25-3 娘達
不安いっぱいで那加城に到着した山名梢は、温かい出迎えにほっとする。
しかし、間髪入れずに音羽城・城代の任務を言い渡される。
その山名梢が音羽城に赴任して間もなく、梢から早馬が頼朝の下に届く……
■山名家からの養女、山名梢
北条早雲と上杉景虎が安土城へ向けて那加城を出立したのと入れ替わるようにして、新たなる客人が到着した。
但馬の大名・山名豊国は、臣従の証として、また両家の絆をより深めるため、娘の山名梢を頼朝の養女として差し出してきた。その梢は目立たぬように少数の供回りを連れ、織田の目を避けるために海路を経て、一色領から越後上杉家、さらに信濃武田家の領内を抜け――ようやく美濃へたどり着いたのである。
長旅を終えた梢が那加城に到着すると、頼朝は妻の篠、弟の義経、娘の里、そして出雲阿国と共に、丁重に迎えた。
一室に通され、梢は畳に手をつき、震える肩を押さえるように深く頭を下げた。
梢「山名豊国が娘、梢にございます。これよりは、頼朝様の娘としてお仕えさせていただきたく、何卒、よろしゅうお願い申し上げまする」
短い沈黙が落ちる。梢の声はわずかに震え、長旅の疲労と、家の存亡を背負わされている重圧が、その細い指先の震えとなって表れていた。
頼朝は静かに歩み寄り、梢の傍らに腰を下ろした。
頼朝「頼朝である。遠路、但馬よりの道中……さぞや大変であったろう」
低く落ち着いた声が室内に響く。梢は、思わず顔を上げた。
頼朝「まずは、ゆるりとされるがよい」
その言葉に、梢は堪えていた息をふっと吐き、胸の奥に溜めていた緊張が少しだけ解けていくのを自覚した。
梢「恐れ入りまする……一色義道様、上杉景勝様、武田勝頼様に多大なるお力添えを賜り恐縮の極みでござりました。これもすべて、頼朝様のご人徳のお陰と存じまする」
初対面の緊張と長旅の疲労に、梢の声はわずかに震えるが、それでも気丈な言葉を頼朝に伝える姿は痛々しくも見えた。
山名家は、安泰な状況にはない。
東からは、常に織田家の脅威に晒され、南の播磨からは赤松家や別所家、西の備前からは宇喜多家、そして山陰からは覇者・毛利家といった、周辺の有力大名の間にあり、小競り合いは日常茶飯事であった。山名豊国は日々、家の存続の脅威を目の当たりにし、隣国一色家に倣って苦渋の選択を下した――頼朝軍への臣従である。
山名梢は、家の存亡を賭けた政略の道具としても、否応なく養女として差し出された。ただ、家に何があろうとも、愛娘だけには生きていて欲しい、山名豊国の父としての切なる願いも込められている。
そのような中、危険な長旅を経て、ようやく臣従先の美濃へと、たどり着いたばかりの梢。阿国がそっと口を添えた。
阿国「梢様、大丈夫ですよ。わたくしもおそばにお仕えいたします。どうぞご安心くださいませ」
続いて、里が元気よく声を上げた。
里「梢様、里と申します!これからは姉妹としてお願いいたします! 困ったことがあれば、何でもおっしゃってくださいね!」
二人の言葉に、梢の視線が揺れ、張り詰めていた表情がふっと和らいだ。
梢「み、皆様……。まことに、ありがとうございまする……」
口元に、かすかな笑みが浮かんだ。それは緊張を解いた後の、幼子のように無垢な微笑みであった。
この梢、聞くところによると、多くの書物に通じ、領国においては内政の才を発揮して、周囲の評判も高い。その評判を頼朝は耳にしていた。
頼朝「…梢殿」
頼朝は、改めて、梢に向き直り、静かに語りかけた。
頼朝「わしを、本当の父と思って何なりと申すがよい。周りの者たちも、見た通りの優しき家族同然のものたちばかりじゃ。
同時に、そなたは我が軍団にとって大切な客人でもある。最大限の敬意をもってお迎えしたい。
今はまだ、但馬の山名殿を直接お助けするだけの力は、我らには無い。だが、いずれ、必ずやそなたの父君のお力になれるよう、この頼朝、最善を尽くしたく考えておる。今しばし、辛抱をお願いしたい。」
梢は予想もしていなかった頼朝から暖かい言葉に、戸惑いながらも、精一杯言葉を返した。
梢「私ごときに、ありがたきお言葉を頂戴したばかりか、わが実家、山名家の事までご配慮賜り、御礼の申し上げようもございません」
その梢の様子を見て、頼朝も優しく頷いた。そして頼朝は横に座る妻の篠と目を合わせた。篠は頼朝にそっと頷き、梢に向けて口を開いた。
篠「梢様は新しい私たちの大切な家族です。頼朝様も、梢様がいらっしゃることを心待ちにしていたのですよ。
ここ那加城にて心行くまで旅の疲れを癒して欲しいところではあるのですが……
実は私たちの軍団は、戦いが続いて傷つきながらも、領土が広がっているのです――常に人手が足りておりません。
梢様のお気持ちが少し落ち着いた頃、お願いしたき大事なお役目がございます……」
山名梢は、安心と不安を交錯させながらも、努めて気丈に振る舞い、顔を上げた。
梢「はい……。わたくしに出来ることであれば、何なりと」
篠「ありがとうございます、梢様……。
頼朝様が梢様にお願いしたいのは、南近江で新たに我が軍団の領土となった、音羽城の城代のお役目」
梢「この若輩の私が城代でございますか……?」
梢は驚きを隠せずにいた。今度は頼朝が言葉を続けた。
頼朝「我らは、京へ上らねばならぬ――そなたの父君をお助け申し上げるためにも――そして音羽城とその城下は今は発展しておらぬが、我らが上洛するため極めて重要な拠点。
しかし、我が軍は領地を急速に広げたのは良いが……武人が多いこの我が軍団、城下町の発展や内政を、安心して任せられる者が限られておる。
もし、梢殿の気持ちの整理がついたならば、音羽城の修繕、そして城下の発展の指揮をお願いしたいのだが……。
そなたは、我が娘。足りぬものがあれば、遠慮なく申すが良い。配下の家臣たちも、そなたの裁量で遠慮なく使うがよい。
…どうであろうか。この役目、お願いできるか」
梢は膝の上で指を結び、そっとほどく。顔を上げた瞳には、迷いよりも光が勝っていた。
梢「それは……まことに、身に余る、栄誉なことでございます……!
