また家族が増えました(3/3)
「あら! 起きてくださったんですね!」
なんてタイミングがいいんだろうと、シャーロットは安堵した。
「良かったです! 実は私たち、これからあなたを……」
「い、嫌じゃあ!」
少年は高い声で叫んで、手足をジタバタと動かした。
「我は生け贄になどなりとうない! 嫌じゃ嫌じゃ! 離すのじゃ!」
「おい、暴れるな……」
「誰か助けてくれぇ! 我は悪い神などではないのじゃ!」
少年は無我夢中で四肢をばたつかせる。体中を蹴り上げられ、バスティアンがよろめいた。彼の体が傾いた先には深い谷がある。
「危ない!」
シャーロットが絶叫する。その時にはすでに二人の体は渓谷の底に向かって投げ出されていた。
「バスティアン様!」
シャーロットは小道の縁へと駆け寄る。すると、なんという幸運だろう。岩の隙間から生える木がバスティアンの体を受け止めてくれているのが見えたではないか。
「……っ!」
バスティアンは歯を食いしばりながら岩のくぼみに足をかけて岩壁をよじ登る。そうしてどうにかシャーロットの傍らまでやって来ると、力尽きたように地面に背をつけた。
「ああ、良かった……」
シャーロットは体の力が抜けてしまいその場に座り込む。今になって彼が岩を登るのを魔法で助けてやれば良かったと思いついた。
「バスティアン様に何かあったらどうしようかと……」
「ご心配をおかけしました。ただあの少年は……」
「あの子も大丈夫だよ」
リルがバスティアンの肩を労うように叩いた。谷底から羽ばたきの音がする。竜人の少年を口にくわえて谷底から飛んで来たのは、真っ白なペガサスだった。
「あのペガサス、アタシが呼んだの」
リルはちょっと得意そうに言った。
「魔獣を呼ぶ力もたまには役立つんだね」
「な、何ということをしてくれるんじゃ!」
少年は抗議の声を上げた。
「生け贄にされるくらいなら、いっそひと思いにあの世へ行きたかったものを! この人でなし!」
「人じゃないもん」
リルは平然とした顔だ。
「お前、当分はそこにいなさいよ。また暴れられたら迷惑だし」
リルは低い鼻をつんと上に向ける。
一行は崖登りを再開した。頭上には少年をくわえたペガサスがいる。
「ああ……我はもう終わりじゃ」
少年は悲惨な口調で天を仰いだ。
「この獣は我を食おうとしておる。このようなことがあってよいのか。貴様ら、一生恨むぞ。我を生け贄に選んだことを後悔するが良い!」
「ペガサスは草食だよ」
「それに君は何か勘違いをしているようだ」
リルとバスティアンが言った。先ほどから少年が言っている「生け贄」という物騒な言葉に関して、シャーロットはバスティアンの話を思い出す。
(昔、ミースの領民は氏神を呼び出す生け贄として悪しき神を選んだ。……もしかしてこの子が?)
シャーロットは頭上に目を遣った。
「あなたも邪神と呼ばれる存在なのですか?」
「誰が邪神じゃ! 我はれっきとした氏神じゃぞ!」
少年が憤慨した。地上の三人は「えっ」と声を漏らす。
「嘘でしょ! 全然威厳ないのに!」
「生け贄にされたのは邪神だろう?」
「何故氏神がこのような目に遭っているのですか?」
「いっぺんに色々言うでない! 聞き取れんじゃろうが!」
少年はふてくされた。
「我の正体が氏神じゃと誰も信じてくれん。挙げ句の果てには『ミースの土地が痩せているのはこの邪神のせいだ! こいつを生け贄にして氏神様をお呼びしよう!』などとのたまう人間どもに襲われる始末じゃ。捕まって洞窟に閉じ込められて……ううっ……その後はどうなったかよく思い出せん……」
大昔のミースで起きた事件の真相を知り、シャーロットは呆然となる。どうやらミースの人々はとんでもない勘違いをしでかしたらしい。
「けれど、どうしてですか? どうして人々はあなたを邪神だと思ったのでしょう?」
リルが悪しき神だと認知されたのは、彼女が持つ魔獣を呼び寄せる力を人々が恐れたためだ。とすれば、この少年にも何か不思議な能力があるのだろうか。
「さあな。人間の考えなど我には分からん。言っておくが、我は何もしとらんぞ」
少年はぷいとそっぽを向いてしまった。尻尾を足の間に入れて体をプルプルと震わせる。
(何か隠し事をしている……?)
