25-1 桜を推す戦略家
戦後処理で忙しいさ中、北条早雲が那加城の頼朝の下を訪れた。
頼朝は早雲が自ら出向くからには、ただ事では無いだろうとある程度覚悟をして早雲を出迎えた。
早雲が口にしたのは「桜殿についてお願い」であった。
■桜の活躍と早雲の願い
近江での激戦の後、織田軍・頼朝軍ともに兵を退き、小康状態が訪れていた。
だが、頼朝軍にとっては、決して安息の時間ではない。
先の戦いで失った兵力の補充、疲弊した部隊の再編成、新たに獲得した城々の修復と統治体制の整備、あらたに頼朝軍に加わった旧織田家家臣の処遇と配属、そして次なる戦略の立案――やるべきことは山積していた。
特に本拠・那加城には、頼朝直下の家臣団が集い、軍団全体の大本営として、昼夜を問わず領内を奔走。休む間もなく、連日忙しく動き回っていた。
そんな折、大きな損害を受けて退却した大垣城の突撃部隊の再編と、大垣城下の発展のため陣頭指揮を執っていた北条早雲が、那加城を訪れた。頼朝は筆頭家老・羽柴秀長とともに、早雲を出迎えた。
早雲「頼朝殿。先の安土城攻略、誠におめでとうございまする。これで上洛への道も、遠い先の話では無くなりましたな」
早雲は、満足げに頷いた。
頼朝「近江での戦果は、早雲殿が番場にて織田の主力を引きつけてくださったからこそ。まことに感謝しておる」
頼朝は、深々と頭を下げた。
早雲「本来は佐和山の手前あたりで織田の主力を押し戻し、頼朝殿には楽に長浜城を落としていただきたかったのじゃが……。
力及ばず、申し訳ござらぬ」
早雲も、頼朝に頭を下げていた。
頼朝「あの織田信長という男は、こちらの思うように事を運ばせてはくれぬ。前の戦でうまく行った策が、次の戦では通用せぬ。此度は、多くの局面で織田信長に先手を打たれた。その中でも、早雲殿にはよく踏み留まっていただいた」
早雲「桜殿が、長浜城への織田の増援を少しでも抑えるべく、まさに獅子奮迅の働きをしておりましたわ。わしなどは、自ら桜殿が陣頭にて部隊を指揮しておるのを、感心しながら後ろから眺めておっただけじゃ」
頼朝は桜の活躍や成長を耳にすると、表情が和らぐ。
頼朝「あの織田の大軍を相手に、桜が奮闘しておったとは……ひとえに、早雲殿の日頃からのご指南あってこそ」
早雲は、その頼朝の表情を確認しながら話を続ける。
早雲「頼朝殿、本日はその桜殿のことについて、ちと、お話ししたき儀があって参上つかまつった」
頼朝「ほう……桜の話とはいったい?」
早雲「桜殿には、将としての優れた資質と、そして、良き気概が備わっておりまするぞ。
もはや、桜殿は将として一人前。
そこで、頼朝殿。二つほどお願いがございます」
頼朝「桜を誰よりも知る早雲殿のお考えであれば、お聞かせいただこう」
早雲「は!では申し上げますぞ」
早雲は姿勢を整え、軽く平伏する。
早雲「まず一つ目じゃが、大垣城の我が第一突撃隊を安土城への配属をお願いしたい。安土城は、京へ向かう戦において要となる城。
我が隊は、命を賭して頼朝殿のお力となりたく存ずる」
それを聞いた羽柴秀長が、嬉しそうに答えた。
秀長「早雲殿! 実は安土城には是非とも早雲殿を、と考えておりました! 頼朝様にとっても、まさに願ってもないお願いかと存じまする!」
早雲「ふふ。秀長、まあ、待たれよ」
早雲は、秀長を制した。
早雲「わしの願いは、まだ申しておらぬわい。
その、安土城の城代を、是非とも桜殿にとお願い申し上げる。無論、わしは引き続き安土にて、桜殿を全力でお支えする所存」
頼朝「安土の城代を桜に、と……!」
頼朝はあの北条早雲が直接足を運ぶからには、ただ事ではないだろうと覚悟はしていた。それでも頼朝は驚き、思わず言葉を詰まらせる。
頼朝「父としては、ありがたき極みのお申し出ではあるが……しかし、早雲殿を差し置いて、若輩の桜が城代などと。他の家臣たちが、納得しなかろう」
頼朝は、不安でもあった。
早雲「頼朝殿が、そう思われるのも、無理はござらぬ」
早雲は、頼朝の反応をあらかじめ予測していたかのように頷いた。
