会社4
それが間違いだと思い知らされたのは翌日だった。
何時ものように少し早目に行って営業の全部の机を拭いた所までは同じだけどその後が違ってた。
昨日の主任が出社してきて朝礼が始まった。
営業のメンバーに私に何処まで教えたのか確認した時の主任の顔は怖かった。
「部長と課長の顔を見てみろ」
主任が営業のメンバー全員に言った。
「自分たちが管理職に査定されていたのも分からなかったか」
場にざわめきが起こった。
「残念な結果だったが、昼前には処分が公示されるだろう」
ざわめきがどよめきになった。
「今回の事では個々のモラルが試された」
主任は営業のメンバーの顔をゆっくり見回した。
目を背ける者、下を向く者、悔しさを面に出す者、100人に近い者の反応は各々違っていた。
主任は営業の女性2人を見て意地悪く笑ったあと私を呼んだ。
「更衣室を使うのは営業だけじゃない」
そのまま私は主任の営業に同行させられた。
主任が運転する車の中で営業が扱う品別の説明を大まかに受けた。
品別に部所が5つに別れていて、私は売り上げが下から2番目の部所に配属された。
その部所の主任が私が付く人だった。
歳は30前後?
中嶋くんに雰囲気が似ていて最初から苦手な括りに混ざっていた。
その主任の後ろに付いて顧客回りをした。
昼に一旦帰社すると膨大な顧客リストを渡され『明日までに覚えろ』とか無茶言われて、それだけでもパニックなのに営業のノウハウまでその日から叩き込まれた。
それからの1ヶ月は所々記憶が欠落してる。
1日がハードで疲れ過ぎてて、どうやって部屋へ帰り付いたのか記憶に無い日もあった。
やっと休みだと思う土日も自分が申し込んだ講習があって、溜まった家事と講習で終わる日々だった。
その1ヶ月で確実に3キロは痩せた。
お昼はほとんど毎日外食だけど主任がしっかり食べる人なので食いっぱぐれる事は無かったしそれは夕食もだったから、減るのも3キロで済んだんだと思う。
週に2日は接待が入っていて、それにも毎回同行させられ商談の駆け引きを教え込まれた。
「引く時と押す時を場数を踏んで覚えろ」
そんな主任の下に居たから、当然営業が終わってからは会社で下準備の書類作成に四苦八苦する毎日だった。
そんな死ねる生活が続いてる所にゆうこちゃんから延びる電話が来た。
「邪魔されて思うような結果が出せなかったの」
悔しそうなゆうこちゃんを励まして電話を切る。
そうなって初めて、1ヶ月過ぎてると実感した。
余裕はまるでないけど鬼の主任に付いていけてる。
それがいつの間にか自分の自信になってた。
それを後押ししてくれたのは2つ目の社内試験に受かった事だと思う。
主任から『合格』の通知を手渡された時は泣けた。
達成感もあったけど、私でも出来た、って気持ちが強くて次に進むエネルギーになった。
「使い者になってきたな」
そう主任から言われて飛び上がりたいほど嬉しかった。
その頃から私に対する周りの態度が柔らかく変わってきてたけど、鈍い私がその変化に気付くはずもなく怒られないようにするだけで精一杯だった。
それには異動当日の公示も大きく関係してると思う。
公示の内容は個人のロッカーを水浸しにした受付の女性への賞罰で『3ヶ月の減俸』と、その後に管理責任として受付の課長の『減俸』、父親である秘書課の課長のへの損害賠償請求が記載されていたそうだ。
あの日は公示を読む余裕すらなくて、笑い話しになってから同期の1人に聞かされた。
最初はあったグループラインへの嫌味な書き込みも、読む余裕が無いのが幸いしてそれ以上傷を抉られる事は無かった。
「時間に余裕が出来たら車の免許を取れ」
顧客回りにはどうしても足がいる。
今のように助手席に乗っていては顧客を任せられない、と主任から恐ろしい事を言われた。
「…無理、無理です」
「営業になれば3ヶ月過ぎたら自分の顧客を持つんだぞ。まさかタクシーで回り歩くつもりか?」
主任から呆れたように言われて焦って聞いた。
「電車じゃ駄目ですか」
「お前なぁ」
