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第二十三章『湖畔』

 どしゃぶりの雨が僕の意識を覚醒させていく。

 そうだ、僕は誰かに追われているんだ――それも複数のナニかに。

 彼らに捕まればどうなるかわからない。その気になったら殺しだってやってのけるだろう。彼らに常識なんてものは通用などしない。彼らは常識の圏外に存在しているのだから。

 気づいたときには、森の中を疾走していた。枝に服を引っかけようと、木の根っこにつまずきそうになっても、それでも僕は走り続ける。自分には間違いなく、命の危機が迫っていた。

 ――森が開ける。

「湖?」

 そこには湖が広がっていた――と、言ってもどしゃぶりの暗がりのせいで、そのくらいのことしかわからないのだけど。

 そこで足は止まり、それに伴って蓄積されてきた疲労がドッと押し寄せてくる。だが、こうしている間にも彼らは迫ってきているはずだ。ここで歩みを止めるわけにはいかなかった。

 急がないと。

 一歩を踏みだしたときである。僕はなにか固いモノにつまずき、顔面から派手に転んでしまう。

「っつ……」

 まったくもって、散々だった。悪態をつきつつも、僕はなんとか立ちあがろうとする。

「鈴木くん」

 そんなときである。聞き覚えのある声が僕を呼び止めた。

「……玖木、教授?」

 暗がりから傘もささずにのっそり現れたのは玖木教授だった。

「こんなところにいたんですか。心配したんですよ」

 玖木教授の照らす懐中電灯の明かりがまぶしい。僕は思わず、顔を下に背け、そして愕然とした。

 暗がりでよくわからなかったが、いまならよくわかる。

 懐中電灯の明かりは、この惨劇の場を煌々と照らしていた。

 僕が足を引っかけたのは、巨大な鞄だった。人が一人まるまる入るんじゃないかというくらいに大きな鞄。その鞄が大きな口を開けて、放置してあった。

 周辺には脚とか、腕とかの生々しい、作りものとはとても思えない、人間の体の部位があちこちに転がっている。

「それにしても、君はいけない子だ。ここに来てしまうなんて……」

 そんな場面を目にしながら、平然とした口調で、こちらに一歩一歩近づいてくる玖木教授。あきらかに異常だった。

「ここはね。私の主が食事をする場所なんだよ」

「食事? こんなところで食事?」

「そうだよ。主は特に新鮮なモノが好みでね。一昨日、トランクに入れて持ってきた肉はとても喜んでくれたよ。おかげで、苦労した甲斐があったというものさ」

 この人の言ってることは、僕にはタチの悪い冗談にしか聞こえなかった。しかし、その表情は深淵に覆われていて、こちらから窺うことはできない。

「君もよく知ってるだろ? ほら、安原くんだよ。彼を主はとても美味しそうに食べてくれたんだ。あれには、僕は感動したよ」

 やすはら? どういうことなんだろう? これは悪夢なんだろうか?

「昔は、村にも人がいて主が食に欠くことなんてなかったんだけどね。ほら、若い人は刺激を欲しがるだろ? だから、みんな出ていったよ。でも、主はそれじゃあ困るわけだ。そこで村興しというわけだよ」

 教授はいつになく饒舌だった。普段は温厚で、決して口数も多いほうではない。その教授のようすがおかしい。

「さあ、鈴木くんもおいで」

 教授のあとに続いて、また一つ、また一つと懐中電灯の明かりが増えていく。

 逃げなくては! 僕は疲労困憊した体にムチを打って走りだす。

 背後から明かりと一緒に「待て」と僕を呼ぶ声が聞こえる。もう、何がなんなのかわからない。ただ、わかっているのは逃げなくてはいけないということだった。

 しかし、疲労には勝てなかったようだ。とうとう、僕は木の根っこに足を引っかけ、倒れこんでしまう。

 そして、僕の意識はそこで途切れた……


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