明るい未来を祝して乾杯(1/1)
厳しい冬が過ぎ去り、ミースにも春がやって来た。
火災の跡地に新しい素材の加工場や事務所が建設された魔獣牧場は、火事から着実に立ち直りつつある。生産計画に少々の狂いは生じたものの、現在は以前と同じように運営を再開できていた。
働き手たちも後れを挽回しようと張り切って働いている。幸いにも従業員の中に火事による死者はおらず、重症を負っていた者たちもシャーロットの魔法と医師の治療ですっかり回復していた。
あの事件以来、魔獣牧場での火の取り扱いには厳格なルールが定められるようになった。もちろん避難訓練も定期的に行っている。皆が一丸となり、あのような事件は二度と起こさないと誓ったのだ。
ますます発展していく牧場と比例するように、生活の糧をよそからミースの領内に求める者も増えた。出稼ぎに行っていた若者たちが続々と帰ってくるようになったのである。
これには王妃の力が大きかったかもしれない。息子に会いにミースへやって来た王妃は、魔獣牧場というアイデアにひどく興味を引かれたようなのだ。
王都へ帰った王妃は、ミースでいかに革新的で未来ある事業が進行しているかを周囲に喧伝。その結果、それまでは名前すら知らなかったこの辺境の土地に興味を持つ者が続出したのである。
ミースの将来は明るい。一年前なら誰もが笑い飛ばしたであろうそんな言葉が、現実のものになりつつあるのだった。
「それでは、お二人の婚約を祝して乾杯!」
執事のオラフがワイングラスを高らかに挙げる。
ある麗らかな日。ミース城の庭園ではささやかなパーティーが開かれていた。
「ご婚約、おめでとうございます」
「どうぞお幸せに!」
祝福の言葉をかけられたシャーロットは朗らかに笑ってみせた。その隣でバスティアンも表情を綻ばせる。
婚約の発表は火事の影響が落ち着いてからにしようと提案したのはバスティアンだった。もちろんシャーロットも異存はなかった。そういうわけで、真冬に愛を誓った二人の関係は春になるまで周囲に伏せられていたのである。
不思議なのは、シャーロットはあの日のことを誰にも話していなかったにもかかわらず、気が付けば自分たちの仲が皆に知れ渡っていたことである。
もしかしなくても、バスティアンが「わたしはシャーロット様の花婿!」と暇さえあれば鼻歌を歌っていたせいだろうか。
「いやあ、いい宴じゃのう!」
ティモが尻尾をフリフリしながら近寄ってきた。
「こんな素晴らしい催し物を思い付いた天才はどこの誰じゃろうな?」
「アタシとオラフでしょ」
料理をつまみながらリルがぞんざいな口調で言う。ティモはショックを受けたような顔になった。
「何じゃ! 我も協力したじゃろう!」
「パパの案なんて全然役に立たなかったじゃん。パーティーの余興にでっかいドラゴンを召喚してシャーロットたちを驚かせてやれ、ってアタシに言ったのはどこのどいつよ」
「ううっ……。じゃ、じゃが、我は別の形でドラゴンを呼んだのじゃぞ! ほれ、あの植え込みを見よ! 我が木を生やし、ドラゴンの形に刈ったのじゃ!」
「え、あれ、ドラゴンだったの? ひしゃげたフライパンの間違いでしょ?」
「……ぐすっ。そこまで言わずともよいじゃろう! お姉ちゃんはひどい奴じゃ!」
宴の席でも二人は相変わらず小競り合いばかりしていた。ケンカするほど仲がいいということなのだろうか。
婚約の発表はしたが、シャーロットもバスティアンも元々パーティーを企画することなど考えてもいなかった。だからリルたちが宴を開こうと言ってきた時は本当に驚いたものだ。
会場はミース城の使用人一同の手で美しく飾りつけられており、テーブルには料理人が腕によりをかけて作ったメニューが並んでいる。
自分たちのためにこんな素敵な催しを開いてくれたことに、シャーロットは深く感謝していた。
「バスティアン!」
シャーロットたちがケンカする二人からそっと離れると、取り巻きをゾロゾロ引き連れた王妃が近づいてきた。
「この間まで赤ちゃんだと思ったらもう花婿だなんて! 私があげた指輪はネックレスにしてるの? とてもよく似合っているわよ!」
王妃は息子を抱きしめた。シャーロットにも微笑みを向ける。
「あら! あなたも指輪をネックレスにしてるのね。それがミースのトレンドなの? それにしてもいい指輪ねえ! ガラスのカモミールだなんて! 永久に時を止めて美しく咲き誇る花。枯れない愛の象徴ね!」
「ありがとうございます、王妃様」
「やだ! 王妃様だなんて! 私のことは『お母様』と呼んでちょうだい! ふふふ。また娘が増えちゃったわね。さあ、あなたたちもお姉様にご挨拶なさい」
王妃は取り巻きのようにはべらせていた実子たちをシャーロットの前に集める。
皆バスティアンのきょうだいで、ほとんどが女の子だ。ついこの間生まれたばかりの王子も兄の腕に抱かれてキラキラした金の目でこちらを見ていた。
「これからよろしくお願いします、姉上」
バスティアンの跡を継いで王太女となった第一王女が上品に礼をする。新しい母と大勢の妹や弟ができた喜びで、シャーロットの胸はいっぱいになった。
「わたしのきょうだいは、これから先一体どれだけ増えるんでしょうね」
やっと全員との挨拶が終わり、会場の隅でシャーロットと二人だけになるとバスティアンは苦笑する。シャーロットは「ごきょうだいがたくさんいるのって楽しいですね」と返した。
(ミースは本当にいいところです)
春の日差しに目を細めながらシャーロットはこの地を本当に愛おしく思った。
家族も仲間も愛も、シャーロットは皆ここで見つけた。そして、素敵な出会いはこれから先もまだ続いていくだろう。
シャーロットはもうすぐこの土地の名を冠した人間となる。シャーロット・ミース。領主バスティアンの妻であり、補佐官であり、領民からは聖女と慕われる存在だ。
かつては姉の陰でしかなかったシャーロットは、いくつもの素晴らしい肩書きを持つ女性に生まれ変わったのだ。
「バスティアン様」
シャーロットは隣に立つ婚約者に寄りかかって甘えた。
「私にこんな最高の景色を見せてくださってありがとうございます。あなたが願っていた通り、私、幸せになれましたよ。今この瞬間にここに立っていることは、私の心の底からの望みなのですから」
「感謝するのはわたしの方です」
バスティアンの足元からヒマワリが伸びてくる。無意識でやっているのだろうか。黄金の花はシャーロットと目が合うと微笑むように揺れた。
「あなたの輝きで照らし出されたからこそ、わたしは自信を取り戻すことができたのです。そうでなければあなたへの求婚をやり直そうなどと思いもしなかったでしょう」
バスティアンはシャーロットがネックレスにしている指輪に触れた。
長い指はガラスのカモミールの花弁を一枚一枚たどり、それが終わると鎖を伝ってシャーロットの首をくすぐり、やがては頬に手が添えられる。
バスティアンの情熱的に潤んだ瞳を見たシャーロットは目を閉じた。
「あなたはわたしにとって永遠に失われることのない光。これからもどうかお側にいさせてください」
「もちろんです。このミースでこれからも共に生き続けましょう」
そうして、恋人たちは優しく甘い口付けを交わし合ったのだった。




