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迷走  作者: まほろば
20歳4月
21/29

仕事



4月になって新入社員が入ってきた。

真新しいリクルートスーツを見ると1年前の自分が思い出されて緊張していた入社式や研修の苦い記憶が一緒に甦った。

あれから…もう1年。

ううん、まだ1年。

全然意味が違うのにどちらも同じくらい自分の中にあって1年経っても全然慣れてない自分がここにいた。

今年の新人研修は人事のベテランが担当するらしい。

人事の仕事を減らしたくて去年初めて総務に研修を任せたのだそうだ。

聞きながら、『人事には回されなかったな』ってぼんやり考えていた。

「これで今年の新人はまともに育つだろう」

係長の嫌味にも取れる言葉を聞き流して聞いてみた。

「新人研修先に『人事』は無かったですけど」

「当たり前だろ。個人情報を扱うんだぞ。身元の確かな少数で異動もない」

隣にいた男性社員が係長に聞き返した。

「総務で給料の振り込みしてるのは良いんですか?」

係長は疲れた顔で男性社員を見て言った。

「お前も新人に混ざって研修を受け直してこい」

はっきりとは教えてくれなかったけど、会社内で個人情報にランクを付けている所は多くて、うちだと社員の家族親族の情報とかが人事の扱いになってランクも有るらしい。

例えば、社員の叔父さんが顧客に居るかとか知っておきたいけど外には漏らしたくない事を人事で扱うそうだ。

会社同士の付き合いから生まれる盆暮れ冠婚葬祭も人事の仕事だそうだ。

それを聞いて、入社する時両親の勤め先を書く欄があったのを思い出した。

思い出してみると納得してる自分がいた。



廊下で新人とすれ違う度に『頑張れ』って応援してた。

「応援する余裕があるんだな」

主任はさわやかな笑顔で私の新しい名刺とバインダーを3冊渡してきた。

名刺には『営業』と部所が書かれていた。

「…え、?」

「挨拶回りに行くぞ」

あわあわしてるうちに担当を3社持たされる事になって挨拶に引き回された。

「次からは1人で行けよ」

応える言葉も何も出てこなくて、涙が出そうだった。

ぎちぎちに緊張して電車を使って顧客を回る。

電車の方が速い所もあるけど、荷物があったりが多いから車じゃ無いときつかった。

車の免許とアルコール対策。

それが私の課題になった。

受け持った3社の担当の方々は最初に飲めないと平謝りしたら『分かった』と理解して貰えてホッとした。

後から主任が手回ししてくれていたのを知って何度もお礼を言った。

内心助けてくれない主任を恨んでいたから、申し訳なさは倍で何回も頭を下げた。

そんな中で、主任の呼び方を顧客に指摘された。

「取引相手に自分の上司を『主任』呼びはいただけないな。(さわ)くんが君をどう紹介したか思い出しなさい」

「はい…」

社内では上司の主任でも、取引先の他社から見れば主任も会社の一員の認識なんだと気付かされた。

『弊社の沢』

「以後気を付けます」

その時は恥ずかしさが先に立って分からなかったけど、後から思い出した時顧客の皆さまに育てて貰えたから今の自分があるんだ、と強く感じた。

顧客を持つようになると社内の仕事の内容も少しだけ変わってきて、今までは雑用も込みだったのがお茶汲みとコピーは2人の女子社員に回されるようになった。



最初の時をまだ強く引き摺ってて、それは彼女たちも同じで、彼女たちの方が『3年先輩』の自負もあるから当たりは今でもきつかった。

またいじめの繰り返しだと主任を見たら、主任は同期の男性社員を助手にして忙しく飛び回っていた。

…主任から手を離されたんだ。

そう思ったらきつかった。

今教えてる人が使い者になってきたら次を指導するのが主任の仕事なのに、その時の私にはそうは思えなくて1人で落ち込んだ。

そこへの意地悪はかなりきいた。

彼女たちの地味なやり方にうんざりしてた時に1人が担当を持つ事になった。

女性の心理の摩訶不思議さで、そうなると何故か2人で争うようになった。

今更だけど、今まで2人が顧客を任されてなかったんだって気が付いた。

2人が営業の中で浮く存在になってくると、自然に私は目立たない存在に戻っていった。

