24-1 天下を映す水鏡
一つの戦が終わり、那加城で家族や仲間たちと平穏なひと時を過ごす。
しかし、戦後処理もまた戦い。
激戦で多くの捕虜を抱える頼朝軍、その中には織田軍の重鎮も多くいた。
義経は心を尽くして語り掛ける。
しかし、信長の唱える天下布武を信奉する織田家臣の心に届くのか。
■静かな語らい
夜、那加城の一室。
輝子の処遇が定まり、戦後のざわめきが落ち着きを見せると、頼朝は一門と阿国を伴い静かに盃を傾けていた。
頼朝「……義経は戦上手じゃが、口は下手じゃのう」
義経「面目次第もござらぬ……しかし、兄上の温情には頭が上がりませぬ」
頼朝「実際礼を申すべきは、むしろわしの方じゃ。輝子殿と共に進軍してくれたおかげで口実ができた。あれほどの将を失ってはならぬからな」
義経はあらためて兄に頭を下げる。
頼朝は杯を置き、あらためて義経に顔を向けた。
頼朝「しかし義経、これで清州の城代は空席となった。梓を正式に任じるほかあるまいな」
義経「……覚悟の上でございます」
その声は、揺るぎなかった。
頼朝「武田の軍略を正しく受け継ぐ、見事な女将よ。そなたの妻ながら、わが軍にとっても得難き宝だ」
横で阿国が微笑み、盃を揺らす。
阿国「頼朝様、義経様。戦のことは今宵ばかりはお忘れを。わたくしの得意とする舞と酌をお楽しみくださいませ」
義経「おお……それは、まことにありがたい……」
思わず赤くなる義経に、場が少し和らいだ。
その日から数日にわたり、頼朝は那加城の将兵へのねぎらいの宴を開催した。戦勝の喜びも、失った多くの将兵への思いも、那加城に響くその笑い声に溶け込んでいった。
■織田家捕虜、頼朝と対面
近江に出陣して半年以上にも及ぶ激戦で、頼朝軍は多くの織田軍有力武将を捕虜としていた。
織田信長の妹君・お市の方、柴田勝家、福島正則、可児才蔵、そして安土城下で義経に捕らえられた加藤清正など、織田の中枢を担う者たちも、捕虜として那加城へ集められていた。
広間には、反骨を隠そうともしない捕虜たちが肩を寄せ合い、鎖と血の匂いが混じるような重苦しい空気が満ちていた。
縄で縛られた柴田勝家の眼光は衰えず、福島正則は声を荒らげて今にも噛みつかんばかりだ。静かに様子を見つめる加藤清正もまた、その双眸には烈しい火が宿っていた。
そこへ、頼朝と義経が現れる。続いて、かつて織田家に属し、今は頼朝の家臣となった羽柴秀長、前田玄以、池田恒興、前田利家らも顔をそろえた。
広間には張り詰めた緊張が流れる。沈黙を破ったのは、羽柴秀長である。
秀長「ご一同……お久しゅうございまする」
真っ先に噛みついたのは、若き猛将福島正則だった。
正則「裏切り者の秀長か! いったい、どの顔下げて我らの前に出て来やがった! この恥知らずめが!」
縄を腕に巻かれたまま、体当たりでもしそうな正則を、隣にいた加藤清正が制した。
清正「待て、正則殿。まずは話を聞こうではないか」
奇妙なことに、清正だけは縄をかけられていない。
それに気が付いた福島正則は、加藤清正に対しても大声で吠える。
正則「加藤清正、貴様まで裏切ったか!」
清正は短く溜め息をついた。
清正「どうやら世間では、わしと正則殿を“同じ穴の狢”と見ておるようじゃ、ご存じか?
確かにお主は短気で直情的――わしもその口だったがの……。
今まで捕虜はひとりも切られておらぬ。だが大将自らのお目見えは初めてじゃ。話を聞いて気に入らねば、改めて織田のもとへ戻ればよかろう」
正則はさらに吠えようとするが、清正の言葉に呼応するかのように、義経が一歩前へ進む。
義経「加藤殿、恐れ入る。
……織田家の方々、まずは拙者の話に耳を傾けていただきたい」
秀長が小さく頷いた後、義経は広間の捕虜たちを見回し、静かに、しかし、凛とした声で語り始めた。
義経「拙者の名は、源義経。そして、この隣におるのが、我が兄、源頼朝でござる。鎌倉の世から呼び寄せられた源頼朝の軍団である――たぶらかす意向は毛頭ないが、無理に信じていただく必要もござらぬ。
我らは、かつての鎌倉幕府の再興を志しておるのでも、この時代の日ノ本の覇権を目指すものでもない」
今度は、柴田勝家が唸るような低い声で義経に敵意を向けた。
勝家「ふん、天下静謐を目指す我らを散々に痛み付けて、白々しい……!」
義経は、この柴田勝家の勇猛な戦いぶりを小牧山でも、長浜城でも目にしていた。
義経「柴田勝家殿とお見受けいたす。
貴殿らの主君・信長殿が、『天下布武』を掲げ、武家による『天下静謐』を目指しておられることは、承知しておる。
天下の静謐を望む心は、我々もまた同じ。ただし……我らが考える『天下静謐』の形は、信長殿が目指しておられるものとは少々異なる。
どちらの道を歩むか、それはお一人お一人がお決めになるべきこと。もし、信長殿の元へ戻ることを望む者を、我らは、止めることもせぬ。
願わくば、我が兄、頼朝の言葉に耳を傾けてはいただけぬだろうか。
強いるつもりはない。だが、拙者らが信じる道がある。その言葉だけは、どうか聞き届けていただきたい」
義経は、深々と頭を下げた。
その時、捕虜の中から凛とした声が響いた。織田信長の妹、お市の方であった。
お市「…信長の妹、市にございます」
お市の方は、頼朝と義経を、真っ直ぐに見据えた。
お市「今、我らの前にいらっしゃる御方が、本当に、源頼朝様、そして源義経様であるならば、これほどの光栄はございませぬ。
ですが……!
我々が今生きておりますのは、裏切りと謀略渦巻く戦国の世。義経様が、くしくも先ほど仰せられたように、本当の頼朝様であるかどうかは意味のあることではございませぬ」
お市の方は、言葉を続けた。
お市「『天下静謐』とは、結局のところ、『天下』を、誰が、どのように治めるか、ということにございましょう。そして、その『天下』までの道のりも、決して生やさしいものではございませぬし、綺麗事で治められるようなものでもございませぬ。……鎌倉の世を生きた本当の頼朝様であるならば、誰よりもお分かりのはず。
そこであらためてお尋ねいたします。
我が兄・信長が目指す天下と、貴方様、頼朝様が目指す天下とでは、いったい、何が異なるのでございましょうか」
縄に縛られても、その瞳は一切の揺らぎなく、頼朝を射抜いていた。
お読みいただきありがとうございました!
信長に寄り添いながらも、嫁ぎ先を信長に滅ぼされた信長の妹お市。
次章、無慈悲な戦乱の世の重みを誰よりも知るお市の問いかけに、頼朝が投げかける言葉とは。天下とは何か、心を尽くした言葉と言葉が交わされた果てに見えてくるものとは。
お楽しみに!