。
「俺がやりましょう、野神様。」
低く、乾いた声。
野神が視線を向ける。
「……お前か」
男は薄く笑った。
「多死Ross。」
その名に空気が凍る。
「何てったって――」
多死Rossは指を鳴らす。
「実の父親を殺されてますからね。
俺が行くのが一番“筋”でしょう?」
沈黙。
野神は短く頷いた。
「許可する」
七天神、多死Rossの瞳が歪んだ光を帯びる。
――そして、どこか遠く。
夢と現実の狭間。
一人の少女が目を開いた。
「……来るね」
囁くような声。
「予定通り……」
無い野から生まれた多重人格の一人、夢野。
彼女の背後で世界が軋む。
新たな戦いの鼓動は確かに鳴っていた。
翔馬と無い野は静かに空を見上げる。
空、その遥か先ーー
自分が帰るべき世界が、そこにあることを悟る。
(大丈夫だ……先生、音色)
「あの世界は...…俺が壊す。」




