16-4 本当の敵
上杉景勝との会見を終えた頼朝は、家族たちと束の間の夕餉を囲む。
しかし、心の奥ではまだ答えを出せぬ問いが燻っていた。
真の敵とは誰か?天下とは何か――。
阿国の静かな一言が、頼朝を再び“宿命”の扉へと導いてゆく。
◾️家族、家臣との夕餉
頼朝は、この時代の「家族」と共に、夕餉の膳を囲んでいた。
那加城の一室には、頼朝と正室の篠、弟・義経とその妻・梓、そして義父にして筆頭家老である羽柴秀長が揃っていた。炭の香り漂う静かな空間に、湯気と笑い声がゆるやかに立ちのぼっている。
頼朝「秀長も、いよいよ北条家の姫君を妻として迎える日が近いな。さぞや心待ちにしておることであろう」
からかうような声に、秀長は箸を止めて慌てて首を振った。
秀長「その話題は、どうかご容赦を。確かに政略上、大いに意義ある縁組とは思いますが……このような百姓上がりの老骨に、北条の姫君とは……もったいない話でございます」
篠「まあ、父上。そんなことはございません。父上のような誠実なお方に嫁がれる姫君は、きっとお幸せですよ」
篠は、微笑みながら盃を差し出す。
篠「娘への稽古は厳しゅうございましたが……母上には、お優しゅうございましたもの。ふふふ」
秀長「こら、篠まで、何を申すか!」
秀長は、照れくさそうに娘をたしなめた。
義経「ところで、兄上」
義経が、真剣な面持ちで切り出した。
義経「景勝殿のお話……兄上は、どのようにお考えになられましたか」
頼朝「……わしは、天下も、将軍の位も、望んではおらぬ」
頼朝は、静かに答えた。
頼朝「なれど……早雲殿が申しておった通り、あの景勝殿という御仁は、たいした人物であったな。景勝殿と、あの兼続殿が語っておられた天下のあり様、この時代の幕府や将軍が進むべき道……少し考えさせられた」
その時、次の料理と酒を運び入れてきたのは、出雲阿国だった。
頼朝「阿国殿。もう、そなたがこのように酌をする必要はなかろう。そなたは、我が軍団ですでに重積を担っておる」
阿国「いいえ、頼朝様」
阿国は、笑みをたたえたまま、静かに答える。
阿国「私は武人である前に、阿国でございます。舞を舞い、酒を注ぎ、皆様と語らうことが、私にとって何よりの喜びなのです」
頼朝「そなたの酌ほど、心安らぐものはないのも確かじゃが」
義経「兄上、ならば梓を我が隊に戻し、代わりに阿国殿が那加城でごゆっくりできるようにされては?」
阿国が間髪入れずに義経に言葉を投げた。
阿国「まあ、義経様……! 結局、私より梓様の方がよろしいと、そうお思いなのですね?」
義経「あ、いやいや、滅相もない! 阿国殿には頭が上がらぬ!」
皆がどっと笑った。
梓もまた笑みを浮かべ、阿国に語り掛けた。
梓「阿国殿、たまにはまた舞ってくださいませね。あの美しい所作を拝める機会が減ってしまっては、あまりに惜しいです」
頼朝(……こうして皆で囲む膳の時間。この温かなひとときが、どれほどの宝か)
鎌倉にいた頃には想像もできなかった。今はこうして、家族と呼べる者たちに囲まれ、笑い合い、杯を交わす。心から穏やかな時間が流れていた。
◾️出雲阿国の決意
その頼朝の傍らで、出雲阿国がふと真顔に戻り、静かに口を開いた。
阿国「頼朝様。少々、お話がございます」
頼朝「うむ、いかがした、阿国殿」
阿国「先ほどの景勝様のお言葉……わたくしなりに、思うところがございました。
よろしければ、ご一緒にトモミク様のもとへお運びいただけませんでしょうか。少しお話をさせていただけたらと存じます」
頼朝「トモミクと話をの……」
(わしが知らなかった話でも、聞かせてもらえるのであろうか)
頼朝は頷くと、義経へと目を向けた。
頼朝「義経、留守を頼む。那加城の軍勢は、そなたに一任する」
義経「はっ! 畏まりました!」
そして、義経は一拍置いて、兄の目を真っ直ぐに見た。
義経「兄上……拙者も、景勝殿のお話を聞き、思うところがございました。どうか、兄上のお心のままにお進みください。我らは、どこまでも、兄上について参りますゆえ」
頼朝(……義経よ……)
その言葉に、頼朝は胸の奥が熱くなるのを感じた。
頼朝が今、最も恐れているのは当然弟・義経の存在ではない。
――『大義』と称し、その義経をためらいなく犠牲にしてしまう、かつての自分。その『鎌倉の頼朝』が、再びこの胸に蘇ってしまうこと――
最大の恐怖は、己の中に潜む“かつての頼朝”との戦いなのかもしれない。
(わしが天下の静謐のために力を尽くすことに躊躇はない。しかし……)
篠が頼朝の表情の翳りを目にして、健気に頼朝の酌をもった。
篠「頼朝様、何か……」
篠から声をかけられ、頼朝の目に再び家族たちが夕餉を楽しむ様子が入ってくる。
頼朝「いや、みなとの楽しきひとときを忘れまい、そう考えておった」
頼朝は篠に微笑みながら、盃を篠に向けた。あらためて篠に注いでもらった酒も、格別な味だった。
「滅ぼすためではなく、守るために」――。
頼朝の心には、いまだ鎌倉での苦い記憶が影を落とす。
義経、篠、阿国……かつて失ったものを、今度こそ守れるのか。
次章、阿国とトモミクと頼朝、そして誰よりも頼朝自身との新たな対話が始まる。




