10/21:異世界の迷宮で
ピチャンピチャンと水が垂れる音で、近衛カルマは目が覚めた。
硬い地面を踏みしめて立ちあがり、ブレザーについた砂を落とすと、彼は辺りを見渡した。
彼が寝ていた場所は薄暗い洞窟のようだ。
食べるとバッテリーが回復しそうな光るキノコが岩肌に生えていて、ほんのりとした明りで周囲に並ぶ鍾乳洞の巨大な柱が薄ら見える。
『それじゃ、妾の情けで最初は人間領に飛ばしてやるとするかの。どこに飛ぶかは分からんが、後はお主らでなんとかするがええ』
カルマの脳裏に、あのよく分からない声の最後の言葉が思い起こされた。
思わず、アバウトすぎんだろと苦笑いが漏れる。
「んっ……うぅ……」
カルマが一歩踏み出した途端、足もとで何かが蠢き、うめき声が聞こえてきた。
得体が知れないので適当に足でつついてみる。
「んぁっ!」
艶めかしい声が返ってきた。
「樫咲?」
「んにゅふふ……このえくん、らめらよぉ……そんらえふえむぷれいにゃんにょわっ!?」
寝ていたのだろう樫咲は、カルマの後ろからやってきた足音の主に蹴り起こされた。
「こころ、早く起きなさい。いつまでも迷宮で寝てないの」
「ちょっと~。女の子のお尻を蹴飛ばすなんて、お嫁に行けなくなったらどうするの!」
足音の主は明石雫。
ぶつくさ言いながら髪や服についた砂を落とす樫咲を傍に、カルマと明石は話し始める。
「明石、ここがどこだか分かるか?」
「よく分からないけど、あの変な声の通りなら異世界の迷宮ってことになるわね」
「迷宮ってことは分かるのか……」
その言葉に明石は無言で壁を指す。
彼女の視線を追って、カルマは視線を動かした。
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アネモス大迷宮1階層へようこそ!
HERE:休憩地点
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すぐ傍にあった木の看板を見て、彼は降参とばかりに両手を上げる。
異世界なのに日本語で道案内とは、随分と親切な迷宮だった。
カルマの眼が少しずつ暗闇に慣れてくると、さらに迷宮の中が見えるようになった。
縦横10m以上にもなる鍾乳洞の巨大な通路があり、ところどころに穴が開いて人が入った形跡がある。
その中でもひときわ大きい亀裂を入ったところの休憩地点でクラス全員が寝かされていたようだ。
穴の外に出て巨大な通路を確認してから、彼は休憩地点内部に戻った。
既に全員が目を覚ましているらしい。
全員が穴倉の中に集まると、中央にはクラスメイト32人を代表した委員長の山田敦志がいた。
彼の上には、クラスメイトの一人である伊藤桐華のスキル【初級光煌魔法師】によって設置された光の球があり、四方20メートルほどの洞窟は蛍光灯で照らされたかのように明るくなっている。
スキルさえ習得していれば魔法は最初から使えるらしく、頭の中に浮かんだ呪文を唱えたところ光の球が生まれたのでそのまま利用しているというわけだ。
ちなみに、【初級風緑魔法師】の樫咲こころが頭の中に浮かんだ単語を適当に口にしたところ、目の前の3メートルはあろうかという鍾乳石が真っ二つに切れたので、魔法師スキル持ちの全員が慌てて口を押さえている。
その割れた鍾乳石をゴソゴソと探った後、山田敦志が話し始めた。
