会社2
仕事が始まって、パソコンで調べたら社内の昇級試験はいくつもあった。
入社した時資格の説明をされた記憶がなくて、席が隣の3年先輩に勇気を出して聞いたら講習費自分持ちの自主参加だと教えられた。
「驚いたな。まさかみずきから聞かれるとは思ってもいなかった」
先輩は本当に驚いた顔をしながらも教えてくれた。
講習は主に土日で8回10000円。
受けるだけで合格する物と講習の後の試験に受からないと駄目なのの2つがあって、どちらも8回の内7回受けないと最初からやり直しだった。
「この2つが受かったら次の資格に進める」
講習と試験は段階毎にあって、段々難しくなる、と先輩は言った。
難易度が上がると受講料も上がるらしい。
その分給料が上がるから受講料は苦にならない、と言いつつ先輩は苦笑いの顔になった。
「俺は3つ目で挫折した」
「…難しいですか」
恐る恐る聞いたらあっさり頷かれた。
「試験の事書いてないですけど…入社の時も言われなかったです」
入社説明会で貰ったパンフレットを見せた。
「向上心がある奴はお前みたいに自分から調べる」
「え?…ぁ…」
言われてみて、ああ確かに、って思った。
内心自分じゃなくてゆうこちゃんだ、って思ってたけどそれを先輩には言えなかった。
「給料が上がるには、って思っただろ」
「はい…」
素直に頷けないけど先輩の手前頷くしかなかった。
「俺もそうだった」
先輩は可笑しそうに笑って教えてくれた。
「良いか。向こうから聞いてこなければ教えるなよ」
「…はい」
その日に両方の講習を申し込んだ。
仕事をこなしながら、気になる事は先輩に聞いた。
お給料分の働きはしたい。
気付くの遅いんだけど土日の午後を講習に取られるのは思ったより問題で、今までの休日のような時間の割り振りじゃ家事が終わらないし休みの感じがしなかった。
そんなある時社食でお昼を食べていたら、受付の制服を着てる女性3人に囲まれた。
「あの人は彼女の彼氏なの。ベタベタ付きまとわないで。彼も迷惑がってるわよ」
突然すぎて動けなかった。
彼女たちが言う彼はきっと先輩の事だと居なくなってから気が付いた。
新人研修の時が思い出されて震えがきた。
誤解が解けないうちはきっとまたやられる。
食欲も失せて顔を上げれば周囲の視線が『泥棒猫』って私を責めていた。
気持ちがズタボロで3時休憩で賢也にラインした。
『話せるかな』
打ちながら泣きそうになってた。
賢也の返事は直ぐに来てその日の夜に待ち合わせた。賢也の顔を見たら我慢出来なくてぐだぐた愚痴った。
時間が時間だから待ち合わせは居酒屋で、賢也は飲んだけど私はアイスティーで食べるの専門だった。
「災難だったな」
言いながら賢也はにやにやしていた。
「真面目に聞いてよ」
もう半泣きで言い返す。
今日は周りからの視線にも睨み返せた。
「鎮静化するまで待つしかないだろ。相手の確認出来てないんだろ?受け付けに行って否定する勇気がないならそれしかないな」
お手上げのポーズでお酒を飲む賢也が憎らしかった。
飲んでも絶対酔わないなら私も飲みたいくらい。
大学のコンパや会社の歓迎会で酔い潰れた人をたくさん見てるから、自分はああなりたくなかった。
「あの中学の子に1度家飲みで付き合って貰えよ」
「ゆうこちゃんに?」
「断れない接待もこの先出てくるんじゃないか?」
「…うん」
この時は半信半疑だったけど賢也のこの言葉が後から私を救ってくれた。
賢也に愚痴を聞いて貰って気持ちはリセット出来たはずなのに、いざ会社に行くと受付の敵意を含んだ目が苦しくて社食に行く勇気も無くなってしまう。
廊下でわざとぶつかってきたり、更衣室で聞こえるように言われたり、ロッカーを荒らされていたり日毎にいじめはエスカレートしていった。
土日の講習も上の空で、でも何かしないでは怖くていられなくて、無駄に掃除洗濯して冷凍庫と冷蔵庫の常備菜を入るだけ作った。
5日間頑張ったけど、ロッカーの中を水浸しにされて心が折れた。
暴力に訴えられたら…。
思うだけで体が震えた。
脳裏に広太に襲われたあの日の光景が甦りただただ逃げ出したかった。
ボーナスと僅かな貯金をはたけば引っ越せる。
それが救いだった。
…辞めよう。
最後の手段は『退職届』だと覚悟して翌朝書いた物を持って出社した。
ロッカーに寄る勇気も無い。
真っ直ぐ企画部に行ったら入った途端みんなの目が一斉に私に向いた。
!
