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24-3 天下と天下(後編)

お市の方が口にした核心を突いた問いかけ。

それは頼朝自身が苦しみ、試行錯誤をしている自らへの問いそのものだった。

それでも頼朝は心をつくした言葉を投げかけ、お市の方の心が揺らぎ始める。

そして――お市の方が胸の奥にしまい込んでいた苦しみと悲しみを、頼朝は垣間見ることとなる。

■頼朝が背負う罪


お市が言葉にした「『守ろうとしたもの』に裏切られ」「『滅ぼされる』恐怖」、それこそが頼朝自身を焦がし続ける思いそのものであった。


(信長もわしと同じ景色をみているのであろう。しかし……!)


頼朝「お市殿。申されること、いちいちもっとも。


さて、この時代の史書にある残忍な源頼朝が、なぜ『甘く』なったのか……本当は何と戦っていたのか思い知らされたからじゃ。


今、わしの隣におる、弟・義経。

鎌倉では殺害をたくらみ、天下静謐へのいけにえとした」


頼朝の笑いは消えていた。


頼朝「良いか、天下静謐のためじゃ……天下静謐のために、天下万民のために、血のつながった弟を殺そうとしたのじゃ……!


では、なぜ殺そうとしたのか。


この時代に来て思い知らされたのは、お市殿、まさにそれじゃよ。

わしはどこまでも強き義経の『裏切り』『滅ぼされる』ことを恐れ、殺害を企てた。


しかし……今わしの傍らに立っておるこの義経こそが、本当の義経であったのだ。

義経だけではない、わしが亡き者にした多くの御家人達も同じ……!


今だからこそ知る、取り返しのつかない間違いであったと――その時は気づかぬのじゃ」


頼朝の語気は次第に強まり、やがて胸の奥から噴き出すような声となった。家臣たちは思わず背筋を伸ばし、義経でさえ口を固く閉ざしたまま兄を見つめていた。


頼朝の声に、さらに力がこもる。


頼朝「どのような裏切りや悲惨な過去があろうとも、己自身の恐れのため、罪なき者を滅ぼすことは許されざる罪ぞ。少なくとも、わしは二度とその過ちを繰り返したくはない。


信長殿は、足利将軍に裏切られたのかもしれぬ。多くの武家が、古き秩序を守るために、織田家に牙を剥いたのかもしれぬ。


だが、これまで織田家が滅ぼしてきた多くの武家たちは、本当に滅ぼされなくてはならなかったのか……


お市殿はどうお考えか?」



■お市が背負う悲しみ


そこに、それまで成り行きを見守っていた前田利家が、口を開いた。


利家「……頼朝様。差し出がましいようですが、申し上げます」


利家は、お市の方へ視線を向けながら頼朝に言葉をかける。


利家「お市様は、信長様が男惚れした近江の浅井長政殿のもとに嫁がれました。しかし、その浅井家は織田家を裏切り、信長様の手によって滅ぼされたのでございます。


浅井家のやむにやまれぬ理由、ゆえあっての裏切りであったのかは存じ上げませぬ。


ですが頼朝様、これだけは……お市様は誰よりも、『裏切られる、滅ぼされる』ことの怖さだけでなく、『裏切り、滅ぼす』ことの辛さや過ち、身をもって理解されていらっしゃいます。


そのうえで、信長様の立場を代弁されております。


今の頼朝様のご質問は、お市様には酷なお言葉かと……」



挿絵(By みてみん)


お市「…前田殿」


お市の方は、静かに利家を見つめ返した。


お市「そなたが、なぜ織田家を出奔し、この頼朝様に忠節を尽くしておるのか――少しだけ分かったような気がいたします」


お市の方は、頼朝へと向き直った。


お市「頼朝様。もし、好きか嫌いかと問われれば、わたくしは頼朝様の目指されるその甘き世が……好きでございます」


その言葉を告げるお市の方の声音には、理性では覆いきれぬ揺らぎがあった。しかしお市の方は息をゆっくり吐き、心を鎮めるようにして――あらためて言葉を頼朝に投げかけた。


