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神樹とあおむし

 全くもっていまいましい、あの青虫ども!


 いったい全体ひとを何だと思っているのだ、全身の葉という葉を食い散らしおって! いくら我が巨樹といえども、遠慮というものがあるだろう!


 しかも我は仮にも『しんじゅ』だぞ! 千年前に『伝説の巫女』が手ずから苗木を植えたという、おんとし千歳の巨樹なのだぞ!


 まあ時おり、どこにまうとも知れぬしんちょうがやって来て、青虫どもをついばんでくれるから助かるが……『人型の化身』になって辺りを散歩する我の着物は、夏のあいだは青虫どもに食い散らされて、行きかう人間や人外どもは本心からこう褒めたたえるしまつ……、


「まあ、神樹さま、着物まで優雅でお綺麗ですわ! 白いお肌がなお映える、細かなこまかな緑のレース!」


 だぁあああもう、レースではない! 虫食いだ!! 誰が好きこのんでこんなぶっ飛んだファッションをするものか!!


 だから我は、毎年まいとし夏の来るのがゆううつでしかたなかったのだが……どうもおかしい、今年の夏はあのいまいましい青虫どもがただの一匹も発生しない。


 その代わりと言っては何だが、一枚の葉先にただひとつだけ、小さな卵が産みつけてある。どんなちょうが産みつけたのか、我には全く記憶がない……。


 しかもその卵は淡いにじ色に、我の葉ずれの陽ざしを切れぎれに浴びるたび、ちらちらシャボン玉の表面のようにちらめくあやを揺らしている……。


 何とも不思議な虫の卵だ、しかししょせん我には敵だ! どういう青虫がするのか、いずれにしても早く神鳥が来てくれれば良い!


 ……なんせ我は神樹だからな、よっぽどのことがないと殺生は出来ん! 何とも因果な存在よ、『聖なる何とか』と銘打たれた生き物は……!


 そう思ってじりじりしながら日々を過ごしているうちに、虹色の卵はぽっと孵化した。中から生まれたのは恐ろしいほど美しい、柔らかいガラス細工のような虹色の彩の生き物だった。


「……何と……お前は本当に青虫か……?」


 小指サイズの『生きた人形』のような生き物に思わずそう訊ねかけると、生き物は小さな口を開いて、何と口をきいたのだ!


「……フェリアル……」

「フェリアル? それがお前の名か……?」

「……あなたは……」

「――我? わ、我の名は、ディーオだ。ディーオ・アルベロだ……」

「……ディア! ディア……!」


『よろしく』とでも言いたげにフェリアルは満面の笑みを浮かべて、小さな口で芽吹いたばかりの我の若葉に食いついた。


 今まで青虫に食いつかれた時のかゆみも何もなく、ただただかすかにくすぐったくて、我は少しだけはにかんだ。


* * *


 ……彼女は本当に青虫だろうか? フェリアルはものを言い、我にいかけ、「美味しい」と言いながら小さな口で青い葉を食う。


 初めは芽吹いたばかりの若葉しか食せなかったが、すぐに育って青い葉も食えるようになり、虹色の透けるような体のままで大きくなり……今では『人間の成人おとなの女』くらいに育って、きらきらした表情で我の幹にしみじみほおをすり寄せる。


 食欲はあり、青虫に大挙して食われる時と同じくらいに我の葉は『レースの穴』だらけだが、我はもうさほど気にしていない。正直このまま放っておくと、葉っぱはすべて食い尽くされて、フェリアルが羽化するころには我は枯れるか……、


 そう想うと恐ろしいが、我にはどうすることも出来ない。我は『聖なる存在』、むやみな殺生は許されない。そういう存在なのだから……。


 そうあきらめていたある日、大きな羽ばたきが夜中に聴こえた。眠っていた目を開けると、我の枝にあの『神鳥』が止まっていた。


 神鳥は人の乙女の顔をして、その赤い瞳がぎらぎらと魔性の輝きで我を見る。


「また来たわよ、ディーオ……あらぁ、今年の青虫はずいぶんと妙ちきりんな生き物ね、でも食いでがありそうだわ……」


 ――我ではない。神鳥は木のうろの中で、我のとなりで眠っているフェリアルをじっと見ているのだ。その目にありありと『食欲』の意志が浮いていて、我は思わずフェリアルをかばって鳥をにらむ、にらみつける。


「こいつは食うな」

「……え? ごめんね、もう一度言ってもらって良いかしら……あたしの耳がおかしくなったみたいだわ……」

「おかしくもなんともない、『こいつは食うな』と言ったんだ。こいつはいつもの青虫たちとは違う、食われてもかゆくも何ともない。我はこいつの親代わりだ」

「――は? 何言ってんの、このまま行けばあんた食い尽くされるわよ! こいつは今までの虫とは格が違うの、あたしの直感が言ってるわ! あんたもうじき葉という葉をみんな食い尽くされて、光合成も出来なくなって枯れるのよ!」

