105 花の音
花菜と響の二人は最後のアトラクションであった観覧車を乗り終え、園内のショップに寄ってお土産を購入すると出口までの帰路に就いていた。
ショップから程ない距離にある園内の出入口は、直ぐに二人の前に姿を現す。
フリーパスを返却しゲートを潜ると、二人の遊園地は終了してしまった。
「楽しかったねぇ」
「そうだね」
遊園地から外に出ると、花菜は夢から覚めたような感覚に捕らわれた。
物悲しいような、感傷的な感情が流れ込んでくる。
緑が濃い夏の夜の空気と、ゲートで隔てられた園内の様子がそれを掻き立てているのかもしれない。
同様に帰路に就く人影もちらほら見受けられたが、園内はライトアップされてまだまだ盛況な様子であった。
響も立ち止まって園内の様子を眺めていた、花菜と同じ気持ちなのかもしれない。
だが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「帰ろうか」
丁度花菜が踵を返そうとした瞬間に、響がそう言うと手を伸ばしてきた。
手を繋いで歩こうというのだろう。
「ダメだよ響ちゃん。ここはもう園内じゃないんだから、手は繋がないの」
「ちょっとぐらい、いいんじゃないかな。園内でも誰も気にしてなかったし。指絡めなくて、普通に繋ぐだけだから」
「だぁめ」
手を繋いで歩くのは、今日という遊園地デートの特別なこと。
だから、外に出てしまったらおいそれとは繋がないのだ。
響は懸命に譲歩案を提示するが、花菜としてはそれも却下だった。
「花菜の意地悪……」
「響ちゃんが、我儘なんだよぉ」
そんなことを話しながら、二人の足は遊園地から遠ざかって行く。
手を繋ぐことはないが、離れることはなく寄り添いながら。
「花菜はその……。キャパは大丈夫だったの……? むしろ、私の方がヤバかったんだけど」
「特別な日だから、頑張ろうって気持ちがあったからかな? だからね、頑張れたんだよ」
「それは……。ありがとう……」
今日の花菜が特段スキンシップに関して積極的であったからであろう。
響が花菜のキャパシティに関して、疑問を投げかけてくる。
花菜としても、実際はいっぱいいっぱいであった。
特別な一日にしたいという強い思いと、正式に付き合ってからの初めてのデートという独特の空気感が花菜の心を強くさせたのかもしれない。
でなければ、今日のようなことができたとは考えられない。
今思い返すだけでも、心がフワフワしてしまう程なのだ。
「だから明日からは同じようことは、その……あんまり期待しないでください……」
「えっ、無理だよ……。私の中の期待度、上がっちゃったよ……」
「ええーっ……」
どうやら、本日で響の中の花菜に対する期待が膨れ上がってしまったようであった。
とんでもないお願いごとが飛んで来るかもしれないので、心を強く持たなくてはいけないと花菜は決意を新たにするのだった。
「でもさ……」
「なぁに……?」
「私の家に来てくれる花菜を待ってる間に、炎天下の中ランニングしてたらどうなるのかなってちょっと考えたことはあるんだ」
「ひっ! えっ、それは……ええっ……そのっ……! やっ、やめよう! 危ないよ! あっいや、その……熱中症が!」
決意を新たにしている側から、響がとんでもない爆弾発言を花菜にしてきた。
今日のデートの余韻はどうなってしまうのだろう。
花菜はしどろもどろになりながら、響を止めることしかできない。
そんなことをされてしまうと、花菜は様々な衝動を止められる自信が無くなってしまう。
「花菜から積極的に色々してくれるのが、こんなにいいものだったなんて……。想像以上で……」
響が蕩けたような視線を花菜に向けてくる。
その蠱惑さに魅入って足を止めてしまいそうになるのを、花菜は必死に耐えて歩を進めた。
「特別! 特別な日だけのヤツだから……!」
「ええーっ……」
今日の大胆だった花菜は、特別なものなのだと言い含める。
もちろん、それに対して不満の声が返ってくる。
「それだけじゃなくってさ。なんだか特別な一日が終わるって、寂しいものがあるね」
「うん……」
明日からも響との毎日は続いていく。
だが、付き合い始めてから初めてのデートは今日という日だけなのだ。
それが終わってしまうというのは、なんとも寂寥感を感じさせた。
暗くなった帰り道、二人で歩いていると夢と現実の境目に居るような錯覚を覚えた。
「もちろん、私にとっては花菜と一緒に居られるのは特別なことだよ?」
花菜にとっても、響と居る毎日は奇跡のような時間であった。
「でもそっか……。特別な日を増やせば、花菜が大胆になってくれるのか」
「えっ、そんな。決してそんなわけでは……」
「記念日とかは、カレンダーに入れてメモしてあるけど一年後だからなぁ……。ちなみに、今日は付き合ってからの初デート記念日」
「それきっと、お付き合いした記念日も入ってるよね? 近くない?」
「もちろん入ってるよ、なんなら花菜と出会った日と正式に付き合う前のデートの日も記念日にしてるよ」
響が決めている記念日は、現状六月と七月に集中している。
どうやら、響の方が記念日に関してはうるさいタイプのようであった。
花菜としては、それにしても多いように感じてしまう。
だが、響からの執着が感じられて少し嬉しくもあった。
こんなことを言いつつ花菜とて、付き合った日はスマホのカレンダーに年単位で繰り返しリマインドしてある。