「まず現状を確認しよう。僕たちは異世界へ飛ばされたらしい。最初は悪い冗談かと思ったが、これを見るとどうやら本当のようだ」
そう言うと、彼は傍にあった40センチほどの黒いボールのようなものを転がす。
何人かのクラスメイトがそれを覗きこむと、いきなりボールが割り開かれ、無数の足が飛び出してきた。
「ひぃっ!」
異様な光景に、女子が悲鳴を上げる。
気の弱い大園晴香などは気を失ってしまう。
その隙に、足が生えたボールは彼女の倒れた空間を飛び越えて岩陰隠れてしまった。
「こいつは巨大ダンゴムシらしい。苔を食べていたところを見ると幸いにも草食だったみたいだけど……少なくともこんな生物は地球上にいない」
彼の発言に込められた真意に、全員が凍りついた。
事此処に至って初めて、異世界に来るという恐怖を味わっていたのだ。
もし、このように巨大化した虫が他にもいるとしたら。
そして、肉食だったら自分たちはどうなっていたのか。
それを想像したのか、神楽坂優姫が怯えながら発言する。
「は、早く帰りましょうこんなところ! そ、そうよ。あの不気味な声は、幻台高校に帰れる魔法があるって言ってたじゃない!」
「うん、僕もその必要があると思う。異世界ってのはすごい発見だとは思うけど、こんな危険な場所に固まっていてもいいことなんてない」
山田敦志は苦々しげに顔をゆがめると、全員に向かって声をかける。
無論、ナニかを呼びよせないため最小限のボリュームで。
「みんな、落ち付いて自分のスキルを確認するんだ。もしかすると、その中に高校へ帰るための魔法があるかもしれない」
それを聞いた途端、はじけるようにしてクラスメイト達は自身のスキルを確認していく。
だが、
「誰も持っていないか……」
お互いにスキル構成を見せあい、そのたびに影を落としていく。
1分後、彼らの表情は更に暗くなっていた。
(まぁ、脱出系魔法なんてのはゲームでも中盤から使えるようになるのが多いしな)
カルマ自身は何となく察していたが、傍に寄り沿う樫咲こころの表情は暗い。
その表情を見てカルマは何を思ったのか、彼女の肩にそっと手を置くと、こころの表情は幾分か軟らかくなって頬に朱が生まれた。
ついでに言えば、示現たちチャラ男組の表情は、こころの肩に置かれた手を見て憎々しげに歪んでいる。
それからは無言の空白が場を支配した。
時折風が吹くたびに身体を震わせ、カサカサっと音がすれば全員でその場所を凝視する。
「うぅ、もういやぁ。帰りたい……帰りたいよぉ……」
その絶望に耐えきれなかったのか、間宮奏が涙をこぼす。
ミシッ ミシッ
悲痛な叫びに呼び寄せられたのか、休憩所の入り口で何か動く音がする。
怪しげな音に全員がその方向を見ると、
洞窟の隙間から覗く、巨大なギョロ目があった。
「なっ!?」
「い、いやああああぁぁっ!!」
咄嗟、全員が我先にと洞窟の奥へと避難する。
ギョロ目は奥へと逃げ込んだ人間を狙っているのか、洞窟の裂け目に入らない眼球を圧し付けている。
圧力にミシミシと入口の壁が軋み、崩れた粉塵が宙を舞う。
「なによあれっ!?」
「分からん! とりあえず今は逃げろおおおぉ!」
スキルを使うことは頭の中から吹き飛んでしまい、クラスメイト全員が逃げ場はないかと辺りを探る。
そのうち、ギョロ目が押しつけるだけでは駄目だと悟ったのか、体当たりで休憩所の入口を壊し始めた。
ドンッ! ドンッ!
何度も何度も。
ドンッ!! ドンッ!!