シャーロットはそう直感した。だが、その内容までは分からない。
答えを出してくれたのはリルだった。
「そうだね。お前は何にもしてない。……何にもしてないから生け贄にされたんでしょう?」
少年の肩がピクリと動く。バスティアンが「どういうことだ?」と聞いた。
「つまりね、こいつは氏神の役目を果たしてないってこと」
リルが少年を指差す。
「氏神は土地を守るのが役目なのに、こいつはその役割を全うできなかったんだよ。多分、未熟者だから」
「未熟? どうしてそんなことが分かるのですか?」
「こいつの体、見てみなよ。竜にも人間にも化身できてない中途半端な状態じゃん? こいつが神としてまだまだだっていう証拠だよ」
「ええい、うるさいぞ、小娘!」
少年は涙目になっていた。
「皆そうやってすぐに我をいじめるのじゃ! 未熟なりに我も頑張っているんじゃぞ! この土地を実り豊かにしようとして……だというのに……う……うう……うわーん!」
少年は泣き出してしまった。リルが「やっぱり威厳ないね」と呆れたように言う。
「ミースが不毛の地だったのは氏神の力不足のせいだったのか……」
バスティアンが困り果てたように言った。
「どうしたものか……。ミースを豊かにするためには昔の人々のように新しい氏神を探すべきなんだろうか?」
「そう上手くはいきませんよ。氏神というのはその土地と深く結びついた存在でなければいけませんもの。かつての神をクビにして新しい神にすげ替える、などということは簡単にはできません」
「つまり、生け贄の儀式は全くの無駄だったわけですね」
バスティアンが腕組みした。
「彼をどうするべきでしょう、シャーロット様」
「それはもちろん、これからもこの土地に住んでいただくのがいいと思います」
シャーロットがそう言うなり、少年の泣き声が止まる。
「役に立たないから捨てるなんてあまりにも勝手ではありませんか」
「……それもそうですね」
廃太子であるバスティアンにはシャーロットの言葉が深く胸に刺さったらしい。少年を見上げ、「そういうわけだ、氏神」と言った。
「今後もこのミースに住み続けてくれ。行く場所がないならミース城に部屋を用意しよう。ただ、人手不足だから何かしらの仕事はしてもらうぞ。そうだな……庭師なんてどうだ?」
リルの時といい、バスティアンは神を何だと思っているのだろうか。邪神を厩舎係にして、氏神を庭師に任命する領主など、彼くらいのものだろう。
「ほう? 人間の分際で生意気な口を利くではないか」
案の定、少年は怒ったような口調になる。
だが、彼の尻尾はパタパタと左右に激しく揺れていた。こちらが彼の本心らしい。
「じゃが、どうしてもというのなら言うことを聞いてやらんでもないぞ。我はミースの氏神じゃからな。ミースに住む人間の願いを叶えてやるのが我の役目じゃ。それに、そちらの金髪の女子は神に対する礼儀を中々にわきまえているようじゃ。別に頼られて嬉しいとか、そんなことは少しも考えておらんぞ」
(あらあら、素直じゃない方)
シャーロットはクスリと笑ってしまう。リルの言う通りあまり威厳はないけれど、シャーロットは彼のことも好きになれそうだと思った。
「バスティアン……また穀潰しを増やすの?」
一方のリルは呆れ顔だ。
「ミースを不毛の地にしちゃうような氏神なんだよ? 庭園の管理なんてできっこないじゃん」
「貴様、失礼だぞ!」
少年がプリプリする。
「先ほどから聞いておれば偉そうなことばかり言いおって! 一体何様のつもりなんじゃ!」
「アタシはシャーロットとバスティアンのお姉ちゃんだよ。もしミース城に来るなら、お前にも特別にそう呼ばせてあげてもいいけど」
「お姉ちゃんじゃと……?」
少年は思案顔になる。
「貴様がお姉ちゃんなら……我は二人のパパじゃな! 人間は父親のことをそう呼ぶんじゃろう? ミースの民は我の子どものようなものじゃから、貴様らも我を父と思って思い切り甘えるが良い!」
「姉が邪神で父親が氏神……。何だか家系図が混沌としてきたな」
バスティアンが呟く。シャーロットはついに声を上げて笑い出してしまった。
(まったく、本当におかしな神様!)
やっぱりミースは他のどことも違う。ここに来てからシャーロットは二人も新しい家族を手に入れてしまった。
「そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね」
シャーロットはにこやかな顔で言った。
「あなたの名前は何というのですか、パパ?」
「おお、氏神の愛娘よ。貴様の質問に答えてやろうぞ」
少年は厳かに言った。ペガサスにくわえられていなければもう少し威厳が出たかもしれない。
「我はティモ。ミースの氏神、ティモじゃ!」
こうして竜人の氏神ティモを仲間に加え、一行はミース城への帰路についたのだった。