わたくしは、戦働きでは、お役に立てませぬ……そして、但馬の田舎者ゆえ、どれほどお役に立てるか、正直、不安もございます。
しかし民のための政、そして、築城や町づくりには、但馬においては多少の自負がございました。
……この梢、精一杯、努めさせていただきまする!」
頼朝「そうか! 無茶な願いであるとは、承知しておったが……。引き受けてくれるか! まことに嬉しく思うぞ!」
篠も優しく言葉を続ける。
篠「いらした早々に申し訳ありませんでした。でもそれだけ梢様を頼りにするわが軍の苦しい事情もございます、私からも御礼申し上げます。
梢様を補佐をする有能な家臣を音羽城へも派遣しますゆえ、何卒よろしくお願い申し上げます。
ただ、今しばらく落ち着かれるまでは、ここ那加城にてゆるりとされてくださいませ」
梢「はいっ! 頼朝様の上洛のため、この梢、少しでもお役に立ちたく存じます。きっと父……いえ山名豊国も、喜ぶと存じます!」
そこで源里が、嬉しそうに立ち上がり、梢の手を引いた。
里「では、梢様!
本日は里がお部屋までご案内いたします。わたくしの寝所の、すぐお隣が空いておりますよ!」
里はそのまま梢を連れて部屋を退出していった。
■頼朝の娘達
部屋を退出していく、二人の若い娘たちの後ろ姿を、頼朝は見送った。その姿は、先ほどまでの緊張した面持ちの凛々しき姫君と、若く猛々しい女武者とは異なり、年頃の健気で愛らしい、二人の少女のものであった。
(それにしても……わが軍団の若き女子たちのみならず、我が娘たちにも、戦場や内政官として随分と大変な思いをさせておる……)
頼朝はかすかな罪悪感を覚えながらも、同時に、自らの強い意志を持ち、それぞれの持ち場で実に優れた働きを見せる、この時代の女官、そして女将たちに対し、深い敬意と感銘を禁じ得なかった。
頼朝は、里と梢の、仲睦まじげな後ろ姿を、しばし、感慨深げに眺めていた。
この時代に来てからの短い時間で、頼朝は、養女も含めて、四人もの「娘」を持つこととなった。
時間軸のズレによって、この時代で初めて出会うこととなった、実の娘、桜と里。
政略的な理由からではあるが、養女として一色義道の娘・宝と、山名豊国殿の娘・梢。いずれも、前評判通り聡明で心優しく、そして芯の強い、実に良く出来た娘たちであった。宝と梢もまた、頼朝にとってかけがえのない娘となりつつあった。
(…もし、この時代が、戦国の世でさえなかったならば……この娘たちの、日々の暮らしは、明るく、楽しいものであったであろう……)
(この時代では……家臣や家族を犠牲にした天下など、もはや、わしは決して望まぬ)
二人の娘たちの後ろ姿を眺めながら、頼朝は、改めて、その決意を、強く、固めていた。
■新たな戦火
桜や梢ら若き娘たち、そして少数ながらも優れた内政官たちの活躍もあり、頼朝軍の近江一帯の統治体制は急速に整ってゆく。いまや美濃、尾張、近江の主要拠点を抑える頼朝軍の国力は、織田家に迫る勢いであった。さらに近江が今以上に発展することは、織田にとっては大きな脅威であることは火を見るより明らか。
それを指をくわえて見ている織田信長ではなかった。
天正十三年(1585年)九月。音羽城に入っていた梢から、那加城に早馬が飛び込んだ。
使者「申し上げます! 織田の大軍が音羽城下へ押し寄せております! 火急の援軍を要請!」
頼朝は思わず舌打ちし、秀長と顔を見合わせる。
頼朝「ちっ……信長め、やはり仕掛けてきおったか」
だが、嘆く暇はない。
頼朝「秀長! 急ぎ軍議を開く! 各城へ伝令を走らせよ!」
秀長「はっ! かしこまりました!」
こうして、頼朝軍はまた新たな戦いへと踏み出そうとしている。
若き娘たちの手によって支えられる新たな守備網と、近江を巡る織田との緊迫。
戦の火蓋は、再び切られようとしていた——音羽は、頼朝軍の“いま”の脆さと強さを同時に暴き出す舞台となる。
お読みいただきありがとうございました!
織田軍は頼朝軍があらたに獲得した近江領のもっとも弱い拠点、未発展な音羽城を突破口として攻撃に転じてきました。
次回、十分に領国が発展していない頼朝軍が、反撃に転じます。
織田軍の攻撃の規模は?対する頼朝軍の布陣は?
どうぞお楽しみに!