「それでも構わぬ。我は、こいつの親代わりだ」


 我が()()として首を振ると、神鳥は美しい顔を歪めて、七色のグラデーションの羽をぼわっと怒りに震わせ、はっと大きく息を吐く。


「――くだらない……神樹ともあろうものが、そんな人型の奇妙な生き物に心を奪われるなんて! いいわいいわ、あたしはもう二度とここに来ない! そのまま食い殺されて、見るかげもないはだかの姿をあたりにさらすと良いんだわ!!」


 神鳥は怒り散らしながら、色とりどりの羽根を散らして飛び去った。今の騒ぎで眠そうに目を開いたフェリアルが、なあに? と寝ぼけまなこで訊ねる。


「……何でもないさ。お前は何も、心配しなくて良いからな……」


 そう、何も心配しなくて良い。今分かったのだ、我の恐れは枯れることへの恐れでないと。


 この美しい生き物が、もうじきさなぎになって羽化する、その瞬間まで生きていられるかどうか……そのことだけが、最期の気がかりだったのだと。


 あとはもう良い、もしか『その瞬間』に立ち会えなくても、それは運命というものだ。


 さなぎの中で、青虫はどろどろに溶けて完全に別の生き物になる……蝶や蛾という、新たな生き物に生まれ変わる。だからおそらく、羽化したフェリアルは我を覚えてもいないだろう。


 きっとただの樹だと思って、葉の食い尽くされた我には目もくれず、彼女と同じくらい美しい夫を探して、青い空にひらひら飛び立ってゆくだろう。


 それで良い、それで良いんだ、フェリアル……。


 我はお前の親代わり、それ以上でもそれ以下でもない。お前が無事に成虫おとなになれれば、それで良いんだ、それで良い……、


 我はそう想いながら、その想いを噛みしめながら、そっと人型に変化した目を閉じた。生ぬるい感触がほおを伝ったような気がして、気づかれぬようにそっとぬぐった。


* * *


 葉はほとんど食い尽くされた。

 神鳥の訪れから一週間、フェリアルはとうとうさなぎになった。さなぎは水晶のように透き通り、その中で淡く虹色に光る中身が、まもなく溶けてくるくると穏やかに巡って流れていた。


 我はほとんどもうろうと、『羽化まで枯れずにいられれば』と願いながら、そのさまをぼんやりと眺めていた。


 一週間か、半月か……瀕死の状態の我の前で、さなぎの中身はいつか固まり虹色に輝き、その背がぱくりと綺麗に割れた。


 いちもんに割れたそこから、虹の化身のようなあまりに美しい生き物が、くしゃくしゃの羽を背にいただいて現れた。


 生き物はすうすうと静かに息をして、息をするたびくしゃくしゃの羽が少しずつ少しずつ広がってゆき……いつか生き物の白い背には、大きなおおきなシャボン玉を閉じ込めたような虹色の羽が、天界の花のように咲いていた。


 生き物はひとつ大きく息を吸うと、我に向かっていかけた。微笑いながら手を伸ばし、ディア、と愛しげにささやいた。


「……覚えていて、くれたのか……」

 かすれる声で息の漏るようにささやくと、生き物は微笑みながらうなずいて、人型の我のくちびるへキスをした。


 ――そのとたん、我の枝という枝からみるみるうちに葉が芽吹き、若葉と化して青葉と化して、我は十年に一度咲くはずの白い白い花を見る間に満開に咲かして咲かして、茫然とフェリアルを見つめて問うた。


「……フェリアル……お前は……」

「――わたしは、妖精の女王です。千年生きた神樹の葉しか食べられない、そうして羽化する女王です……」


 言葉もなく口をぱくぱくする我に、フェリアルはもう一度口づけた。桃色の花のようなくちびるは、蜜のような香りがした。


「あなた、よくぞ今まで黙って食べられてくださった。わたしはこれから、あなたの守護神となり、また出来るなら『一生のパートナー』となり、共に暮らしていきましょう……」


 そう言いながら虹色の羽をひらひらとはためかせる生き物に、我は恐るおそる手を伸ばし……彼女を初めて抱きしめた。


 こちらからもう一度口づけた時、そのとき初めて気がついた。フェリアルのくちびるの蜜の香りは、我の身につける白い花の蜜そっくりだった。


「……けど、もしかわたしとあなたに奇跡が起きて子どもが出来たら……あなた、また食べられてくださいましね……!」


 ちゃめっ気のある言葉に思わず吹き出して、我は笑いながらうなずきながら、羽を傷めぬように彼女を抱く手にほんの少しだけ力を込める。


 遠く遠くの空のかなたに、何者かの祝福のように、雨も降らぬのに虹が出る。


 ……そのほのかな七色より、目の前の妻のひらめくような虹の彩が、目に沁みるほど美しかった。


(了)

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