早雲「じゃが、頼朝殿が思っておられる以上に、桜殿はまことに優秀な将へと成長されておりますぞ。
まず、第一に、用兵の才に、極めて優れておる。
伊勢、桑名での戦では、織田の大軍を見事に食い止め、激戦の中で部隊の被害が少なかったのは、偏に、桜殿の卓越した用兵の力があったからこそ。敵の陣形を見極め、攻撃と退却を臨機応変に指示し、退路の確保にも抜かりがない。戦の全体像を常に把握しておる。
第二に、確かな戦略眼をも、持ち合わせておる。
わしもはじめは猪突猛進な娘御かと思うておりましたが、どうしてどうして。先頭にたって突撃をしながらも、実はそこに至るまでの準備は万全。出陣の目的と優先順位を必ず確かめ、兵站の整備、桜殿は自ら厭わずに手を動かし、戦場では兵の消耗と敵の力を見ながら、動員する部隊の規模を戦況に応じて判断しておられる。
そして最後に、何よりも、将兵の心を掴んでおる。
先の番場の戦いは、まことに壮絶、絶望的な状況にあった。しかし、桜殿は常に将兵を励まし、奮い立たせ続け、逃亡する兵が驚くほどに少なかったのでござる。
将兵の心を掴んでおらずしては、あのような不利な状況にて整然と戦うことなど、できはしませぬ。
…今や我が隊の者たちは皆、桜殿の戦場での見事な活躍ぶり、そして、その心意気を目の当たりにし心服しておりまする――将としての器は、既に揺るぎませぬ」
早雲は、そこで、少し声を潜めた。
早雲「…実を申せばな、頼朝殿、桜殿を部隊に預かるにあたり心配でしてな……。
ゆえに、桜殿には内緒で、副将の谷衛友殿に、桜殿の傍らでの警護をお願いしておったのでござる。
その谷殿が、むしろ桜殿に教えられることが多かったと申しておる」
頼朝は、目頭が熱くなるのを感じた。
頼朝「か弱く、健気であった桜が、そこまで……」
頼朝は、こみ上げてくる気持ちを抑えながら、早雲に口を開いた。
頼朝「しかし『桜を城代に』と申すには、不安が先に立つ。
だが、引き続き早雲殿に傍らで支えていただけるのであれば……ありがたきお申し出、お受けしたいと思う」
早雲「ははっ! ありがとうございまする! この早雲、何があっても桜殿をお支えいたしまするぞ!」
早雲は、満足げに頷いた。
■婚姻?
早雲「さて、頼朝殿。僭越ながら、実は、もう一つ、お願いがござる」
頼朝「何なりと、申すが良い」
早雲「では、遠慮なく、申し上げる」
早雲は、再び居住まいを正した。
早雲「我が曾孫にあたる上杉景虎と、桜殿との婚姻を、お許しいただきたい」
(…それは、少し話が早くはないか……)
頼朝はそのように口答えするところであった。
だが、思い直す。自らの妻となった篠にしても、武田梓、上杉弓にしても、皆、今の桜よりも、さらに若くして、嫁いでいた。
(実際に父親代わりとして桜を守り、そして育ててきてくれたのは早雲殿じゃ……その早雲殿の心からのお願いに対し、今更父親然とした立場で、何かを言えるはずもない……)
何よりも、娘の笑顔が脳裏に浮かび、言葉を発しそうになる自分を、理性が必死に押しとどめた。頼朝は少し間を置いて、早雲に顔を向ける。
頼朝「まことに、ありがたきお申し出じゃ」
頼朝は、静かに答えた。
頼朝「ただ早雲殿……景虎殿とは、まだ一度も顔を合わせたことが無いゆえ……」
早雲「がははは! いや、これは失礼つかまつった! まことに、頼朝殿が申される通りじゃ! 」
早雲は快活に笑った。そして体を後ろに向け、大きな声を張り上げた。
早雲「…これ、景虎、入られよ!」
早雲に指示され、一人の涼やかな顔立ちの若武者が、部屋の中へと入ってきた。
そして早雲の少し後ろに腰を下ろし、恭しく頭を下げる。
景虎「頼朝様。はじめてお目にかかりまする。上杉景虎と申しまする」
景虎は、深々と頭を下げた。
頼朝の娘桜の城代への推挙のみならず、婚姻までお願いされた頼朝。
困惑する頼朝を尻目に、すでに次の一手を用意していた早雲は、上杉景虎を伴っていた。
次回、はじめて上杉景虎と言葉を交わす頼朝、そして軍団のあらたな体制について早雲と語る頼朝と秀長。
お楽しみに!