逃げ出したいのに足がすくんで動けない。
「説明してくれ」
係長が私が来たのに気が付いて聞いてきた。
「…ぁ…の…」
動揺で言葉が声にならなかった。
「君のロッカーを荒らしたのは誰で、荒らされた理由を私に分かるよう説明してくれ」
私が動けないでいると、
「君の下のロッカーを使っている者からロッカー内が水浸しだと苦情が来た。本人不在で悪いと思ったが確認に君のロッカーを開けさせて貰った」
あの惨状を見られたのかと思ったら震えがきた。
「社内トラブルか?」
決め付けるように言われても声が出なかった。
「それって先週の事件に関係あるんじゃないか?」
「事件とは何だ?」
私の後ろから来た太目の先輩が言って、係長がその先輩に聞く。
「社食で受付の女3人に囲まれてたんだよな」
別の人が『知り合いか?』と聞いてきた。
小さく首を振った。
受付の単語で先輩が眉を寄せて私を見てきた。
「まさか、俺のせいか?」
うんとは言いにくいから黙っていた。
「何だ?お前のせい、とは何だ?」
係長が先輩の前に歩いた。
その顔には面倒を起こしやがって、って書かれていた。
「先週彼女と別れて…」
先輩は言いにくそうに語尾を濁した。
「それでは分からんぞ」
先輩は言いにくそうに話し始めて、最近まで受付の彼女と付き合っていた話と、段々我儘が多くなりそれが嫌で先週別れた話をした。
「別れた時に次を見付けたから別れるのか、となじられて、言っても無駄だと訂正もしなかったんだが、昨日の帰り俺を見て意味あり気に笑ったんだ」
目を背けて『新しい彼女に間違えたのかも』と先輩が言うと、みんなの目がまた私に向いた。
「本当なのか?」
「しゃ、社食で受付の3人に…」
答えるしかなくなってそこまでやっと声に出したら、先輩が大きなため息を付いてしゃがみ込んだ。
「まさかそこまでやるとはなぁ…」
先輩の脱力してる声が漏れた。
「本人に確かめよう」
係長は行き掛けて、足を止めると振り返った。
「お前たちは付き合っているのか?」
「いませんよ」
先輩が嫌そうな顔できっぱり否定した。
『そりゃそうだろ』
『受付のあの美人と田舎臭い新人じゃな』
『据え膳でも遠慮だよな』
少し離れた所のひそひそ話が聞こえていて、私は顔を上げられなかった。
「係長。彼女は秘書課の課長の娘さんです」
先輩が慌てて言った。
「何っ」
係長の顔には『俺の昇進が』と書かれている気がした。
書いてある『退職届』を鞄に入れたままその日の仕事は終わった。
ロッカー水浸しの話しは係長が言うより速く受付の女性の父親に伝わって、昼には謝罪をするからと係長と一緒に課長室に呼び付けられた。
受付の女性も呼ばれていて形だけの謝罪を受けた。
「本当に付き合ってないの?」
じろじろと遠慮の無い視線に敵意が見え隠れしてて、嫌々の謝罪に怒りが沸いた。
「無いです」
「後から嘘だって分かったらただじゃおかないから」
父親の課長は女性を止めようともせず係長に『もっと上手く運べなかったのか』と文句を言っていた。
悪いのはあなたの娘さんなのに…。
分かっていても現実の理不尽さに泣きそうだった。
その時の私は病んでいたんだと思う。
何も考えたくなくて、1日中動いてた。
こんな思いをしても生活があるから『辞めます』とはやはり言えなかった。
今朝の『辞めよう』と思った気持ちも本当だけど辞めずに済むなら生活を取るのも同じ気持ちだった。
お金を貯めよう。
もしまた同じ事があったら…きっともう耐えられない。
その時辞めても困らないようにしたかった。
賢也に愚痴ろうとして…ラインを送り掛けて辞めた。
忙しい賢也をこちらから連チャンで呼び出す勇気は…無いもの。