23-2 湖を従えし戦姫
赤井輝子の心情に寄り添う、頼朝軍団の家臣団。
しかし、赤井輝子の暗闇を消し去ったのは、神がかり的な大祝鶴の湖上での“舞い”であった。
琵琶湖が大祝鶴の意のままに織田の軍船を追いつめていくかのごとく、風と波は織田軍を火の海へと沈めていく。
■義経の機転
義経は長浜城から無断で出撃する赤井輝子の独断を苦々しく眺めていた。その傍らに控える出雲阿国が、何かを察したように、義経に語りかけた。
阿国「義経様、あれは輝子様でしょう……あのままでは罪に問われます。
ここは義経様も急ぎ輝子様の軍勢と合流されてはいかがでしょう。義経様の指示で輝子様が出陣したことにするしかございますまい。
後顧の憂い無くすために、水軍の指揮に長けた大祝鶴様を輝子様の部隊から借り受けた――そのように頼朝様へご報告申し上げるのは、いかがでしょう」
義経「……」
(これしか輝子殿が罰を免れる方法はあるまい。しかし……)
義経「…それしかあるまいな」
義経は、頷いた。
義経「少ない軍勢とはいえ、琵琶湖に織田軍が集結したまま美濃へと退却するのも、少々気が引けていたところではあった。
よし! 阿国殿、後続の里見伏殿にも、ただちに伝令を! 我らと共に、輝子殿の軍勢と合流されたし、と!」
阿国「かしこまりました、義経様」
■赤井輝子の心の闇を照らす光
琵琶湖に向けて進軍中の赤井輝子のもとへ、義経隊、そして里見伏隊も合流する、との早馬が届く。
輝子「義経様が我らに合流してくださる、と……?」
輝子は驚くとともに、義経の配慮をすぐに受け止めた。
副将の大祝鶴や太田牛一。そして、一門衆であり、軍団の総大将格でもある義経。
本来であれば、この独断専行とも言える行動を厳しく非難し、制止すべき立場にある者たち。にも関わらず、輝子を止めるどころか、むしろその心情に寄り添い、手を貸してくれようとしているかのようであった。
(あの惨状……)
夢の中で繰り返し見る。自らが、手塩にかけて育て上げ、誇りとしていた最強の兵たち。無惨にも、残酷にも、目の前で殺戮にも等しい形で血の海に沈む姿を——
憎き敵を一人でも多く討ち倒すことで、少しでも暗闇から抜け出したい。耳の奥に、今もこびりついて離れない、自らの部下たちの断末魔の叫びを消し去りたい。
仇を取りたい……。
(でも……)
輝子は分かっていた。仇を取ったところで心が晴れるわけではない。何よりも、あの戦で失われた者たちは、戻らない。
そんなやり場のない、絶望にも似た心情に皆が寄り添ってくれようとしている……。それこそが暗闇に差し込む一筋の光。
赤井輝子は何かを振り払うように、力強く頭を振ると、後方から追いついてきた義経隊、そして里見伏隊の将兵たちにも聞こえるよう、大声で檄を飛ばした。
輝子「湖上をうろつく忌々しい織田の船団を、さっさと追い払うよ! 全軍、すすめぇーーーっ!!」
輝子の声には、いつもの猛々しさが戻っていた。
■湖上を舞う鶴姫
赤井輝子隊が借り受けた軍船は、水軍の指揮に長ける大祝鶴の巧みな采配の下、琵琶湖上に展開する織田の船団へと向かっていった。義経隊と里見伏隊は、その後方から鉄砲による援護射撃を行う。
湖上の織田船団に接近するにつれ、赤井輝子は中央に翻る旗印が織田信長本人のものであることに気が付いた。
輝子「あの木瓜紋は……信長本人か!」
輝子は、吐き捨てるように言った。
輝子「あの締まりのない布陣を見る限りでは……どうやら信長は、我らが本気で戦いを仕掛けてくるとは夢にも思っていないようじゃないか。
鶴姫、一気に蹴散らすよ!」
鶴「はい、輝子様!」
鶴は、自信に満ちた声で応えた。
鶴「わたくしは、これよりも遥かに少ない船で、もっと多くの敵と戦ってまいりました。これしきの相手、直ぐに終わりますよ」
湖上では、織田軍が慌てて戦闘態勢を整え、頼朝軍に攻撃をしかける。しかし織田軍の船団は数で勝り、炎と矢弾が雨のように頼朝軍に降り注いだ。
頼朝軍の船板に火が走り、兵たちは水をかぶって必死に火を払い落とす。
数隻が立て続けに横腹を撃ち抜かれ、士気が揺らぎかけた。
輝子は舷側に手をかけ、焦りを押し殺しながら湖上を睨む。
(……また、敗れるのか!)
