十二時になったから、ただの恋する乙女に戻りましょう(1/2)
火事はなんとか収まったが、シャーロットには領主補佐官としてやるべきことが残っていた。
(まずは正確な怪我人の数の把握と、被害状況の取りまとめ。それから、今回の事件が牧場の生産能力に及ぼす影響も試算しないといけませんね)
黒焦げになった建物を見ながらシャーロットは唸る。
(重傷者の方は大丈夫でしょうか。あとでお医者様から話を聞いておかないと……)
「シャーロット様!」
不意に名前を呼ばれ、シャーロットは振り返る。そこには、この場所にいるはずのない人物がいた。
「バスティアン様!」
辺りを照らす松明の光がバスティアンの汗ばむ顔を暗闇の中に浮かび上がらせる。彼は息を弾ませながらバイコーンから降りた。
「オラフが早馬を寄越してくれたんです」
バスティアンは乱れた息を整えながら事情を説明した。
「今日の夕方頃に牧場で火事があったと……いえ、もう昨日ですね。今、ちょうど日付が変わったところですから」
バスティアンはポケットから懐中時計を出した。もうそんなに時間が経っていたのかとシャーロットは呆気にとられる。夢中で駆け回っていたため、今が何時かなんて気にする余裕もなかったのだ。
「こうしてはいられないと、母に断りを入れて先に帰ることにしたのです。それで……火事はどうなりましたか?」
「もちろん、すっかり消火完了しましたとも!」
「聖女様が竜を呼び出して火を消してくれたんですよ!」
領主の登場に気付いた従業員たちが、我先にとシャーロットの手柄を報告する。「竜!」とバスティアンの声が裏返った。
「シャーロット様はそのようなこともできるのですか! やはりあなたは偉大な方です!」
「いえ、そんな……」
シャーロットはかぶりを振って、まだまだ続きそうなバスティアンの褒め言葉を遮った。
「駆けつけてくださってありがとうございます、バスティアン様。火事は無事に収まりましたが、まだまだやらなければならないことが山積みで……何から手を付けようかと悩んでいたところだったのです」
「あとはわたしにお任せください。シャーロット様は少し休んだ方がいいですよ」
「平気です。疲れていませんから」
「ですがそのお姿では……」
シャーロットはきょとんとした。バスティアンが懐から折りたたみ式の手鏡を取り出してシャーロットに渡す。そこに自分の姿を映したシャーロットはぎょっとなった。
火災現場から飛んできた灰が体に張りついた状態で水を被ってしまったものだから、顔や髪がまだら模様になっていたのだ。
こんな状態でバスティアンの前に出ていたのかと思うと消え入りたくなる。服の袖で乱暴に顔をこすろうかとも思ったが、借り物を汚すわけにもいかないので思いとどまった。
「ごめんなさい。すごく汚いですね、私」
「汚いだなんて! シャーロット様は灰まみれでもお美しいですよ! それに、そのお姿は必死に働いてくださった証以外の何物でもないではありませんか! 今のあなたは月の光を散りばめたドレスをまとっている時と同じくらい光り輝いていますとも! わたしはただ、シャーロット様の御髪が濡れていらっしゃるのできちんと乾かす方がいいと思い……」
バスティアンの力説は続く。シャーロットは少し安堵した。バスティアンはこんなみっともない姿の自分でも受け入れてくれるのだ。
「私なら大丈夫ですよ」
シャーロットは近くにいた人からタオルを受け取り、髪をゴシゴシと拭いて顔も拭った。これで髪も乾いたし、汚れも多少は落ちたことだろう。
二人は牧場の事務所の責任者たちと面会して、被害状況等の確認をしておくように指示した。全ての報告が上がってくるまでには何日かかるだろう。その間に焼けた建物の再建計画も進めておかなければならない。
今後のことを話し合いながら焼け跡の近くを歩いていた時のことだ。ふと、バスティアンが「それは何ですか?」と尋ねてくる。
彼が見ているのはシャーロットが嵌めていた指輪だった。中央の台座は今は空っぽだ。それが奇妙思えたのだろう。
シャーロットは困った顔で指輪を外す。
「実は、初めはここに御供石をはめ込んでいたんです」
「御供石を? ……その指輪、少し見せていただいても?」
「どうぞ」
シャーロットはバスティアンに指輪を手渡した。
