ダレカと、誰
あとは考えるしかない。とことん。
愛していない。
愛している。
愛せない。
……愛しているから?
確かめて。問いかけて。切り捨てて。諦めて。また、確かめて。
簡単に決断出来て行動に移せるのなら、今までの葛藤も痛みも与えられることはなかったはず。
眠りたい。
でも眠れば、夢に彼が現れてあたしを求めようとする。
夢は、願望。
誰かがそう言っていた。
「じゃあ、彼に愛されるのが、触れられるのが、あたしの願望?」
――違う。
違うよ。
彼に縛りつけられていた時期に、いつ倒れても仕方がなかった自分に残されていた希望だっただけじゃない。
もう、無理なんだよ。
望む形の夫婦も恋愛も、彼相手には成立しない。
もう、無理なんだよ。
愛されていないのに、愛せない。
愛していると囁く彼が愛しているのは、いつだって自分ばかりだったでしょ。
(あぁ、いやだ。何年かけたら、自分の中から彼を完全に消せるんだ)
事故で死ねば消えたの?
(いや。それは逆に残る)
今みたいに距離的に離れただけでも消せていないのなら、どうだと消えたと思えるの?
(距離だけじゃなく、キッチリ契約させなきゃ不安すぎる)
契約とか思ってる時点で、彼との関係が破綻しているのは明確じゃない?
最初はあったのかもしれない“情”も、今はきっと違う形のはず。
縁あって家族というつながりになって、たどり着いた先は違ったとしても一応家族ではあった。
そこだけは揺らがない。
彼と家族だったからこそ、目の前に在る三人の娘たちに出逢えたのだから。
歪な形の母性が支えていた家族というモノ。
娘たちに無意識に与えているだろう無償の愛と、同等のモノを彼には与えられない。
一度は好きだった相手だけに、無償じゃなくリターンを求めていたはず。
だから期待した。
故に、期待しただけのものが返されなくて、寂しさで潰れそうになった。
愛されたくて、きっと必死だった。
最初の旦那さんと一緒の時に叶えられなかった、愛されるという欲を満たしてほしかったんだ。
あたしのことを好きだというのに自分のことが一番大事で、あたしを好きだという口と同じ口で甘えの言葉ばかりを垂れ流して。
限界がきて心の痛みを嘆いてみせても、誰も彼も自分の痛みを癒すことだけ優先して。
フローチャートみたいに、これまでのことと起きたことと、それに付随してきた感情と。
YESかNOかを色分けされた部分を、人差し指でなぞりながら確かめているようだ。
「……はぁ」
油断したら、涙がこぼれてしまいそう。
なんとか吐き出した息は、重く短く。
確かめて、再認識してしまった。
誰もあたしの痛みに寄り添ってはくれない、寂しい現実を。
誰か、あたしを見て。
だれか。
ダレカ。
「……たすけて」
寂しさで圧し潰されそうだ。
いつも求められるのは、自分以外の誰かのことばかり。
あたしを大事だと微笑むのに、大事にされている感じがないのはどうして?
眠れたら、この負のループから解放されるんだろうか。
もういっそ、誰かに愛されることすら望まなきゃ目の前にあることだけで満たされた気持ちになれるの?
拉致軟禁やストーカー被害の時に、最初の旦那さんに打ち明けられていたら壊れそうな心を修復出来た?
自分の心がいくつもに分かれてまでも、自分を生かそうとしなかった?
その時に誰かに従ってしまう自分を確立していなきゃ、モラハラな旦那に従うことも、彼が得られなかった母親からの愛情を代理で埋めてあげるような関係にすらならずにすんだの?
自分のことじゃない何かに追いかけられているような義務感と焦燥感が混じった錯覚に囚われずに生きられたの?
いつもいつまでも誰かの何かをしなきゃいけない、しなきゃ聞きたくないことを聞かされると怯えずにすんだの?
(ねぇ。それって、眠れたら、赦されるの?)
なにかを。
そして、何かから解放されるの?
眠れていないから、こんなことを考えてしまうの?
眠れていたら、何にも縛られずに生きられたの?
眠れる日々があれば……。
「そんな単純明快なことで解決するわけない。でも、眠れていなきゃ冷静になりきれない。体ももたなくなって、順番に崩れていったはず」
禅問答か哲学かなにかみたいだ。
眠るというのが、こんなに深いなんて。
こんなに、難しいなんて。
誰も教えてくれなかった。
遠い、懐かしい日々を振り返る。
くったくたになるまで遊んで、母が作ったご飯をお腹いっぱい食べて。
あったかいお風呂にふかふかのお布団にと、知らず知らずのうちに整えられていた居場所で、何の不安もなく深く眠れた頃のことを。
担当医は、いまだに分裂した心が存在するがゆえに、彼に囚われたままのあたしが存在していることを知っている。
だからこそ、目をそらしてきたものを見ろと、敢えて言葉にしたんじゃないだろうか。
微塵も彼にプラスの感情を持っていないのなら、これほどまでに苦しまなかったでしょ? と。
薬を飲んで命をつなぐために、半強制的に眠った時期。
命はつなげたけれど、根治治療というものには程遠かった。
他人だから可能な手出し。
ネット仲間からの声だって、自分のことだったら現実逃避する人が多かろう。
『もしも』
仲間が似たような環境下にいたら、きっとあたしだって告げたはずだ。
「逃げろ」
「その男は、自分だけしか愛していない」
「期待なんかしない方がいい」
そう告げる中に、表裏一体になって主張している想いの存在をあえて問うことがあるはずだ。
「彼のことが、好きなんでしょ?」と。
けれど意識させてしまう時期を誤ると、もっとずぶずぶになって足に重い枷がつながれたままに沼から這い上がれなくなってしまう。
そこの見極めは、素人か専門家かの差が出てしまうのだろう。
きっと躊躇う。その後のフォローもわからないのだから。
担当医がここだと思ったタイミングが、あの診察のあの瞬間だったのかもしれない。
でなければ、いつまでもあたしの口からは彼の話が出て、彼を意識していることを自ら主張することから抜け出せなくなる。
実は執着しているのは自分なんじゃないかと思ったことがある。
離れたいのに、彼を逃すとたとえ上辺だけの愛情だとしても自分を愛していると言ってくれる人がいなくなってしまう。
寂しい。
失いたくない。
もう……誰でもいいから、好きって言って。
自分の中の誰かが涙と一緒にこぼしているんじゃないか。
彼にとって、無意識の中で抱え続けてきた、得たかったはずの愛情の欠落部分を補ってくれる存在。
=あたし。
あたしは、最初の旦那さんに寄り添ってほしかった愛され続けたかった満たされたかった。
その欠落部分にするりと入り込んできた存在=彼をなくすのが怖かったんじゃないかと。
モラハラだろうが眠られせてくれなかろうが、俺の最後の女と言い切る彼。
なんでも誰でもいいから愛されたい欲求は、自分の中にこそ在ったんじゃない?
合計で自分以外に10人もいた人格の中には、素直に誰かの愛を全身で受け止めて喜んでいたのがいたらしい。
増えた人格も、結局は自分と同じ。
抱かれて、愛を囁かれ、自分を包み込んでくれる体温に素直にくっつける。
それはまるで、子どものよう。
誰かを愛することも愛されることも。
食べることも眠ることも。
何のためらいも警戒もしないでいられたのは、一体いつまでだったろう。
自分を今までで一番傷つけた彼の、どこをどう好きだと思えたのだろう。
一緒に眠っている時間がきっと大事だったはずだ。
おはようもおやすみも、同じ人と繰り返された日々。
彼を好きになったのは、――誰?