胸の奥で黒い記憶がよみがえりかけた。
しかし大祝鶴は動じずに織田軍の布陣と風向きを読む。湖面を渡る強い北風が、白波を次々と立てていた。大祝鶴は船首に立ち、衣の裾をなびかせながら、じっと風と波の流れを見据える。
そして、それまで閉じていた大祝鶴の口が開く。
鶴「――今です! あの列の三番船、火矢を浴びせよ!」
矢羽の唸りとともに、数条の火矢が夕暮れの空を裂いた。火は風に乗り、織田方の船団の中央へ一斉に吹き込む。
逃れようと舵を切った織田の船だが、逆巻く波は南へと押し流し、思うように身動きが取れない。
鶴「波は南、風は北――火を背負い、退き場を失うでしょう!」
鶴の冷徹な声が頼朝軍の船団に響く。
ほどなく、炎は船板を舐め、帆布に移り、船と船を繋ぐ綱に燃え移る。織田の船は互いに衝突し、火を移し合い、怒号と悲鳴が湖上に広がった。
だが、鶴の双眸は一片も揺らがなかった。
燃え落ちる敵船も、炎にのまれて跳ねる兵も――彼女にとっては盤上の駒に過ぎなかった。
鶴「炎が湖上の罠の仕上げ――残る列は半時のうちに沈むでしょう」
冷ややかに呟く声には、憐憫も高揚もなく、ただ戦局を見定める算盤勘定の色のみがあった。次の標的を指し示すその指先は、まるで炎を織り糸にして、敵の逃げ道を一つひとつ縫い潰していくかのようだった。
輝子「鶴姫……!」
ほんの一刻にも満たない攻防——大祝鶴の見事な水軍の指揮に見とれ、心奪われ、輝子は自らの闇から気が付いたら離れていた。復讐に似た思いは、目にしたことのない“神の力が宿る”かのごとき湖上の美しき采配と、甘美な戦勝の喜びによって、薄められていた。
対岸の清水城に布陣していた、越前の織田軍の陸上部隊は、湖上での異変に気づき、主君・信長を守るべく、急ぎ、手近な船に乗り込み、琵琶湖上へと進軍してきた。
だが、彼らが到着した時には、すでに勝敗は決していた。
長浜城から出陣してきた、新兵の多い寄せ集めの水軍であった。しかし大祝鶴の、熟練の極みともいえる巧みな軍船の指揮、そして、後方からの義経隊、里見伏隊による、正確無比な援護砲撃。水軍に長けている将を呼び寄せる事もなく、まさか攻めてくるとは考えずにけん制していた織田の水軍は、大祝鶴の自在な動きに対応する術もなく、短時間のうちに壊滅状態へと陥ったのである。
信長「まさか合理的であった軍団が、今出てくるとはな……!」
織田信長は、自らの乗船が沈められる前に早々に湖岸へと退却し、北近江の地へと逃げ延びていった。
お読みいただきありがとうございました!
赤井輝子の猪突が、結果として後顧の憂いを断って頼朝軍の再編を可能としました。
しかし義経の報告を訝しく耳を傾ける、筆頭家臣の羽柴秀長。
次章、赤井輝子の行動は軍令違反か、織田軍を追い払った功績か。
お楽しみに!