鍾乳石が軋むほど、何度も何度も。
そんなことをすれば当然ながら眼球から血が吹き出てしまい、白と黒の丸に赤いデコレーションを加えていく光景は、見る者の気勢を挫くには十分だった。
「うわあああああああぁぁ! に、逃げろおおぉぉぉ!!」
「いや、いやああああああぁぁ!!」
だが、眼球の体当たりが大きいせいか、休憩所には更に裂け目が増え、そのうちのいくつかからは光が漏れ出ていた。
もしかすると外の光かもしれないと、クラスメイト達は迅速に裂け目の中へ飛び込んでいく。
「これで全員……ッ!?」
全員が逃げ込んだと思い、最後にカルマとこころが裂け目まで逃げてから振り返ると、眼球から裂け目までの中央付近に一人取り残されているのが見えた。
大園晴香が鍾乳石に躓き、足をくじいていたのだ。
それを見たカルマは、後先考えずに走りだす。
「近衛君っ!」
後ろからは樫咲こころの悲鳴が聞こえるが、関係なしに走った。
大園晴香の隣まで行くと、彼女を御姫様抱っこでかかえて裂け目まで逆走する。
「ごめ……ん……ね……」
「気にすんな!」
腕の中にいる大園晴香に向けて、精いっぱいの強がりを見せるカルマ。
しかし、遅かった。
ドゴオオオォン!!
「近衛君っ! 後ろっ!!」
こころの悲痛な叫びに、つい後ろを振り向いてしまう。
そこにあったのは血に塗れたいくつもの巨大な眼球。
そして、それらが埋め込まれた羽だった。
「くそっ! でかい蛾だったのかよ!」
全長が5メートルもあろうかという巨大な蛾が休憩所内に侵入してきた。
本来なら文様があるはずの羽の中央はそれぞれ一つずつ、計4つのギョロ目がある。
その殺意に満ちた目は全て、カルマを捉えていた。
逃げ切れない。
直感的にそう判断したカルマは、倒れ込みながら大園晴香を全力で投擲した。
彼の腕力は常人の1.6倍。
残り8メートルもある裂け目までの距離だったが、さらに近くにいるこころに投げ渡すのであれば大して苦ではなかった。
「近衛君っ!」
カルマから大園晴香を受け取ったこころは、晴香をゆっくりと外へ滑らせる。
そして自身は、勢いよく倒れたカルマの傍へと走る。
「“ウィングブレイド!”」
こころは掌を巨大蛾へと向けると、スキル【初級風緑魔法師】の技である風の刃を撃ち放った。
彼の傍に走りながら、逃げる時間を少しでも稼ぐために。
放たれた真空の刃はキュンッと風切り音を立てて飛翔し、巨大蛾の2つの目をまとめて斬り飛ばした。
飛びながらのた打ち回る器用な蛾を尻目に見て、こころは充分に時間が稼げると判断したのか、一層速度を上げてカルマへ走る。
だが、彼女は失念していた。
逃げ切れるのであれば、彼自身が立ちあがって穴の中に滑り込んでいたはずだった。
「かっ……から、だ……が……」
カルマに近づくたび、足がしびれ、手の動きが鈍る。
とうとう走る勢いのままに、彼女も地面に倒れ込んでしまった。
(な、何が……)
倒れ込んだカルマと自分を見て茫然としている彼女の眼前に、空から黄色い燐分が舞い散る。
それを見た瞬間、戦慄が走った。
(まさか、麻痺毒!?)
彼女の顔が驚愕に歪む。
もう手足は動かず、頭の中に浮かんだ治癒魔術を唱えるための口も麻痺している。
巨大蛾からは絶対に逃げ切れない。
それでも。
それでも。
こころは唯一動く頭を、近くにあった鍾乳石の破片へと思い切り振りおろす。
ガンッ!
「あぐッ! うっ、くうううぅ……」
真っ白で可憐だった額をパックリと割って血を流し、麻痺した血流を痛みで無理矢理抑えながら。
(あと……もう……少しっ!)
這いずって、這いずって、ついに想い人の身体を自らで覆い隠す。
(この人だけは……やらせないっ……こんど、は……わ、わたしが……)
ギリギリと歯を食い締め、意識が飛びそうなほどの激痛を押さえこむこころ。
普段の可憐な瞳からは想像もつかないほどの凄絶な殺気が、巨大蛾の目を射抜く。
直後、アネモス大迷宮に崩落の轟音が響き渡った。