「すみません…」
主任に言われても車の教習に行ける時間もお金の余裕も無くて、極力その話題から逃げた。
逃げても逃げ切れるはず無くて、主任の脅しに胃が傷んだ。
「年度が変わったら顧客の担当をやらせるから準備しておけ」
主任に言われても何を準備すれば良いのか、まるで分からない。
困って見返せば横目で見ながらも教えてくれた。
色々言われて懸命にメモした。
「全部とは言わないがせめて自分なりの顧客リストを作るくらいはしろ」
「はい…」
「後自分の酒量をわきまえておけ。顧客の接待は基本お前1人で受け持つ。今までみたいに飲めないでは済まないからな」
「…はい」
ゆうこちゃんに家で飲めるか聞いてみようと本気で思って、忘れる前にゆうこちゃんにラインを入れた。
ラインの返事は翌日に着て次の金曜の夜に家で飲む約束をした。
急な飲みの誘いに理由を聞かれても上手く説明できなくて、会った時に話すと返事を返すしかなかった。
担当の顧客を持たされる前に主任の下で1つでも多くの事を学びたい。
1日の時間が倍欲しかった。
「なるほどね。顧客を持つなら接待は避けては通れないからね」
ゆうこちゃんは頷いて一緒にスーパーへお酒とつまみを買いに行った。
ビールにワインとウィスキー、棚にもっとあったけど日本酒は止めておいた。
味見してみてビールは苦いだけで美味しくなかった。
ワインは渋いか酸っぱいかで何でこれが美味しいのかと思ってしまう。
ウィスキーは薄めたら何とか飲めた。
これを美味しいとか信じられなかった。
「大半最初はビールだよ」
「そう言えば会社の飲み会でもみんな最初ビールで乾杯してた」
「その後は好みかな」
ゆうこちゃんはワインよりウィスキーが多い、と教えてくれた。
「年配の方は日本酒を選ぶ人が多いからね。最初の一口は飲まなきゃかもよ」
「はぁ…」
コップの液体を舐めながら自然にゆうこちゃんの話の聞き役になった。
「ほとんど女だけの社会だからね。やる事も陰湿でさ、一昨日なんて出品する作品の型紙が燃やされて大変だったんだよ」
作品の横に型紙も並べる事になってたからおおもめだった、とゆうこちゃんはご機嫌だった。
「なくなる前に1度先生に見せてたから『故意の紛失』でみんなも探してくれて、先輩が燃やしてるの見た人が居たりして先生に注意されたんだ」
ゆうこちゃんはこれで邪魔は少なくなるって笑顔だった。
「半年後は絶対受賞して見せるから、もう少し頑張ってて」
ゆうこちゃんのやる気満々の顔に頷いたけど、営業が面白くなり始めてる自分も私の中に居て、迷いが生まれていた。
ちびちび飲んでいると段々体が痒くなってきて熱が出てるみたいな感じになった。
痒くて困っていたらゆうこちゃんが慌てて病院に行こうと言い出して、休日診療の病院へ行ったらお酒のアレルギーだとあっさり言われた。
「今日の所は入院するほどではないが、飲む度にアレルギー反応は強く出るようになるから極力飲まないように」
最悪生死に関わると脅かされしまった。
「生死に関わるって、どうなるんですか?」
ゆうこちゃんが真剣な顔で聞いていた。
私は…脳が理解するのを拒否していてゆうこちゃんに掴まって立ってるのがやっとだった。
「呼吸困難になる。細かく説明してもその様子じゃ聞くのは無理だろ」
先生は私を見て決め付けるように言った。
分かった事はただ1つ。
『お酒飲んだら息が出来なくなって死ぬ』
それがぐるぐると頭の中をずっと回っていた。
幸い顔には出来なかったけど首から下に10円玉くらいの水ぶくれがボコボコ出来て翌日まで痒かった。
「主任に言いなよ『調べたらアルコールアレルギーでした』って」
「…怒鳴られそう」
「死ぬよりいいでしょ。ちゃんと言うんだよ」
ゆうこちゃんの『死ぬより』にビビって連休明け1番に報告した。
「アルコールアレルギーでも飲ませる顧客は多い『車なので』の逃げも使えない。お前なりに飲まない理由を考えておけ」
主任は面倒そうに言って話を終了させてしまった。
飲めない理由なんて簡単には思い付かない。