07 仮初の恋人
日が落ちてくると、初夏とはいえ少し気温が下がり寒暖差を感じられた。
住宅街といった風情の閑静な街並み。
その中の建売住宅の一件、父母と自分の3人家族の住む平凡な2階建ての家屋。
花菜はそんな自宅の玄関を、今日は内から溢れる熱気を纏い少し汗ばんだ状態でくぐった。
それが興奮から来るものなのか、緊張から来るものなのか自身でも分からなくなっていた。
自室に入り着替えると、花菜はベッドに横になった。
今日一日で、なにがあったのか分からない。
自身が迂闊であったのは確かだ。
いくら日頃人の出入りがない家庭科準備室とはいえ、気を抜きすぎていたと言わざるを得なかった。
イヤホンをして音声を聞きながら少しのめり込み過ぎた状態になっていたのは、悪かったのではないかと今でも反省している。
「恋人……か……」
花菜は天井を眺めながら、気だるげに呟いた。
嘘のようだった。
いや、実際には嘘なのだろう。
仮初の関係なのだから。
(気持ち悪くないって言ってくれた……)
だが、花菜はそれでいいのだろうかと自問自答が頭から離れなかった。
そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡っていると、スマフォがバイブレーションと共に通知を知らせる音が鳴った。
点灯した画面を覗き込むと、先程登録したばかりの響からメッセージであった。
花菜は何故か居もしない響の幻覚でも見るように、寝ている状態からバッと飛び起き思わず正座して居住まいを正してしまった。
スマホを両手に持ち、メッセージを確認する。
《今大丈夫?》
響からのメッセージというだけで、少し舞い上がりそうになる。
連絡先を交換したのも夢ではなかったのだ。
落ち着いて、《大丈夫だよ》と返信する。
「えへ、えへへ……」
自身で少し気持ち悪いかもしれないと分かっていても、自然と笑みが零れてしまう。
そんな時間も束の間、通話を示す通知音が鳴り響いた。
「へっ?」
花菜の戸惑いを他所に、通知音は鳴り続ける。
(ど、どうすれば……)
正直、響の声が好き過ぎて通話など耐えきれる気がしない。
今日だって面と向かって話しただけでも緊張や会話内容が剣呑なものでなければ多幸感でおかしくなっていたかもしれない。
(それでも、待たせるわけには!)
決心した花菜は、通話ボタンを押下した。
「も、もしもし」
『結構時間かかったけど。何かしてたの?』
「その……通話に出る、勇気が……」
『勇気って』
そう言って朗らかに笑う響の声が、スマホのスピーカーから聞こえてくる。
「ど、どうして通話なの? メッセージでも良いんじゃ……?」
『だって、私の声が好きって言ったのは花菜だよ』
「ああぅ……!」
完全に墓穴である。
嬉しくないと言えば嘘になるが、耐えられるかどうかは別であった。
花菜は録音した響の声を執拗に聴いていた程の声好きである。
少し声にフェティシズムを感じると言っても過言ではないだろう。
むしろ、そうなるように自身を仕向けてきた傾向すらある。
しかも今回は今までの録音した荒い音声ではなく、クリアな音声がスマホから流れている。
『花菜にも悪い話じゃないって言ったのは私でしょう?』
「それはそうなんだけど、やっぱり急なことで……」
『できるだけ、無理はさせないから。私、本当にこっちで素で話したりできる相手が欲しくってさ』
響の言った通り、恋人……というのは名ばかりで響と話したり構ったりの関係なのである。
それは空き教室で、事前にも説明を受けていた。
『花菜は私の彼女なんだから、できるだけでいいからさ……おねだり聞いてね?』
だが、花菜はその関係でも十分幸せを感じられていた。
自分が響の彼女というのは、やはり改めて言葉にされるとなんと甘美な音色なのだろう。
(頑張れそうな気になっちゃう……)
そもそも自分は強要されているのだ。
逆らえないのだと更に考えを巡らす。
そんなことを思考しながら、花菜は甘い果実に安易に手を伸ばしてしまう。
「う、うん……。よ、よろしくお願いします……。精一杯、頑張るね……!」
手を伸ばしてしまった。
『アハハ、よろしくね』
響もその手を取ってしまう。
『まずは、お菓子ありがとう。美味しかったよ』
「本当? よかった……」
渡したお菓子が褒められたことに花菜は安堵した。
何分慣れているとはいえ、少々上の空であった。
そして、安堵と共に暖かい感情が胸から溢れるのも感じていた。
『あ、あと学校は今まで通りでいいから』
「うん……」
急に学校で二人が親しげにしたりしたら、流石に不自然であろう。
特に響は学校では素を隠して優等生でいるのだから。
『こうやって通話やメッセージに付き合ったりして欲しい』
「うん」
『花菜もなにかしたいことがあったら、言ってくれていいよ。私ができることなら、叶えてあげるよ』
「えっ⁉」
響からの思いがけない言葉に、花菜はたじろいでしまう。
一方的な関係になると考えていたのだ。
『なにも私だって、そこまで鬼じゃないから。あっ、私ができることだからね』
そう言って、響はまた笑った。
「あの……こうやって、お話できるだけで……。私は、今凄く幸せなので……」
心からの言葉だった。
むしろ、キャパオーバーでどうにかなってしまいそうになっている。
『なら、やっぱり通話してよかった。私も花菜と気を張らずに話せて嬉しいよ』
「はあああぁぁっ……!」
花菜は思わずといった吐息が漏れてしまった。遂に想いが決壊してしまった。
『ど、どうしたの?』
それを受けて響も想定外と言った声をあげる。
「幸せ過多です……。急な接種で……無理です……」
『アハハッ、なにそれっ!』
そんな響の笑い声に対して花菜は得も言われぬ多幸感と共に、言い表せないような切なさが混在していた。
『あっそうだ、私のことは名前で呼んでね。彼女なんだから。どうせ一人のときは呼んでたんでしょ?』
「見てきたかのように言わないで⁉」
花菜は思わず部屋を見まわしてしまった。
何故この少女は、こうも的確に花菜のことを分かっているのだろうか。
『ほらほら』
「…………。ひっ……響ちゃん……」
促されるままに響のことを呼ぶ。
『ちゃん付けかぁ……。うーん……呼び捨てでもいいんだけど』
「そ、それは勘弁してくださいぃ……」
響は何か思うところがあったのか呼び捨てを提案するが、花菜はそもそも下の名前を呼び捨てになどした経験がない。
『まぁ今日のところはそれでいいか。それじゃあ、これからよろしくね』
「うん……」
そんなやりとりを経て、二人の関係は始まった。