お市「ですが、頼朝様の目指す『甘き力』が苛烈な戦国の世において、本当に『天下静謐』を実現できるかどうかは、正直分かりませぬ。


それに……相手が裏切るか、本当に信のおける者であるかどうか、どの様にして見分けられるのでございますか?」


お市の方の眼差しは、先ほどより和らいでいた。それでも、厳しい問いかけは続いている。頼朝も利家の話を耳にして、冷静さを取り戻していた。


頼朝「お市殿の歩まれた道のりを知らぬとは申せ、心無い言葉をお許しいただきたい」


頼朝はお市の方の問いに答える前に、頭を下げ、再び口を開いた。


頼朝「史書・吾妻鏡を見た……。


わしの死後、皮肉にもわしが最後まで信じていたあの北条義時、わしの子は次々とあやつに殺され、幕府も北条のものとなった。


……それが真実であれば、なんという皮肉か。


お市殿の問いへの答えは持ち合わせておらぬ。己の未熟を呪うばかりじゃ。


しかし、犯した罪、間違いだけは明らかじゃ」


お市の方は少しだけ取り乱した様子を見せ始めた。


お市「今の兄・信長は……頼朝様の、この不可解な軍団さえ存在しなければ、今頃は、とっくに天下人となっていたはずでございます!

多くが滅ぼされたかもしれませんが、今でも起きているこのような争いは無くなっていたのです!」


それは、頼朝の声に押されるように理性を押し破って噴き出した、悲鳴にも似た叫びであった。評定の場に重苦しい沈黙が落ちた。


(これが、お市殿を支えていた思い……)


頼朝は、お市の方の閉ざされた心の片隅を見たように思えた。



羽柴秀長が、ここでそっと割り込んできた。秀長は躊躇ためらいがちに口を開いた。


秀長「お市様、戯言と思われましょうが……ですが……申し上げます」


秀長は頭を深く下げながら続ける。


秀長「もし、頼朝様がこの時代へお越しにならなければ、そして、信長様の覇道を我らが阻まなければ……信長様は、すでにご存命ではおられませんでした。


頼朝様が信長様と戦い、織田軍の勢力を拡大させなかったことによって……実は信長様ご自身の命をも、救っていることになるのでございます」


お市「…そのようなこと、分かるはずがあるまい!戯言を申すでない!」


お市の方は、思わず声を荒げた。



■二人目の太田牛一


そこに、長浜城から到着したばかりの太田牛一が評定の間へと入ってきた。


お市の方は、牛一の顔を見て少し驚いた。今、兄・信長のそば近くに仕えている、あの太田牛一に間違いない。だが、顔立ちの皺や落ち着いた眼差しは、彼女の知る牛一よりも深みを帯びていた。


牛一「お市様。お久しゅうございます。お会いできて、大変嬉しく存じまする」


牛一は、お市の方の前に恭しく膝をついた。お市の知る牛一と同じ言葉遣い、同じ癖を持っていた。


牛一「頼朝様、義経様が、遠い過去よりいらっしゃったのと反対に、わたくしは、ほんの少しばかり時が進んだ時代より、この軍団へと参りました。


お市様とわたくしのみが知っておる、信長様の事柄……。拙者から詳しくお話しさせて頂くお時間を頂戴できれば、拙者が少し先から参ったこと、この者たちが申したことが、嘘偽りではないとお分かりいただけるものと存じます」


心の奥に浮かび上がった疑念と希望、その両方が、お市の視線を揺らしていた。目の前の牛一は、確かに彼女が知る家臣その人であった。しかし、にわかには事情が呑み込めず、困惑した表情で牛一を見つめている。


挿絵(By みてみん)


お読みいただきありがとうございました!

太田牛一が語る言葉はお市の心にどう響くのか。

次章、お市の方は成人した自らの娘・お江、お初が頼朝軍にいることを知り、真実を確かめようとし、その心は、母として、そして一人の人間として大きく揺さぶられていきます。

お楽しみに!


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