主任と別行動になったのも私の姿を薄くしてくれたんだと思う。



7月になって私の時みたいに新人が数人営業に回されてきた。

これからの3ヶ月弱は半月毎に新人が入れ替わる。

第1陣を何日か見てたけど、始業前に来てる感じが無いので机拭きは今までと同じく私の仕事になった。

去年の自分がどれだけ使い物にならなかったかを新人を通して見せ付けられる。

改めて『給料泥棒』になりたくないと切実に思わされた。

新人と前後して夏のボーナスが出た。

夏の方が少ないって聞いていたのに去年の冬と同じ金額が出た。

これを使って教習所に通おうか。

思ってももし受からなかったら夏のボーナス全部煙みたいに消えてしまうから踏ん切りがつかなかった。

それを踏み切らせたのが顧客を招いた展示会だった。

抱えきれない品物を持たせて返す申し訳なさにお辞儀する頭を上げられなかった。

土日は講習があるから平日の夜に通える自動車教習所を探した。

費用は夏のボーナスより高くて足が出たけどこの先この仕事を続けていくなら免許は必須だ。

免許を取る時、申請すれば会社から助成があると主任に教えられたのは盆休み前でその日に手続きした。

助成金の50000円が銀行に振り込まれてるのを見た時、自分を追い込んでしまった事に気付いて脱力してしまった。

合格して免許取得を届けなければ助成金詐欺になる。

プレッシャーに弱い自分を自覚してるだけに『早まった』って後悔しても取り消しが出来るはずもなかった。



盆休みに、ゆうこちゃんと賢也と3人で飲んだ。

私はコーラで、2人はお酒。

ゆうこちゃんと賢也は気が合った。

楽しさ半減で申し訳無かったけど私は話についていけなくて食べる専門だった。

気持ちに苦い物が混じる。

大学の二の舞にはしたくないと思っても、混ざれない話題じゃ無いのにテンポが速くてどうしても入っていけない。

いつか接待でもこんな場面がある、と分かっていても今は虚しさが強かった。

ゆうこちゃんと賢也は会話も楽し気で弾んでる。

私は存在を忘れられて、そこに居るだけだった。

苦い2時間が過ぎて、お開きになる。

「店を変えようよ」

ゆうこちゃんが言うと賢也が頷いた。

思い出したようにゆうこちゃんが私の方を向いた。

「みずきは?」

「行かない。2人で行って」

賢也の顔色が変わった。

ゆうこちゃんが私を見て言った。

「みずき。営業になったんでしょ。無視されても割り込んでくるくらいしないと契約取れないんじゃ無いの?」

「…わざとだったの?」

「そうだよ。こんな事当たり前にあるから『かまってくれるまで待つ』じゃ契約取れないよ」

ゆうこちゃんの言いたい事は良く分かっていても、まだ周りについて行くのが必死の私には難易度が高過ぎた。

上手く返事が出来ないから頭を下げて、2人の返事を聞く前に店から走って出た。

後から2人からラインが来たけど開けなかった。

開けれなかった。

これ以上何か言われたらもう立っていられそうもなかったから。

受付の意地悪より営業の女子社員のいじめよりゆうこちゃんにされた事の方が何倍も何倍も辛くて、自分の弱さに嫌悪しかなくて涙も出なかった。



最低な夏休み。

あの1日が私を変えたんだと思う。

田舎から出てきて、何も分からない私を小中とゆうこちゃんが助けてくれた。

高校ではあやみ。

大学ではゆうこちゃんと中嶋くんとあやみ。

そして社会人になってゆうこちゃんと賢也。

誰かに頼って生きてきた自分が私を追い詰めた。

1人で立てないならこれからもこんな惨めな思いを繰り返すんだ。

その絶望と焦りが私に『変わりたい』『人並みになりたい』って思わせた。

焦っても私に出来る事は少なくて、資格を取るための勉強と免許を取る事しか考え付かなかった。

企画部の先輩も挫折したって言ってた3つ目を8月の終わりに受けて、まぐれで合格した。

受かって主任や試験担当者も驚いていたけど自分が1番驚いていた。

次の試験はかなり難しい、と先に言われて、『辞めるなら今だよ』と試験担当者に言われてしまう。

やっぱり頼りなく見えるんだ、と思ったら逆に『受かりたい』と思う自分がいた。




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