花菜は帰ったら、後でこっそりカレンダーに覚えている範囲の出来事をリマインドしようと密かに心に決めるのだった。
「でも、そんなに記念日が多いと、ありがたみが薄れちゃわない?」
「付き合って一年ぐらい経ってさ、記念日って言い始めるじゃん? まぁ、お祝いはするわけさ」
「そうだねぇ」
花菜は今が幸せ過ぎて、一年後も響と一緒に居られる幸せに想像が追い付かない。
実際に訪れる現実の方がきっと、花菜の思い描く未来図よりずっとよいものなのだろうから。
目の前の愛しい人が、それを話してくれている。
未来を約束してくれている。
「それだけでも、十分嬉しいんだよ。それにプラスしてさ。私達も進展してるだろうし、ちょっとエッチなお願いも通るかなって思って」
「えっ、多いのは下心からなの⁉」
未来を約束してくれていた恋人が、花菜の身体を目的としていた。
「というのは冗談で、花菜とたくさんお祝いしたいからだよ」
「本当ぉ……?」
ふざける響に、花菜は怪訝な視線を向けてしまう。
今迄の前科から、信用度が低い。
だが、たくさんお祝いしたいという言葉の信用度も今迄の行動から信用度が高い。
二律背反が成立していた。
「本当本当。でもまぁ……私が花菜に常日頃から下心を抱いているのは事実だから、なにも否定するところではないよね」
「あれ、本当じゃなかったの? なんだか、開き直っちゃったよぉ?」
響は遂には花菜に対する下心に対して、開き直る発言をしてきた。
花菜は響が自分を求めてくれている言葉に、こんなことを言いつつも呆れるでもなく喜びを感じてしまう。
なんとも歪だとは自分でも思っているのだが、感情は止められなかった。
「どっちも本当ってことで」
「釈然としないよぉ……」
不貞腐れたように言う花菜がおかしかったのか、響が笑う。
それに釣られて、花菜も笑った。
二人はそんなことを言い合いながら、笑い合いながら歩いた。
「ねぇ、響ちゃん……」
「なに?」
「私ね、今から記念日が楽しみ」
「私だって楽しみだよ。花菜のあられもない姿を想像するだけで、ドキドキが止まらないよ」
「認識の齟齬⁉」
「ごめんごめん、私の中のパトスが先走り過ぎた」
なにを想像していたのか、響が謝罪してきた。
花菜は少し、自分の身体を響から守るようにして腕を回す。
しかし、どんな姿を想像されていたのか少し興味があった。
そこは、相原花菜である。
「そうじゃなくて、一年先まで一緒に居てくれる約束をしてくれてるのが嬉しいの。だから、凄く楽しみに思えるんだぁ」
「なんだ、そんなことか。それなら、一年じゃきかないよ? 二年後だって、そのずっと先だって、この日をお祝いしてもらうんだから。覚悟してもらわなきゃ」
花菜はこの響の言葉が嬉しかった。
隣に居てくれる恋人が、自分とずっと一緒に居てくれる。
それを改めて言葉にしてくれることが、こんなに心に安心感と充足感を与えてくれるとは思ってもみなかった。
「私達って短期間でこんなに変わったのに、一年後なんてどうなってるんだろう?」
「今よりも、ずっと仲よくなってるよ」
「ええっ、これ以上に?」
「これ以上に」
今ですら、惜しみない愛を注いでくれる愛しい人。
その愛が、今よりもっと大きくなると言う。
花菜はかつて、響を遠くから想うだけで幸せだった。
花菜はかつて、響を遠くから見詰めるだけで幸せだった。
今の花菜には、想像も付かないような未来。
ただ花菜もそれに応えて、もっともっと愛を返したいと思った。
そうすると、もっと響が幸せになってくれるように思えた。
幸せな未来に思いを馳せながら歩いていると、駅が見えてきた。
電車までは、まだ余裕があるので、二人は歩みはそのままに改札を目指して歩く。
花菜は、この地を去る名残惜しさを改めて感じていた。
夢から覚めるような思い。
だが隣の響に目をやると、夢はまだ続いていくのだという感情が湧いてくる。
大好きな人が隣に居てくれるという夢が。
初めてのデートという特別な一日は終わってしまう。
けれど、大好きな人と過ごす明日からの日常もきっと特別な時間。
きっとそこにも忘れられない思い出が詰まっている。
非日常の特別と、日常の特別。
それを積み重ねていきたいと思った。
毎日毎日を忘れたくないと思った。
そんな日々を、いつか一緒に笑って振り返れるような。
二人でこれからも歩んで行きたいと心に芽生えて、咲いた花。
ああ、音が聞こえる。
花の音。
これにて第三章終了になります。
ここまでお付き合いいただいた方がいらっしゃったのならば、本当にありがとうございます。
いつもはエピローグですけど、タイトル回となります。
急にタイトル回収するじゃんとなったと思いますが、私も思いました。
ここに収束させるためのタイトルなのかと言われると、そういうわけではなく……。
なんか書いてたら、勝手に回収されました。
物語って生き物なんですね。
終わりっぽく見えますが、そんなことはなくまだ続いていきます。
拙い作品ではありますが、まだ続きを楽しみにしてくださる方がいらっしゃるのであれば幸いです。
引き続き、また第四章でお会いしましょう。
二人の夏休みは、まだまだ続いていきます。
当初の箱書きでは、夏休みをもう少しカバーする予定だったのですが……。
書いてたら内容がおかしくなり、容量もオーバーしました。
あまりにも行き当たりばったりで、構成力も未熟。