「私はその御供石を使って魔力を増幅させ、火を消したんです。お陰で石はなくなってしまいましたが」
「失われたのが指輪に乗るくらいの小さな石一つだけで良かったです。下手をすればシャーロット様が火事に巻き込まれて怪我をしていた可能性もあったのですから」
「……あれはただの石ではありません」
シャーロットは迷いつつも正直に告白した。
「バスティアン様にあげようとしていた指輪を飾る石だったのです。……それ、結婚指輪なんですよ」
「えっ……」
バスティアンが手の中の指輪を見て言葉を失う。シャーロットは軽くうなだれた。
「せっかく約束通りの日に帰ってきてくれたのに、すみません。指輪がないからプロポーズは延期です」
バスティアンは愛の形は完璧にしたいからと、落としてしまった指輪を求めて真冬の滝壺に飛び込んだ。
あの時のシャーロットにはバスティアンの行動は理解不能だったが、今ならその気持ちが少し分かる気がする。
頂点の飾りを欠くような不完全な指輪では、とてもではないがプロポーズできない。彼がこれから先一生このアクセサリーを身につけるとあらばなおさらだ。
「……ごめんなさい、バスティアン様。その輪っかは捨ててしまってください。今度はもっといい指輪を用意しますから」
バスティアンは答えない。食い入るように飾りのとれた指輪を見ていた。
(ガッカリさせてしまったでしょうか……)
バスティアンの落ち込むところは見たくないと必死に牧場を救ったシャーロットだったが、別の形で彼にショックを与えてしまったようだ。あれだけプロポーズを楽しみにしていたのだから、この反応も無理はないだろう。
火を消すために御供石を使用した判断に後悔はないが、シャーロットは沈んだ気持ちになった。
「本当にすみません。なるべく早く次の指輪を用意して、プロポーズの日取りも決め直しますね」
いたたまれない気持ちでシャーロットは足早にバスティアンの元を去る。
(せっかくのプロポーズを台無しにしてしまいましたね……)
魔法の火球で先を照らし、行く当てもなくとぼとぼと歩きながらシャーロットは落ち込んでいた。本当のことを言わない方が良かったかもしれない、と悔やんでしまう。
くよくよしていると、足元の溝につまずいて転びそうになった。慌てて姿勢を立て直す。地面に広がっていたのは、やけに大きくて長いくぼみだった。
(……川の跡?)
これは何だろうとしばらく考えた末、シャーロットは溝の正体に思い当たった。少し前まではここに川があったに違いない。火を消すためにシャーロットが辺り一帯の水を召喚したため、短期間の内に干上がってしまったのだろう。
といっても、完全に枯れてしまったわけではないようだ。その証拠に、ちろちろとした水の流れが復活してきている。
(本当に……ミースは水資源にだけは恵まれていますね)
きっと、この川もすぐに元のように豊かな流れを取り戻すだろう。そんなことを考えながら、シャーロットは何気なく川縁にしゃがみ込んだ。
(……あら?)
火球の明かりに反射して何かが川底で光った気がした。泥の中に小さなものが埋もれている。
好奇心を覚えたシャーロットは袖をまくって土を掘り返した。
(……指輪?)
意外なものが出てきてシャーロットは首を傾げた。もっとよく観察しようと指輪を水につけて泥を落とす。
(こ、これって……!)
綺麗になったアクセサリーを見たシャーロットは息を呑んだ。バスティアンが母からもらったものではないか。
(まさか……滝壺からここまで流されてきて……?)
滝で行方不明になった指輪をこんな形で発見するなんて思ってもみなかった。体が熱くなってくる。
指輪ならここにある。これはつまり、プロポーズを諦めなくてもいいということではないだろうか?
(……バスティアン様との間に愛を育むことは私の心の底からの望み)
その望みを叶えろとミースの大地が言っているということか。だからこうしてシャーロットの元に指輪を届けてくれたのかもしれない。
これを使って幸せになれ。そういうメッセージだと思うのはおかしいだろうか? シャーロットは少し笑ってしまう。どうやらバスティアンのロマンチシズムが自分にも伝染ってしまったようだ。
シャーロットは指輪を手に駆け出した。




