翻訳の難しさ
地動説をテーマにしたアニメ。
賛否の感想がネットをにぎわしている。
中には、海外の否定的な感想について語るものもあったけれど、世界は広くて、感想を1000位は、どちらの感想も集めるのは難しくないので、
結果に合わせて感想を切り張り出来るから、この辺りは様々なサイトを見比べる必要があるし、
なんなら、自分でも、海外のサイトやSNS等を見る必要があるんだと思った。
本当に、世界は広くて、翻訳された、日本語の意見だけで考えるのは、バランスが良くないんだって思った。
そう考えると、やはり、世界の人と関わるのは大切だし、他言語を理解するのは必要なんだと思った。
今までの常識とは違う、別の世界の広がり…
私は、星の事より、ネットの翻訳機能の凄さに感動した。
そして、あのアニメの『火星』と表現することに疑問が出てきた。
太陽系、第4惑星を日本語の『火星』としてしまうと、日本人は自分達の火星の記憶で物事を考える。
が、海外…西洋では、『マース』と、軍神の名前がつけられている。
なぜ、軍神の名前なのか?
それは、戦争に関わる星だからだ。
火星の公転周期は約2年。
その倍の4年は、現在では大統領選が、様々な国で行われているけれど、
3とか、4年は、やはり、様々に政治が動き、それの目安に使われていたんだと思う。
だから、今回の話は、私には良く理解できなかった。
火星や金星、水星は、世界的に最も観測された星だと思う。
そして、2、3年と、小さな物事の変化と対応して、様々に関連つけられた星だから、15世紀位の人間が、火星について、個人的に変な意味付けをして観測してるのが…特に、武道関係を生業にしてる人間が発していたのが疑問だった。
それに、火星を12星座を巡るように観測するって発想は、夜空を見ながら観察すると、難しくなるのだ。
秋の星座、冬の星座と、季節ごとに星座が動いて行くのだと、普通、考えるだろう。
でも、地球は24時間で一回りしているから、本当は時計の文字盤を巡るように、12星座を1日でめぐって行くのだ。
では、なぜ、季節の星座があるのか?
それは、人間は夜には寝るもので、多くの人が観測するのは、ゴールデンタイムの7時〜9時位までで、その時間帯の一年の空の星座を季節の星座だと話しているわけだ。
つまり、昔の人の星の観察は、ゴールデンタイムを中心に考えられていて、学校とかで習わない限り、星座を巡る…と、思い付くのは難しいのだ。
確かに、西洋占星術等の星座早見表なんかや、ホロスコープを見ていると、12星座を巡るように考えていたように思えるだろうけれど、実際、なんの知識もなく、星を観察していると、惑星は、どこからかやって来る客のようなもので、例えば、蠍座にいるなら、何々の心配をしよう、とか、そんな風にとらえてしまう。
確かに、惑星は、黄道を巡るけれど、ゴールデンタイムの星座の位置でかならず順番には通らないからだ。次の星座には太陽の裏側にいるときかもしれない。
人を惑わす星と書いて惑星なのだ。
そして、この世界であれば、火星の地上における様々な影響について、教会や、政治家より、漁師や農家、武装集団の方が沢山の情報を持っていた。エビデンスはない。だって、文字で残せない人達が星を目安に口伝で伝えた事だから。それを信じられるのは、ただ、私の子供時代にはまだ、そんな残りががあったというだけの事だ。
ここで、科学的に星をとらえる人は、惑星の地上の影響をないがしろにする。
確かに、火星が星座を巡るのは、物理法則で、そこに、悪魔やら、天使やらが関係はしない。
が、それを観測している一団が、その星座の動きを自分の行動に関連付けると違ってくる。
Aと言う国が、火星の動きで戦争の準備を始めれば、迎え撃つBと言う国も、応戦しなくてはいけなくなるからだ。実際、ヒトラーはそれを一度は実行した。
それに…思えば、根本として、我々の世界線の天動説では、地球からの惑星の距離は、現在とは違う。
月が太陽に近かったり、なんかとんでもないくファンタスティックな絵として残っているのを見た。
地球より太陽に近い金星や水星は、日の出か、日の入りしか見れないし、地上から実際に観測する場合、彼らの動きは、それ以上に複雑怪奇だ。
放物線を描いて、東に西にと動くのだ。
これ、目視の位置を計算するのって、パソコンがある、地動説バリバリの現在に生きていても、サポートなしでは理解するのは難しい(T-T)
ついでに、火星は楕円軌道を巡るので、星の輝き方が変わるんだよね…
どちらかと言うと、そっちの方が気にかかる気もするし、星座でも、蠍座のアンタレス辺りで火星が輝くと、そっちの意味合いの方が、大衆的には気になるのではないか、とか、モヤモヤした。
大体、天体観測はダメな世界線では無かったのだろうか?
異端審問はまだ、続いているのに、それでいいのか?
などと、頭が混乱してきた。
が、これは異世界の話なのだ。
ここで、下らない文句を言って逃げたら負けなんだそうだ。最後は凄いオチがあるらしい。
でも、異世界にしても、この星の設定で世界が描けることに、現在の人類は、本当の星を見なくなったんだと、しみじみと思い、自分もまた、忘れていた事に愕然とした。
小さな頃、ばーちゃんと遊び、夕暮れに輝く星に、様々な昔話や伝説、思い出話を聞いた記憶は…ほぼ、忘れてしまったし、
私の人生に、それらの星を関連付けた思い出はほぼない。夕日のうちに家にも帰れなかったし、建物も高く、地平線は見えなくなって、街明かりが夜を明るく変えたから。
こうやって、ひとつの文明が静かに消えて行くのかと、なんだかものさみしく感じる。
我々は地動説の世界線で生きている。
でも、既に、肉眼で見える星は意識の遠くに追いやられ、
地球を中心として巡る、衛星を頼りに生きている…天動説の世界線で生きているのかもしれない。
その遥か遠い宇宙で、ボイジャーは太陽の束縛を受けることなく宇宙を観測している…
確かに、様々に考えさせられる物語ではある。




