06 秘密の関係
夕刻、調理部の部活動が終わった時間。
人もほとんどいなくなった校舎の中。
遠くからはまだ終わっていない部活動の声が聞こえてくる。
放課後、花菜は響から空き教室へと呼び出されていた。
花菜はあの事件のあと不安で頭がいっぱいで、授業も部活動も碌に手につかなかった。
授業はもちろん調理実習だったのだが、これをなんとかできたのは日頃から調理を行っている技術の賜物だろう。
部活動も、同様であった。
調理部は毎日ある部活動ではないのだが、こういう日に限ってあるのであった。
空き教室は離れの棟にあるクラスの余った教室である。
時間もあり、本当に周りに人は一人も見受けられない。
これといったことも無いので、特に施錠はされていなかった。
花菜はそっと空き教室に入ると、窓もカーテンが閉め切られた部屋の中で響が一人立っているのが見えた。
花菜を待つ間読んでいたのか、片手には参考書が見て取れた。
響は花菜が来たことに気付くと、手をあげて開いていた参考書を閉じる。
学生鞄にそっと戻すと、すたすたと花菜に近付いてくる。
「こんな暑くて埃っぽいところでごめんなさいね」
空き教室特有の埃っぽさがあったが、それほど気にはならなかった。
寄せられて積まれた机や椅子が、少しだけずれている。
誰も入ってないわけではないようだった。
休憩時間に少し利用されているのだろうか。
少しだけでも掃除されているのかもしれない。
「ううん、私は大丈夫……」
「そう」
「あの、これ……部活動で作ってきたんだけど……。お菓子です……どうぞ……」
そう言うと、透明なビニール袋に簡素にラッピングされた手作りのクッキーを差し出した。
「あら、いいの? というか、まさか袖の下なのかしら?」
「はい、いえ……そのあの……はいぃぃ……」
「フフッ、そんな馬鹿正直に」
なんとも言えない表情で答えた花菜に対して、響が笑った。
響の纏う雰囲気が違う。
いつもは優等生然とした微笑を携えているのに、今は気を張っていない顔で笑っていた。
正直花菜は、そんな顔にドキドキしっぱなしである。
「実習見てたわ。相原さん、料理上手だものね。貰っておくわね、ありがとう」
そんなことを笑顔で言われて、花菜は状況を忘れてドキッとしてしまった。
だが慌てて身の上を思い出して、緩みそうになった気を引き締める。
一連の仕草を見て、響は笑みを深めた。
「改めて、聞くね」
花菜は、響の言葉を受けて居住まいを正す。
「相原さんは本来女性が好きで、その中で私のことが好きなんだよね?」
「あのぉ……そのぉ……」
確信を突かれて、花菜は言葉を紡ぐことができない。
なぜそこまで的確なのかと恨めしくすら思う。
どうやら袖の下は機能せず、手心は加えてくれそうになかった。
そして、響の口調が砕けたものになっている。
そのギャップも気になって、猶更頭が回らない。
「だから……この場合、答えに窮したら答えているのと同じだから。否定したところで、状況証拠が揃い過ぎているけれど」
正論は時として残酷だった。
ハッキリ違うというのは簡単なのだが、事前の証拠を否定する材料を花菜には見付けることができずにいた。
「ううううぅ……」
思わず呻き声が口から漏れ出る。
「じゃあ相原さんは、今誰とも付き合ってはいない?」
「は、はい……」
「ということは相原さん……いえ花菜さんは私とお付き合いして、あんなことやこんなことしたいってこと?」
「えっ、いや! そっ、そんな! あっ、あんなことって⁉ こんなことって⁉」
響に急に下の名前で呼ばれてしまうだけでもかなり破壊力が凄かったのだが、唐突に踏み込んだ質問が来た。
「今考えたみたいなことだよ」
揶揄うような微笑で、響が告げてくる。
確かに花菜の脳裏には、様々なことが過った。
「いっ、いいえっ! かっ……考えてませんけど⁉」
だが、ここは否定せねばならなかった。
咄嗟のことなので、どもってしまって説得力は皆無に等しい。
「本当かなぁ?」
「本当ですっ……!」
今度は即答で返したが、居直ったようにしか聞こえなかった。
「えぇっ花菜さんってばエッチなんだ」
「えぇっ……ちっ……ちがっ……」
響の冗談めかした攻める言葉に、花菜は思わず赤面してしまう。
「花ぁ菜ぁさぁぁん、このことは誰にもバラされたくないんだよね?」
響は素振りを変えずに、
顔面が赤面から一瞬で青ざめる花菜。感情がジェットコースターのように振り回される。
そして、何度も何度も頭を縦に振った。
「じゃあ、バラされたくなかったら……」
花菜はゴクリと唾を飲んだ。
「私と秘密の恋人になって欲しいんだ」
「へ? なんて?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
感情の振り幅が追いつかなかった。
花菜は、響の提案がなに一つ理解できずにいた。
「なんて言ったらいいんだろ。疑似恋愛ではないし……。仮初の恋人? になって欲しいわけ」
「いやいやいやいや、それでも分からないよ⁉」
説明不足が押し寄せてきているのだけは、花菜にも理解できていた。
「気付いてるでしょ、さっきからの私」
そう言いながら、響は自分の両手を挙げてみせた。
確かに日頃の優等生の響と違って、先程から砕けた口調で話している。
「本当は素はこっちなの。こっちの私に付き合って欲しいの」
「で、でも……だからって恋人って……」
「それに付き合ってもらうってなったら、花菜は私とだったら友達より恋人の方がいいでしょ?」
自然に呼び捨てにされて、花菜の心臓が高鳴っているのが分かった。
「う……あ……うぅ……」
隠し……諦めていた物なのだから、仮初の物だとしても甘美な誘惑でもって花菜を刺激した。
「それに、嘘でもなってもらうなら恋人の方がなんかお得じゃない?」
響が軽い気持ちで提案を持ちかけてきているのは分かった。
だが、その前にどうしても確認しておかなければいけないことがある。
「芳川さんは……その……。私のこと……気持ち悪くないの?」
「? なんで?」
「だって……その……女の子が女の子好きなんだよ……。おかしいでしょ……?」
花菜は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ああ、そりゃそうか。だから隠したいんだもんね」
本当に考えてなかったかのような響の受け答えだった。
「うぅん……私は、そんなことないよ」
あっさりとした否定。
響が考えるような姿勢は取ったものの、直ぐに答えを出していた。
「私が特別そういうのに寛容ってわけでもなし……。うん、でもこれはデリケートな問題だからぶっちゃけろとか気軽には言えないか……」
考えたのも、どちらかというと理由に関してのことのようであった。
「でもこれだけは言えるよ、私は大丈夫だってこと」
響は花菜の目を見て、自然体で真っ直ぐに答えた。
「だから、花菜にとって悪い話じゃないって言ってるでしょ?」
「うぅ……あぅ……」
その答えを受けて、花菜はたじろいでしまう。
「それに、花菜に拒否権は元からないからね……」
悪戯っ子の笑いを浮かべながら、響は花菜ににじり寄った。
「私は、これから花菜の秘密を盾にお願いするわけだからさ」
響はそう言い放つと、ニヤリと笑みを深めた。




